三十九
湯上がりの一局は意外にも接戦になった。
やはり、後手番三子局の形で戦った。この方が戦い慣れているからだった。
後で打った一子を取られないようにすればいいのだ、と割り切った。
風車はこの石を取りに来た。攻めが強引だった。僕は取られないように、慎重に目を作りに行った。そして、目を作ることができた。これで、三子局と大差がなくなった。
ただ、三子局と二子局では、やはり違いはあった。大きく取られなくても、地は減らされた。それでも、ハンディをもらっている分の有利さはあった。とにかく石を取られないように注意した。
本来、強くなっていけば、石を取らせて勝つ勝ち方もあるのだが、その時の僕には、そんなことは無理だった。
風車の棋力もそれほどではなかったのだろう。
その碁は最後に、僕の見損じで二目を取られてしまい負けたが、一目差の勝ちまで迫っていたのだ。
そして夕餉になった。
「あー、もうすぐ江戸だ」と風車は言った。
「江戸にはいい女がいっぱいいるんでしょうなぁ」と風車は僕に訊いてきた。
「さぁ、どうでしょう」と応えた。
「浅草にも行きたいですよね。浅草寺にお参りしなくちゃ」と言った。
すると、きくが「浅草ならわたし行きましたよ。浅草寺にもお参りしましたし」と言った(「僕が、剣道ですか? 3」参照)。
「えっ。おきくさんは江戸に来たことがあるんですか」と風車が驚いたように言った。
「はい」ときくはあっけらかんと答えた。
僕は慌てて、きくの耳元で「それは秘密だよ」と言った。きくは僕を見て、そうなのですか、という顔をした。僕は頷いた。
「じゃあ、どんな所でしたか」と風車が訊いた。
すると、きくはばつが悪そうに「勘違いでした」と答えた。
「若鷺藩から白鶴藩まで旅をすることがあったので、その時と混同していました」と言った(「僕が、剣道ですか? 4」参照)。
「ほう、若鷺藩から白鶴藩まで旅をすることがあったのですか」と風車が訊いてきたので、きくは「はい、ございました」と答えた。
「それでは、おきくさんは随分と旅をされているんですね」と言った。
「ええ」ときくは応じた。
夕餉が終わると、風車はすぐ碁盤を取り出してきた。
僕はしょうがないなぁ、という顔をしたが、風車と碁を打つのは嫌いではなかった。風車は姑息なことはしなかった。堂々の打ち筋だった。それが気持ちよかった。
姑息なのは、僕の方だった。何とか風車が見逃してくれないものかと、あれこれ、策を講じたが、ことごとく潰された。
夕餉の一局も接戦になった。
僕には、分からなかったのだが、おそらく、風車の打った一手に誤算があったのだろう。僕は風車の石を取ることができた。その時には、形勢は僕の方が大分良かったはずだ。しかし、風車は懸命に追い上げてきた。
最後まで、僕の方が勝っていると思っていたが、目数を数えてみると、三目僕の負けだった。
「あー、また負けましたか」と僕は言った。
「でも、今のは際どかったですよ。寄せで、正確に打たれていたら、拙者の負けでした」と風車は言った。
「寄せがいまいちなんですよね」と僕は言った。
「そのうち、うまくなりますよ」と風車が言った。
「そうだといいんですけれど」と言って、碁は終わりになった。
布団が敷かれて、僕は布団に潜り込んだ。きくはききょうを抱いて、僕の隣に来た。
「江戸に来るのは、これで二度目ですね」ときくは言った。
「そのことは風車には内緒だからな」と僕は念を押した。
「わかっています」
「最初の時は、現代という時で、江戸とは言わず、東京と言っていたんだ。だが、今は江戸だ」
「そうなんですね」
「うん。東京とは違っているが、人はいっぱいいるぞ」と僕は言った。
「楽しみです」
「そうだな」
そのうち、僕らは眠った。
朝餉を食べ終わり、代金を払って宿を出た。
僕は台車を押して歩いて行った。しかし、昨日から感じていたのだが、台車の調子がおかしかった。変な音がしたのだ。
そして、とうとう、台車の車輪が壊れた。それも左右いっぺんにだった。台車を直すのにも、次の宿場まで遠かった。
台車を道ばたに寄せて、荷物を降ろした。
まず、ショルダーバッグを空にして、その中に千両箱を詰め込んだ。そして、ショルダーバッグの空いているところに、チョコレートやミルクの袋を入れて、トランクスときくのショーツを詰めた。それでショルダーバッグは一杯になった。
中に入っていた、ジーパンや長袖シャツや肌着、タオルなどは取り出すしかなかった。それと、安全靴も、だった。
他の風呂敷包みはもう一杯だった。それで、もう一枚、風呂敷包みを作るしかなかった。まだ、風呂敷自体はあった。何があるか分からなかったから、多めに持ってきていたのだ。
風呂敷包みは五つできた。
風呂敷で包んだショルダーバッグを肩から提げて、背中には、大きなナップサックを入れた風呂敷包みを背負った。そして、小さなナップサックを入れている風呂敷包みと哺乳瓶やおむつカバーにタオルが六枚入っている風呂敷包みを左右の手に持てば、もう一つの大きな風呂敷包みは持てなくなる。
そんな時、「拙者が背負いましょう」と風車が言ってくれた。そして、すぐに自分で背負った。
「どうです。似合うでしょう」と言った。
ありがたかった。
「風車殿。かたじけない」と僕は言った。
「何の、お互い様ですよ」と風車は言った。
ここは風車の厚意にすがるしかなかった。
台車は木の陰に捨てていくことにして、僕らは歩き始めた。
風車が背負っている風呂敷包みは、僕のジーパンに長袖シャツと肌着にバスタオルが四枚、そして、僕ときくの着物の着替えも入っていた。
それほど重くはなかったろうが、大きさはあった。
大きな背中に、大きな風呂敷包みは妙に似合っていた。
次の宿場に来た。僕は、台車を売っているところを探したが、見つからなかった。
「このままでいいですよ。もう江戸も近いことだし、台車を押して歩くのも変でしょう」と風車が言った。
「済みません」と僕は言った。
「何のこれしきのこと、構いませんって」と風車は言った。
僕らは昼餉をとることにした。
蕎麦屋に入った。僕はもり蕎麦にし、きくと風車はかけ蕎麦にした。
きくはご飯をもらい、つゆをかけて、匙でききょうに食べさせていた。
哺乳瓶に白湯をもらって、蕎麦屋を出た。
段々、江戸に近付いている気分になってきた。人と行き交うことが多くなった。
途中の宿場で、甘味処に入り、団子を食べた。
きくはききょうに哺乳瓶から白湯を飲ませていた。
その宿場を出ると、いよいよ江戸に入った。
少し行くと、ぽつぽつと見えていた家が、次第に多くなり、やがて、そこら中に家が並ぶようになっていた。