小説「僕が、剣道ですか? 6」

 僕が寝室に戻ると、「新しい家ですもの、京介様がいないと寂しくなります」ときくは言った。

「厠に行っていたんだ」

「そうでしたか」

「寝よう」

「はい」

 昨日と同じことを言っていると思った。こんなことが続けば、いずれきくに気付かれるに違いなかった。

 

 次の日の朝餉も、ご飯に味噌汁、梅干しに漬物だった。ご飯が上手く炊けるようになったので、不服はなかったのだが、代わり映えのしないおかずだな、とは思った。

 しかし、風車はよく食べた。三杯もお代わりをした。ききょうも味噌汁をかけたご飯をよく食べた。

 そうしているうちに、突然、きくが居間の畳に手を突き、頭を下げた。

「申し訳ありません」と言った。

「どうしたんだ、突然に」と僕が言うと、「きくは女中でも御膳を運ぶときにしか、炊事場に入ることがなかったんです」と言った。

「炊事場を担当する者は他にいました。その人がすべてを差配して、ご飯や料理を作っていたのです。わたしには任せてもらえませんでした」と続けた。

「それがどうしたというのだ」と僕が言った。

「だから、美味しいおかずが作れません」ときくは泣きながら言った。

「こうして美味しく食べている。それで十分ではないか。なぁ、風車殿」と僕が言うと、「そうそう、そうですよ。気にすることなんか、これっぽっちもありません。美味しくいただいていますよ」と風車が言った。

「この家、すべてをきくが自由に使っていいのだ。それは炊事場も同じことだ。今、上手くできなくても覚えていけば良い」と僕は言った。

「鏡殿の言われるとおりです。何事も急がないことです」と風車は言った。

「ありがとうございます」ときくは言った。

 そして、立ち上がるとお茶をいれた。

 

 きくの洗い物が終わるのを待って、「今日は下駄などを買いに行こうと思う」ときくに言った。

「わかりました」と言うときくは、普段着のままで出て来た。

 僕は「もう少し余所行きの物はないのか」と訊くと、「これしか持っていません」と答えた。

「あの桐箪笥に入っている着物があるではないか」と言うと、「あれはこんなときには着られません」と言った。

「もっと晴れやかな場に行くときに着て行きます」と続けた。

「そうか。普段着の他に余所行きの着物もいるな」と僕は言った。

「それに草履もだ。今、履いているのは、旅から履いている物で余所行きには似合わない。草履も新しく買おう。夏になるから下駄でも良いかな。私たちも下駄を買おうと思っている」と続けた。

「そんなに何から何まで、揃えなくても良いですわ」ときくは言ったが、「思いついたときに買っておかないといつまでも買えなくなってしまう」と僕は言った。

「風車殿。出かけようか」と声をかけた。風車は離れからやってきた。

 

 両国に着くと、まず呉服店に入った。きくはいいと言ったが、僕がきくの余所行きの着物を買いたかったのだ。それと、自分のも。風車も着物を買おうとしていた。今着ている物は古着屋で買った物で、やはりみすぼらしかったからである。それは僕も同じだったが。

 その店で着物を買うと、そこで着替えて、古い着物は風呂敷に包んでもらった。着物を替えるだけで、随分と垢抜けてきたような感じになった。

 次は履き物だった。履物店に入り、草履と下駄を買った。

 草履や下駄もそこで買った物に履き替えた。古い物は風呂敷に包んでもらった。

 それから道具屋に入り、鎌や鍬や熊手、斧、ちり取り、前掛けなどを買った。

 その頃になると昼餉の時刻になった。

 蕎麦屋に入って、つけ蕎麦を頼んだ。ききょうのためにご飯をもらい、掛け蕎麦の汁をかけてもらった物を匙で食べさせた。

 帰り道に、煮売屋があったので、夕餉のために、小魚の佃煮と里芋とごぼうの煮物を買った。それと卵を三つ買った。その当時、卵は貴重品だった。

 そして、おやつに饅頭を三つ買った。

 

 家に帰ると、僕らは居間に上がり、きくは囲炉裏の鉄瓶から茶をいれ、饅頭を皿に載せて出してくれた。それらを食べてお茶を飲んだら、風車が「さて、鎌も斧も買ったので、草刈りでもしましょうか」と言った。

 僕は風呂敷を開いて、風車に古い着物と草履を渡した。僕はそのまま風呂敷包みを元に戻して、寝室に入っていった。

 僕は古い着物を着るつもりはなかった。押入れを開けて、ショルダーバッグを取り出すと、中に入っていた、ジーパンや肌着、長袖のシャツを取り出して着た。そして、革手袋をした。安全靴を取り出すと、タオルを首に巻き、玄関に出ると、離れからやってきた風車が僕の姿を見て驚いた。

「何ですか、その姿は」と言った。

「作業をするときは、この方が便利なのです」と言った。

「へぇー、そうなんですか」

「見ていれば分かりますよ」と僕は言った。

 風車は古い草履を履いたが、僕は安全靴を履いた。そして、紐をしっかりと締めた。

「前庭から、中庭、そして裏庭という順に草刈りをしていきましょう」と僕は言った。今日一日で全部終わるはずがないので、人が来たときに、見える範囲から綺麗にしていこうと思ったのだ。

 鎌は風車が持った。腰をかがめて、草や薄を刈っていった。僕は大きくはなっていない木を斧で切っていった。木を切り倒すと枝を斧で切った。大体、薪の長さと同じくらいに切り揃えた。ある程度の量が溜まると、縄で縛った。それがいくつか転がった。小木の根元は鍬で掘り起こした。

 前庭には大きな柿の木があった。これは斧で切り倒すのには、惜しかった。渋柿でなければ、秋になれば実をつけるだろう。柿の実を食べるのも悪くはなかった。だから、残しておいた。

 刈り取った草や薄は、風車が縄で縛って地面に転がしていた。

「枯れたら、風呂焚きに使えますよ」と風車は言った。

「こっちの小枝も枯れるまで待たなくてはいけないね」

「ええ。今、燃やすと煙が凄いですからね」と風車は言った。

 前庭が済むと、中庭に入った。しかし、その頃になると、汗でびっしょりになった。

 僕は奥にいるきくに「きく、お茶をいれてくれ」と叫んだ。

 僕らは縁側に座った。しばらくして、きくがお茶を運んできた。

 口にすると、熱くはなかった。きくの顔を見ると、「そろそろ、休憩時かなと思いまして、先にお茶をいれておきました」と言った。

「そうか」

「おきくさんは気が利きますね」と風車が言った。

 

 お茶を飲んだ後、立ち上がると、「もう一仕事しますか」と風車が言った。

「その前に風呂を焚いておきませんか」と僕が言った。

 風車は首を傾げた。

「もう一仕事した後に、風呂に入りたいじゃあありませんか」と僕が言うと、風車は納得したように「そうですね」と言った。

 僕らは、縁側から湯屋に向かい、井戸から水を汲んで、五右衛門風呂に水を入れた。

 そして火をつけるのは、風車の役目だった。

 一度休むと、疲れはどっと出た。もう一仕事しようとしたが、なかなか前のようには捗らなかった。小一時間はすぐに来た。

 風車は湯加減を見に行った。

「あまり、熱くない方がいいでしょう」と風車が言った。

「じゃあ、今日はこれくらいにしておきますか」

「そうですね」と風車が言った。

「じゃあ、風呂に入りましょう」

「そうしましょう」と風車が言った。