小説「僕が、剣道ですか? 6」


 次の日、朝餉をとると、きくはもう出かける準備を始めていた。一刻も早く、新しい家を見たかったのだ。
 荷造りが終わると、宿代を払い、宿を出た。風車には、大きな風呂敷包みを背負ってもらった。僕は風呂敷を被せた千両箱が入っているショルダーバッグを肩に提げ、大きなナップサックに被せた風呂敷包みを背負い、小さなナップサックは風呂敷包みにし、もう一つ風呂敷包みを持った。
 きくはききょうを背負っていた。
 道すがら、風車が「まずは掃除道具がいりますな」と言った。
「近くに道具屋がありませんでしたか」と僕が訊くと、「両国にはあったように思いますが、石原のあたりには、店屋は見えませんでした」と答えた。
「そうですか。では、両国で掃除道具と布団を買うことにしましょう」と僕が言うと、「もう、持てませんよ」と風車は言った。
「その店の小僧に運ばせましょう。手間賃をはずめば喜んで運んでくれるでしょう」と僕は言った。
「布団はわたしに選ばせてくださいね」ときくは言った。
「それに庖厨道具も一式必要だな。箪笥は最後だな」と僕はきくに言った。
「鉄瓶と湯呑みとお茶をまずは買いましょう。後は向こうに行ってから揃えましょう」ときくは言った。
「薪も必要ですよ」と風車は言った。
「そうですね」と僕は言いながら、そうか、ガスや電気があるわけではないんだ、と思った。
「そうなると、行灯用の菜種油も必要ですね」と僕は言った。
「行灯はありましたか」と風車が訊くので「どうでしょう。あったような気もしますけれど」と僕は曖昧な答えしかできなかった。
「なかったら買いましょう」と僕は言った。

 昼前に両国に着いた。両国は通りの両側に店が建ち並んでいた。店の前に立つときくは中に入っていった。布団屋には三軒入った。仕立て直したものではなく、真新しい布団を選んでいた。そうするように僕が言ったからだった。真新しい布団に寝られる機会なんて、今までのきくにはなかったことだろう。だから、そうしてやりたかった。そうすると、きくはあれこれ迷った。気に入った布団がなかったわけではなかったのだ。どれもきくの目を惹いた。だから、迷ったのだった。楽しい迷いだった。
 風車はどの布団でも良かったようだ。ただ、きくが迷っているので、付き合っていた。
 そして、きくは菊の花をあしらった柄の物を選んだ。その店で僕と風車の布団も枕も買った。そして、座布団も五つ買った。三組の敷き布団と掛け布団に枕と座布団は、荷車で店の小僧が運ぶことになった。
 昼餉をとった後に、一緒に新しい家に向かうことになった。
 昼餉は焼き魚の定食を頼んだ。旬の魚を焼いた物に、カボチャの煮物が付いてきた。味噌汁を掛けたご飯を匙でききょうに食べさせた。ききょうはよく食べた。お腹が空いていたのだろう。しかし、ぐずったりはしなかった。冷ましたほうじ茶もよく飲んだ。きくは、宿を出る時、哺乳瓶に白湯をもらうことを忘れていたのだ。それほど、新しい家のことに気が向いていたのだった。
 店を出る時、哺乳瓶に白湯をもらい、代金を払った。そして、すぐに布団店に向かった。
 小僧は店の前に、荷車に荷物を載せて、待っていた。
「待たせたな。さぁ、行こう」と言うと、「あいよ」と言って、荷車を引き始めた。
 途中の雑貨店で、当面必要な物を買い、荷車に載せた。
 また、菓子屋では饅頭を買った。これはきくが持った。

 石原の家に来た。門の横の戸の鍵を開け、門を開くと、そこから荷車を中に入れた。玄関の鍵を開け、荷車から降ろした布団などは、上がり口の板の間に置いてもらった。雑貨店で買った物も運び入れると、小僧には、手間賃と饅頭を渡して帰した。

 きくは上がり口から家の中に入り、早速、中を歩いていた。
「広いですね」と言うきくに「そうだろう」と僕は言った。
「掃除が大変」ときくは言ったが、その声は嬉しそうだった。雑貨店では、箒や雑巾等も買っていた。
「饅頭を買って来ましたが、お茶を出せませんね」
「鉄瓶はあっても、薪がないからな」と僕が言った。
「水で良いのなら、拙者が井戸から鉄瓶に水を汲んで来ますぞ」と風車が言った。湯屋の横に井戸があるのだ。
「じゃあ、頼みますか」と僕が言うと、「わたしは湯呑みを洗いますわ」ときくが言った。
「では、ご一緒に参りましょう」と風車は言った。
 きくは道具屋から買った鉄瓶と湯呑みを三つ取り出して、草履を履いた。そして、風車に鉄瓶を渡した。
 二人で井戸の方に歩いて行った。
 僕は上がり口から、座敷に入った。行灯はあった。菜種油があれば使える。
 廊下に出て、一通り雨戸を開けた。
 表座敷にも奥座敷にも霊らしきものは感じられなかった。定国も唸らない。夜にならないと出てこないということなのか、と僕は思った。
 寝室も女中部屋も見た。しかし、定国は唸らなかった。
 そのうちに二人は帰ってきた。
 雨戸を開けて、障子越しに光の入ってくる表座敷に上がって、鉄瓶から湯呑みに水を注いだ。そして、きくが懐紙の上に饅頭を二つずつ載せて僕と風車と自分の所に置いた。
 最初に風車が手を出し、あっという間に二個の饅頭を食べ、湯呑みの水を飲んだ。
 僕も饅頭を食べた。すぐに口がもごもごとなった。だから、湯呑みの水を飲んだ。やっぱり、お茶でないと美味くはないな、と思った。後で、風車と薪や炭を買いに行こうと思った。その時、菜種油も買うつもりだった。
 二つ饅頭を食べると小腹もいっぱいになった。
 釜と鍋は道具屋で買ってきていたから、食料も買う必要があった。いっぺんに揃えられないから、薪や炭などを買いに行った時に、米と味噌も買ってこようと思った。
 一息ついたところで、「出かけますか」と風車に言った。
「薪と炭ですな」と風車が言った。
「ええ、それと米に味噌」と僕は付け加えた。
「来る途中にいくつか店がありましたね。そこで買いましょう」と風車は言った。
 このあたりには店はなかったが、両国の近くにはいっぱい店が並んでいた。
 草履を履いて玄関を出ると、きくが見送りに出て来た。
 門の横の戸から外に出て、両国に向かった。

 薪と炭は風車が持ち、米は精米した米を麻袋に詰めた物を僕が肩に担いだ。米屋で味噌も買った。
 途中の八百屋でネギと梅干しと漬物を買った。
 石原の家に戻る頃には、くたくたになった。

 家では、きくが箒で掃き掃除をしていた。
「風車様、離れも掃き掃除はしておきました。お布団を運ばれても汚れませんよ」と風車に言った。そして、僕には「庖厨の瓶を洗って、水を汲んでくださいますか」と言った。
 僕と風車は顔を見合わせて、仕方がない、といったように立ち上がった。
 庖厨の瓶は意外に重かった。これを井戸端まで運び、中をよく洗って、また、空のまま、庖厨に戻した。これからが、大変なところだった。井戸で桶に水を汲むと、庖厨の瓶まで運び、中に流し込んだ。瓶は大きく、いくら運んでもいっぱいになる気配はなかった。それでも、運び続けるしかなかった。
 風車は布団を離れに運んでいた。
 その後、風車は井戸端に来て、「風呂に水を入れましょう」と言った。僕はようやく、瓶にいっぱいに水を運んだ後だったので、少し休みたかったが、風車の言うことはもっともだったので、一緒に井戸の水をくみ上げて風呂に入れた。これも途方もなく時間がかかった。

 きくの方も一段落したようなので、「夕餉でも食べに行きましょうか」と風車に言った。
「良いですね」と風車が答えた。
「きく、夕餉を食べに行こう」と僕は庖厨にいるきくに声を掛けた。
「着替えたら、行きます」と応えた。きくは前掛けを取り、着物を着替えて出て来た。
「じゃあ、行きましょう」と僕は言った。