小説「僕が、剣道ですか? 5」

十六

 きくはききょうがいるのでお汁粉を二杯頼んだ。僕は饅頭と串団子にした。風車はおはぎを五つ注文した。

「五つも食べられるのですか」と僕が訊くと、「いつもならもっと食べていますよ。これでも遠慮しているくらいです」と答えた。

「そうですか」

 

 甘味処を出ると、雨がぽつりぽつりと降ってきた。

「雨ですな。次の宿に急ぎましょう」と風車が言った。

「そうですね」と僕は応えた。

 僕らは道を急いだ。雨の中を台車を転がしていくのは、大変だったからだ。

 幸いに、雨がそれほど激しくならないうちに次の宿場が見えてきた。

 宿場に着くと、大きそうな宿屋を選んだ。

 中に入り、僕らは個室を頼み、風車は僕らの隣の相部屋を頼んだ。その時、風車が女将に何か注文をつけていた。

 僕らはそんな風車を残して、台車を玄関に置き、荷物を僕が全部持つと女中に案内される部屋に向かった。角部屋の良い部屋だった。その時になって、雨が急に強くなった。

 早く宿が取れて良かったと、きくと顔を見合わせた。

 荷物を部屋の隅に置くと僕は畳に寝転がった。

 そうしているうちに、隣の相部屋に風車が入ってきたようだった。彼も荷物を置くと、襖越しに「いいですか」と訊くので、僕は起き上がって座ると「どうぞ」と言った。

「いやぁ、本降りになってきましたね」

「そうですね」

「早く宿が取れて良かったですね」と風車が言うので「全く」と返した。

「明日も雨だったらどうするんですか」と風車が訊くので、「その時は、私たちはもう一日ここに泊まることにします」と答えた。

「なら拙者も泊まることにします」と風車が言った。

「あなたは別に泊まる理由はないでしょう」と僕が言うと、「いや、ありますよ。鏡殿と江戸までご一緒するんですから」とさも当然のように返してきた。

「私たちと一緒にですと……」と僕は半ば困ったように言った。公儀隠密に追われているからだった。

「ええ、公儀隠密に襲われているのはわかっています。でも、ワクワクするじゃあないですか。鏡殿が彼らを倒していくのを見ると、すぅっとします」と言った。

「気軽に言いますね」と、僕はまるで富樫を相手にしているような気分になった。

「実際、そうなんだから、しょうがありませんよ」と風車は言った。

 暖簾に腕押しだった。

 

 ききょうがはいはいして寄ってきた。抱き上げて頬ずりをしようとすると痛がった。今日は、まだ風呂に入って髭を剃ってはいなかったのだ。

「少し早いですが、風呂にでも行きますか」と僕が風車に言った。

「いいですね。そうしましょう」と風車は応えた。

 僕はきくに「今日から、私がききょうと風呂に入ることにする。準備をしてくれ」と言った。

「おむつを洗わなければなりませんよ、風車さんと楽しく話をしたいのなら、ききょうはわたしが風呂に入れます」ときくは言った。

「そうか、おむつがあったか。分かった。きくの言うとおりにする」

 風呂に入る準備をして廊下に出ると、風車が待っていた。

 僕らは一緒に廊下を風呂場に向かった。

 

 部屋に戻り、きくとききょうとが風呂に入りにいった。

 部屋の隅に碁盤があるのを、風車は見付けた。

「鏡殿は碁はできますか」と訊くので、「少しは」と応えると、「なら、一局、お相手願いましょう」と言った。

 碁盤を部屋の中央に置くと、「拙者が黒石を持ちましょう」と言って、こちらの右上隅、三三に打ってきた。風車の碁は、名前に似合わず緻密だった。

 僕も少しはできると思ったが、完敗だった。大石を取られた。風車の中押し勝ちだった。

 そのうちに、きくとききょうが風呂から戻ってきた。

 僕はすぐにききょうを抱き上げると頬ずりをした。ききょうは今度は嫌がることもなく、くすぐったそうに笑った。

 それを見ていた風車が「拙者にも抱かせてもらえませんか」と言うので、「どうぞ」とききょうを風車に渡した。風車は髭を伸ばしているので、頬ずりはしなかったが、腕を上げて高い高いをした。

 そして、僕にききょうを返しながら「意外に重いんですね」と言った。

「そりゃあ、日に日に大きくなりますから」と応えた。

 

 そうこうしているうちに夕餉の膳が運ばれて来た。

 いつもは一品少ない風車の膳のおかずが僕らと同じ数になっていた。宿に入った時、女将に注文をつけていたのは、このことだったのかと納得した。やはりおかずが一品少ないことが気にかかっていたのだ。

 夕餉になると、風車は今日のことを話し出した。

 よほど得意だったのだ。

「相手は何しろ新影流の使い手。拙者がひるんではどうにもならないから、思い切って突っ込んでいったら、案外、簡単に斬ることができました」と言った。

 その時、きくが僕の方を見た。僕が何かやったのではないかと疑っているのだ。首を振ったが、きくは僕が何かやったと思っているのは間違いなかった。草履の時に確信したのだろう。

 風車の名調子はなおも続いた。

 僕らはその話をおかずに夕餉を進めた。

 

 布団に入ると、きくが「本当に何もしなかったんですか」とやはり気になるようで訊いてきた。

「しなかったとも」と言うと、「でも、お顔に書いてありますよ」と言った。

 僕が慌てて顔をこすると、きくは「やっぱりね」と言った。

 思った通りという顔をすると「京介様がわかりやすい人で良かったです」と言って、布団を被った。