小説「真理の微笑 真理子編」

 シャワーを浴びて、ベッドに横たわった。サイドテーブルのバッグを開けて、中から富岡の手帳を取り出した。

 広げてみた。七月の二週目までは、午後五時過ぎのイニシャルがついていた。由香里と会うのは、三日前だったようだが、その時は富岡はベッドの上だった。もし会っていたら、生まれてくる子どもの話をしていたことだろう。

 七月三日を見た。二重丸がしてあって、新製品Goと書かれていた。やはりワープロソフトの製作を決めていたのだ。発売日は九月一日?  となっていた。これは担当者に訊かなければわからないことだった。しかし、発売日の決定もしないで、製作を始めるというのは合点がいかなかった。ともかく、担当者に訊いてみればわかることだろう。

 午後五時以降のイニシャルが女を示していることはわかったが、星印がついているところは、午後二時とか三時とかが多かった。一月から五月まではそうでもなかったが、六月以降は、週二回ほどのペースでその星印は付けられていた。

 誰かと会っていたことは予想できたが、女ではない気がした。仕事関係だと思うが、そうであれば、星印ではなく、大抵は名字が記されていたから、仕事関係にしても何か特別な気がした。

 日曜日は、大抵はゴルフで埋まっていた。

 ゴルフ場の名前と時間が「**CC、AM7:30」とかいうように記されていた。

 後はよくわからない記号と数字が書かれていた。おそらくは製品名と売上の数字と思われるが、単位が何なのかは見当がつかなかった。

 来週の予定を見た。

 七月十日は月曜日で、田村AM十時、小堺PM三時、十一日は時村AM十一時、十二日は琴崎PM二時となっていた。木曜日以降は予定は組まれていなかった。

 来週の面会予定については、木曜日に断りの電話を入れたから良かったが、再来週からは、そうもいかないだろうと思った。

 だが、それも何とかこなしていくほかはないと思った。

 手帳は閉じて、サイドテーブルに置いた。

 

 ベッドに仰向けになって目を閉じた。

 エアコンが丁度いい風を送っていた。

 今日のことを思い出してみた。

 別荘に入った時に感じた違和感は最後まで拭えなかった。

 まず、揃えてあったサンダルと運動靴。これが最初の違和感だった。

 富岡は運転して外出していたのだ。革靴を履いていたとすれば、玄関にサンダルと運動靴があるのは不自然だった。もし、どこかに出かけるとしても、革靴を履いたのであれば、サンダルと運動靴は靴箱にしまうのが富岡だった。しかし、靴箱を開けてみれば、革靴はそこにあった。となると、富岡は何を履いて運転していたのだろうか。まさか、裸足であるとは考えられない。これが最初の疑問だった。

 次にブランデーとコップだった。

 富岡は酒を飲んだら運転は、絶対にしない。特にあのような山道を運転することなどは考えられない。では、ブランデーとコップはただ出していただけなのか。それも考えにくかった。コップを洗った時に、コップの底に薄く琥珀色が見えたのを覚えている。これはブランデーをコップに注いだ証拠だった。つまり、富岡はブランデーを飲んでいたのだ。しかし、警察官が電話で話したことを信じるならば、体内からはアルコールは検出されなかったということだった。つまり、警察は飲酒運転による事故を疑ったが、それが否定されたということになる。ではあのブランデーとコップは一体、何だったのだろう。

 富岡がブランデーを飲んでいたとすれば、体内からアルコールが検出されなかったということはあり得ない話だ。仮に飲酒運転になるほど酩酊してはいなくても、全くアルコールが検出されないということはないだろう。もっとも警察官は、「全く」とは言っていなかった。検出できないほど、少量のアルコールを飲んでいたということなのだろうか。

 だが、これも考えにくかった。富岡は酒が好きだった。一度、飲み出したら、ある程度酔うまで飲むタイプだった。そうして、何も考えずに女と遊ぶのが好きだった……。

 別荘に女が来ていた様子はまるでなかった。だから、富岡は一人で酒を飲みながら、考え事をしていたのだろう。

 では、どうしてドライブなどしようとしたのだろう。

 …………

 こう考えてみてはどうだろう。

 あの車を運転していたのは、富岡ではなかった。

 そうだと考えれば、革靴があったことも、服が残され、運転免許証の入ったケースが残されたことも、そして体内からアルコールが検出されなかったことも説明がつく。

 そう考えていくうちに、あの車に乗っていたのが、富岡だと証言したのは、真理子自身だったことに気付いた。

 警察は、ナンバープレートから所有者を割り出し、運転していたのが男性だったから、その所有者である富岡が、事故の被害者だと推測した。しかし、その被害者を富岡修だと断定したのは、自分自身だったと真理子は気付いた。

 被害者を富岡修だと断定するに至った経緯は、警察官から被害者の左手の写真を見せられたからだった。そして、その指輪の部分を拡大した写真を見て、結婚指輪だと思ったのだった。或いは思い込んだのだった。

 それはその指輪の形が結婚指輪に非常に似ていたからだ。だが、今になってみると、写真だけで断定したのは、軽率だったような気がしてきた。非常によく似た別の指輪だった可能性がないとは言い切れなくなっていた。もし、本当に結婚指輪だったとしたら、指輪の裏にOSAMU&MARIKOの文字が刻まれているはずだった。それを確認していなかったのだ。

 指輪は富岡の手にはめられている。それを取って裏を見れば、結婚指輪かどうだったか確認できる。結婚指輪を外すことはできないのだろうか。

 そんなことはないように思える。

 明日は日曜日だが、看護師は応対してくれるだろう。一度、気になったら確認しないではいられなくなった。

 それともう一つすることがあった。保険会社に連絡することだった。この一週間は忙しすぎてすっかり忘れていた。二十四時間、年中無休の対応が売り物の保険会社のことだから、日曜日でも対応してくれるだろう。

 そこまで思うと、疲れがどっと押し寄せてきた。今日も大変な一日だった……、そう考えているうちに真理子は眠りに落ちようとしていた。手元の電気を消して、ベッドの中に潜り込んだ。すぐに真理子は眠りに落ちた。

 

 陽の光に目が覚めた。昨夜は何時に眠ったのかさえ、覚えてはいなかった。今は午前七時少し前だった。

 起きるとすぐにシャワーを浴びた。バスローブのまま、冷蔵庫から野菜ジュースを取り出して飲んだ。

 そして書斎に行き、金庫を開けた。この中に自動車保険に関する書類が入っていた。それはすぐに見つかった。

 時計は午前七時を過ぎていた。大きく書かれていた電話番号に電話した。しばらくして受付が出た。

「どのような用件でしょうか」と訊かれたので、夫が事故に遭ったことを話した。すると、「担当の者にお繋ぎしますから、しばらく、お待ちください」と言われた。待っている間、オリビア・ニュートン・ジョンOlivia Newton-John 一九四八年九月二十六日 -二〇二二年八月八日)の「そよ風の誘惑」(作詞・作曲 ジョン・ファーラー、リリース一九七五年一月二十一日、MCAレコード)が流れた。五小節目に入ろうとしたところで、「お待たせしました」と相手が出た。

 真理子は息せき切って、夫が事故に遭ったことを話した。

「わかりました。それでは、ご記入頂く書類等がありますので、それを送らせてもらいます。それから事故現場は長野県茅野市でいいんですよね。自損事故ということになりますので、場合によっては現場に立ち会って頂く必要がありますが、それはできますか」

「必要があれば、現場に出向きます」

「その時、警察官に立ち会ってもらうと話がスムーズに進むと思うのですが、それもよろしいですか」

「ええ、構いません」

「それでは書類をすぐにお送りしますので、必要事項をお書きになって返送してください。その後の、警察等の段取りはこちらで致しますので、こちらからの連絡をお待ちください」

「わかりました」

「では、これで失礼します」

 電話はそれで切れた。自動車に関しては保険会社への連絡は終わった。だが、生命保険会社への連絡が残っていた。数社の生命保険に入っていたので、それぞれに電話をした。

 こちらは事故証明書と手術をしたのならその担当医師が記述した証明書及び領収書、入院しているのであれば入院証明書か領収書、通院しているのであれば通院の領収書が必要だと言われた。領収書についてはコピーしたものでかまいませんと言われた。これらの領収書は確定申告の時に必要になるからだった。全部に電話をし終わったのは、午前九時少し前だった。

 後は、病院に行って確認したいことを確かめれば済む。

 真理子は、電話しただけで疲労感が広がっていくのがわかった。できるなら、病院には行きたくなかったが、確かめたいという欲求の方が強かった。

 化粧をして家を出て、病院に着いたのは、午前九時半を少し過ぎた頃だった。すぐに三階のICUのナースステーションに向かった。

 ナースステーションには二人の看護師がいた。一人が真理子に対応した。真理子は富岡がしていた指輪のことを話した。

 そして「もし差し支えなければ、外して見せていただけませんか」と申し出た。その対応した看護師が「そういうことは担当の医師の許可が……」と言ったところで、脇で聞いていたもう一人の看護師が「富岡修さんの奥さんですか」と訊いてきた。

「ええ、そうです」と答えると、「少しお待ちいただけますか」と言った。

「かまいませんが」と答えると、その看護師は奥に引っ込み、金庫のようなところから何かを取り出した。そして、真理子の方にやってくると、「誠に申し訳ありませんでした」と謝った。真理子がきょとんとしていると、目の前に、透明なチャック付きの袋に入った指輪が置かれた。その袋の表面には、富岡修様と書かれた白いテープが貼られていた。袋から出してみると、その裏側には「OSAMU&MARIKO」と書かれた文字が刻まれていた。正に結婚指輪だった。

「これは」と真理子が問うと、その看護師が「先日、全身のレントゲンを撮ることになりまして、貴金属は全て外さなければならなくなり、その時、指輪も外させて頂きました」と言った。そして、茶封筒を出して「本来なら、貴金属のようなものを預かるときには、この封筒に入れて、中身と氏名を書いて封をして頂くことになっていましたが、つい忘れていました。申し訳ありませんでした」と謝った。

「この指輪は持ち帰ってもよろしいんでしょうか」

 真理子がそう言うと、「ちょっとお待ちください」とその看護師は言って、ノートのようなものを取り出した。それは貴重品預かり帳だった。その中に「富岡修」「指輪」という項目があった。預かり日は七月六日になっていた。この病院に転院してきた翌日だった。真理子は、午前中にはここに立ち寄ったが、茶封筒に入れた写真と記入してきた用紙を渡したら、他に用はないと言われたので、家に戻ったのだった。もしレントゲンをするので指輪を外すという話があれば、その時に受け取っていただろう。おそらくレントゲンの件は、真理子が帰った後に起きたことなのだろう。

 返却日と書かれた欄に7/9と書いて、富岡とサインをしてそれを○で囲んだ。

「これでいいですか」

「結構です」

「では、この指輪は持ち帰らせて頂きます」

 真理子がそう言うと二人の看護師は頭を下げた。

 

 指輪をハンドバッグにしまうと、真理子はエスカレーターに向かった。そして降りながら考えた。今、バッグの中にあるのは、富岡がしていた正真正銘の結婚指輪だった。あの指輪がこの世に二つとないことは誰よりも真理子自身が知っていた。ということは、あのICUにいる包帯だらけの男は、富岡修に違いなかったことになる。富岡以外の男がバッグの中にある結婚指輪をしているはずがなかったからだ。

 ということはどういうことになるのだろう。

 真理子は、この指輪を見るまでは、てっきり、あの男が左手の薬指にはめていた指輪は非常に似ているもので、あの男は富岡ではなく別人だと思っていたからだった。それは写真で確認したからだった。だが、今は違っていた。実物を持っているのだ。

 真理子は訳がわからなくなっていた。