小説「僕が、剣道ですか? 5」

二十三
 宿場に着くと風車が食事処を探してくれた。
 風車が見つけた所に行き、奥の部屋に通されると、僕は畳の上に倒れるように寝転がった。
 女中が注文を取りに来た。僕はきくに任せた。
 風車は「鰻はないのか」と女中に訊くとあると言うので、「では鰻定食を頼む」と言った。それを聞いて、僕もきくに「同じものを頼んでくれ」と言った。
 結局、鰻定食三つを頼むことになった。風車のご飯だけが大盛りになった。

 僕は寝転がりながら考えた。相手は、おそらくもっとも手裏剣に長けた者を二十人も用意して待っていたのだろう。それでも僕を仕留められなかったことは、相手の方の痛手が大きかったことに違いがなかった。同じような手裏剣の使い手が、他に大勢いるとは思えなかったからだ。
 それなりに決戦に出ているのだ。しかし、ことごとく僕が弾き返している。一歩一歩と江戸に近付いている。焦っているは、相手の方だろう。

 鰻定食が運ばれてくると、僕は起き上がった。考えていても始まらなかった。今は体力をつけておく方が大事だった。
 ききょうの面倒は、きくが見たが、時々、風車も何かをしたくなっているようだった。
「きく、風車殿に匙を貸してあげろ」と僕が言った。
「良いんですか」と風車が嬉しそうに言うと、「良いですよ」と僕は応えた。
 風車は肝吸いをかけたご飯をききょうに食べさせた。ききょうは風車の匙から、ご飯を食べた。風車はまたしても匙で食べさせた。それが何回か続いて、「ききょうちゃんは可愛いですね」と言って、風車は匙をきくに渡した。
 僕はご飯を食べると元気が出て来た。
「鏡殿はようやく元の調子に戻られたようですね」と風車が言った。
「ということは相手はそれほど強かったということですか」と訊いた。
「ええ、今までとは比べものにならないくらい強い連中でした」と僕は答えた。
「いよいよ、江戸に近付いたので、相手も本気になってきたんですね」と風車は言ったが、その通りだと僕も思った。
「風車様は呑気で良いですね。大変なのは私たちなのですよ」ときくが言うと、「それはそうでした。失礼しました」と風車が言った。
 勘定を済ませて、食事処を出た。

 山道が続いていたが、相手が襲ってくる気配はなかった。相手の戦力も相当削られているということなのだろう。
 襲われない間に僕たちは道を急いだ。
 次の宿場に来ると、風車はやはり道場を探していた。
「こんなところにはありませんよ」と僕は言った。
「でも、この前はあったじゃありませんか」と風車が言った。
「あれは、たまたまです」
「でも、ここにもたまたまってことはあるかも知れませんよ」
 結局、道場は見つからず、僕らは甘味処に入った。
 風車はぼた餅を三つ頼んだ。僕らはタレのかかったくし団子を二本頼んだ。ききょうのためにお汁粉も頼んだ。
「拙者も鏡殿のように忍びの者と戦えると良いのですがね」と風車が言った。
 僕は即座に「やめておいた方が良いですよ」と言った。
「何故です」
「相手は、普通の剣術使いと違って、手段を選んできません。手裏剣のような飛び道具で襲ってきますからね。慣れていないと簡単に手裏剣の餌食にされるだけですよ」と言った。
「そうなんですか。そういう相手と鏡殿は戦っているんですね」
「そうです」
 そう話して言るうちに頼んだものが運ばれてきた。
 風車はぼた餅を、たちまち平らげた。
 僕らはゆっくりと食べた。
 僕の疲れはすっかり取れていた。
 ききょうは、匙で掬われたお汁粉を美味しそうに飲んでいた。ききょうを見ているだけで、心が癒やされる感じがした。
 ともすれば、このまま現代にきくとききょうを連れて行けば、ことは済むのではないかと思ってしまう。しかし、僕の心の底では、僕らを狙う元凶をこのまま、この時代にのさばらせておくことはできなかった。必ずや、見つけ出し、その者に相応の報いを受けさせるつもりだった。
 そうでなければ、何も知らず命じられただけで死んでいった大勢の公儀隠密が報われないではないか。

 代金を払って、甘味処を出ると、「次の宿場で泊まりましょう」と僕が言った。
「そうですね」と風車も応えた。そして、囲碁をする手つきをした。
 僕は笑った。

 次の宿場に来ると、大きな看板を出している宿に泊まることにした。
 僕らは個室で一人一泊二食付きで四百文のところを、風車は相部屋で一人一泊二食付きで二百文の部屋にした。当然、僕らの隣の部屋を頼んだ。
 部屋に上がると、襖越しに風車が早速「一局、どうですか」と訊いてきたので、「先に風呂にしませんか。私は戦いをしたので」と言うと「そうでしたね。うっかりしてました。良いですよ。先に風呂にしましょう」と風車は言った。
 僕はビニール袋に入れた、長袖のシャツやジーパン、安全靴を取り出して、それらを丸めて、新しいトランクスに浴衣と手ぬぐいを持つと廊下に出た。
 風車が待っていた。一緒に風呂に向かった。
 風呂場で、僕が長袖のシャツなどを洗っていると、「珍しい物を持っていますね」と言った。僕はしまったと思ったが、風車が僕が長袖のシャツやジーパンを洗うのを見るのは初めてだろうかと考えた。風呂場では初めてかも知れないが、沢で洗うのは見ていたような気がする。
「これらは御禁制品なんですよ」と僕は言った。
「だから秘密ですよ」
「それで公儀隠密に狙われているんですか」
「まさか。それだけの理由ではありません。でも、私も理由が知りたい。そっとしておいてくれれば、こちらからは何もしないのに」と言った。
「全くですね」と風車は言った。

 風呂から出ると、碁盤を風車は持ってきた。
 風車は「拙者に負け続けるのは、面白くないでしょう」と言った。
 僕は頷くしかなかった。
「良いことを思いついたんですよ。置き碁って、知っていますか」と訊くので、僕は首を左右に振った。
「最初に石を置いておくのです。でたらめな場所ではありませんよ。置く場所は決まっています。例えば、四子、石を置くとしたら、この四隅の星の位置にそれぞれ石を置くのです。そして、勝負をする」
「つまり、ハンディ戦ですね」
「ハンディって何ですか」
「いや、つまり、力の差を同じようにするために、最初から差をつけておくことです」
「そう、それ。で、拙者と鏡殿の碁の力の差を考えたら、四子、置き石をすれば釣り合いが取れるんじゃないかと思いまして」と風車が言った。
「いいですよ。その四子を置いて、対局しましょう」
「そう来なくちゃ」

 置き碁は初めてだったが、面白かった。あんなに強かった風車がそれほど強く感じなくなった。四子最初に置いてあるせいで、四丁も成立しにくくなった。それに僕の石が囲いやすくもなった。
 戦いはどちらが勝つか最後まで分からなかった。
 最後に打って、目数を数えたら、僕の方が四目勝っていた。二度目の勝利だった。
 その時、夕餉の膳が運ばれて来た。
「夕餉の後に、もう一局やりましょう」と風車は言った。負けたのが、悔しかったのだ。
「良いですよ、やりましょう」と僕も応じた。