小説「僕が、剣道ですか? 5」

二十一
 朝、起きると、ききょうがはいはいしてやってきた。抱え上げると、嬉しそうに笑った。頬ずりはせずにほっぺたをくっつけた。柔らかな肌だった。
「お前は美人になるな」と僕は、親馬鹿だが本気でそう思って言った。

 風車は朝餉でもご機嫌だった。昨日、荒木に負けたことを忘れたかのようだった。
「今日もどこか道場でも見付けたら、お邪魔しましょうよ」などと言っている。今度は勝つつもりなのだろう。
 小手が狙われているということが分かれば、風車ぐらいの力量の者なら何とか対処できるに違いない。そう思っているからこそ、道場を見付けたいと思っているのだろう。

 宿を出ると、急いで歩き出した。早く次の宿場に向かいたかったのだろう。
「風車殿。お気持ちは分かるが、私らは急いでは行けない。もう少し、ゆっくりと歩いて欲しいものです」と言った。
「これは失礼しました。気が急いていたものですから」と頭をかいた。

 次の宿場に着いた。風車は町道場を探したが、それらしきものはなかった。
「がっかりされることはないでしょう」と僕は慰めた。
「そうでござるな」
「少し早いですが、昼餉にでもしましょうか」
「そうしましょう」
 僕らは蕎麦屋に入った。
 品書きにそうめんと書かれていたので、風車も僕もきくもそうめんを頼んだ。
 のどごしのいいそうめんはすぐになくなったので、風車はおかわりをした。僕らもおかわりをした。
 ききょうには、ご飯をもらい、味噌汁を掛けて匙で食べさせた。
 きくがききょうの哺乳瓶に白湯をもらうと、代金を払って蕎麦屋を出た。

 次の宿場にも道場はなかった。
「そうそうに道場なんてありませんよ。ここは城下町じゃあないんだから」と僕は言った。
「それもそうですね」
 城下町でなければ、侍の子弟はいない。だから、道場もないのだ。竹内道場があったのが、珍しいくらいなのだ。
 その宿場では、お汁粉を食べた。風車は二杯も食べた。

 店を出ると、次の宿場で泊まることにした。
 僕はきくにあまり無理をかけさせたくはなかったのだ。
 歩いて行くと商人風の夫婦が追い越していった。その後に若い男にも追い越された。
 僕らはよほどゆっくりと歩いていたのだった。台車を転がしていたから、仕方がなかったのだが。

 次の宿場に来ると、どこに泊まるか迷った。どこも店構えは良さそうだった。
 仕方なく、近くの宿に泊まることにした。
 風呂に入ろうと準備をしていたら、隣の相部屋から商人の声で「財布の中に二十両がない」と言う声がした。
「道中ですられでもしたんだろう」と言う風車の声がしてきた。
「いや、宿に入る時には、ちゃんと財布の中に二十両はあった」と商人は言った。
「この宿でとられたんだよ」と商人の奥さんらしき人の声がした。
 商人は女将を呼んだ。そして、二十両がとられたことを言った。
「まぁ、大変」と女将は言い、女中に「番所に行って、役人を呼んできて頂戴」と言った。

 僕は風呂に行くどころのことではなくなっていることに思い至った。
 しばらくして、番所の役人がやってきた。隣の部屋を捜しているようだった。
 隣の相部屋には、商人夫婦の他に、若い男と風車がいた。
 風車の荷物が調べられ、巾着から四十両を超える大金が出て来た。
「これはどうしたことだ」と役人が風車に言った。
 風車は、高越藩の秋坂源治郎に頼まれ、追っていた脇村新左衛門を討ち果たしたことで三十両を手にしたことを話した。しかし、役人は俄には信じなかった。
 そこで僕が襖を開けて、役人に「風車殿の言われていることは、真です。私もその場におりましたから」と言った。
 役人は「貴殿は」と名を尋ねたので、「鏡京介です」と答えた。
「済まぬが、貴殿の部屋も改めさせてもらう」と言った。
 下役人が二人入ってきた。
「どうぞ」と言うと下役人はまず、僕らの身体検査から始めた。きくが五十両ほどの巾着を持っていたので、「これは」と訊かれたが、「江戸までの費用と江戸で暮らす資金です。それくらいは必要でしょう」と言うと彼らは納得した。僕らが個室に泊まっていたこともあったのかも知れない。金に困っているようには見えなかったのだろう。
 それは良かったのだが、荷物の中には彼らに見せられないものが入っていることに僕は気付いた。
 下役人が部屋の隅に置いてある荷物を改めようとした時、時を止めた。
 慌てて、千両箱やナップサックやショルダーバッグを取り出すと、それを布団の入れてある押入れに隠した。タオルに包まれたおむつはビニール袋に入っていたが、ビニール袋も取り去るしかなかった。
 おむつ代わりのタオルはしょうがなかった。普通のおむつと思うだろうと思った。着替えの着物をくしゃくしゃに丸めて膨らみを持たせた。風呂敷だけをきくの着物と僕の着物にかえて、その他は押入れに移動した。そこで時を動かした。
 下手役人が風呂敷を開けた。おむつの匂いが漂った。後は着物だけだった。すぐに風呂敷は閉められた。
「念のため、押入れも見てみよう」と言い出した。僕は風呂敷を隠すように立ってから、時を止めて、押入れに入れてあった物を風呂敷が置いてあったところに戻し、風呂敷で包んだ。ビニール袋も取り出し、おむつ代わりのタオルをそこに入れた。おむつの匂いはしなくなった。
 僕は風呂敷を隠すように立つと時間を動かした。押入れが開けられ、中を点検されたが、何も出ては来なかった。
「失礼した」と役人は頭を下げた。
 僕はほっと胸をなで下ろした。
 すると二十両はどこに消えたのだろう。
 さっき、風車を弁護するために相部屋に入っていった時に、若い男が足袋を履いていたのが気になった。
 時を止めた。床の間の定国を手にすると、鞘から抜き、隣の相部屋に入っていった。まだ下役人はいた。役人は相部屋に戻っていこうとしていたところだった。
 定国を持って相部屋に入ると、すぐに唸り出した。その音は若い男を示していた。その男に近付き、足袋を定国で指すと一層唸りが激しくなった。
 二十両は足袋の中に隠されていたのだ。
 僕は部屋に戻り定国を鞘に収めて、床の間に置いた。
 そして、時を動かした。役人が出て行こうとするので、「ちょっとお待ちください」と言った。
「何かな」と役人は言った。
「さっき、風車殿の釈明をするために、相部屋に入ったのですが、足袋を履いている者がいました。変ではないですか。もう初夏なんですから、部屋に入ったら足袋なんて、すぐに脱ぎたくなりますよね」と言った。
 役人は、はっとした顔をして、「その若い男の足袋を探れ」と下役人に言った。
 若い男は逃げ出そうとしたが、下役人に取り押さえられた。そして、足袋を脱がされた。すると、その足袋は二重底になっていて、その両足の足袋の中に十両ずつ、小判が隠されていた。
「ありました」と下役人の声がした。
「やはり、そこにありましたか」と僕は言った。
 役人は「貴殿に感謝する」と言うと、下役人に「その者を引っ立てろ」と言った。
 そして、商人夫婦にも「確認と調書を作るため、番所まで来てもらいたい」と言った。
「わかりました」と言って、商人夫婦は立った。そして、僕の方を見ると、頭を下げた。
 僕も軽く頭を下げた。

 部屋に戻ると、きくに「くしゃくしゃにして済まなかったな」と言った。
 するときくが「時を止めたんでしょう」と言った。
「どうしてそれを」
「だって、そうでもしなければ、千両箱が消えてなくなるわけがないでしょう」と言った。
「そうか。それもそうだな」

 そう言っている時に、風車が隣から「風呂にでも行きましょうか」と声をかけてきた。
「良いですね。待っててください」
 僕は支度をすると、廊下に出て、風車と一緒に風呂に向かった。