小説「真理の微笑」

   真理の微笑

 

                 麻土 翔

 

 事故があった。車が崖から落ちたのだった。

 ひと月、意識がなかった。二週間、意識の混濁の中にいた。

 そして、今日私は医師の手に依って解放された、六週間私の顔を覆っていた包帯から。

 

 名前を呼ばれた気はしたが、よくわからないままに頷いた。

「さあ、ゆっくり目を開けて」

 私は言葉に従って、目を徐々に開いた。

「そう、いいですよ。ゆっくりと開けて下さい」

 真っ暗な洞窟の重い扉が急に開かれて、夥しい光の渦が一度に流れ込んできたかのような感じだった。

 しばらくはただ真っ白いだけで何も見えなかった。ぼんやりとして焦点がうまく結べなかった。そのうち目の前で何かが動いた。

 肌色だった。ゆっくりと右に、左に。先がいくつかに割れて。い……いつつ、五つ。

 て?……。そう、手だった。

「見えますか」

 ええ、と言おうとしたが、喉に何か詰まっているようで声にならなかった。ただ、呻くようなごろごろとした音が口から洩れた。

 次第に焦点が合ってきた。私は何人もの顔が覗き込んでいるのを知った。ちょうど魚眼レンズを見ているように光景がたまご型に膨らんで、人々の顔が半魚人状に歪んでいる感じが、ちょっとした。

「さぁ、ご覧なさい」

 医者のすぐ脇にいた、かなり歳のいった体格のいい看護師が丸い手鏡を差し伸べた。

「どうです」

 私は、酸欠状態に陥っていた金魚が小さな金魚鉢の水面に口を突き出すような切ない解放感とともに、看護師の持つ鏡を覗いた。

「ご自分の顔ですよ」

 私は丸い鏡の中に、肖像画のような男の顔を見た。まるで実在感がなかった。のっぺりとして変につやつやした顔だった。それが〈自分〉の顔だった。

「どうですか。全く元のままだと言えないにしても、傷跡はほとんどわからないでしょう」

 私は僅かに頷いた。完全に条件反射的だった。

 別の医者の無骨な手が私の顎をぐいっと掴んだ。上を向いた顔に蛍光灯の光が襲いかかるように飛び込んできた。ひどく眩しかった。

「よし」

 彼は一言そう言っただけだった。極めて事務的だった、少しも人間味を感じさせないほどに。

 再び私の視線は鏡の中に戻った……はず……だ。そこには〈私の顔〉がある……。

  と、私は口がきけなかった、目を見開いたまま。

 驚愕するというより恐怖が全身を包んでいた。おこりのように躰の奥底から震えが湧き上がりそうだった。口を開けば悲鳴を上げかねなかった。

 やつだ、やつがいる!

 私は、ほんの少し前まで全く思い出せなかった富岡修の顔を見い出していた。

 そ、そんな、ばかな!

 さっきは、私はそれが鏡に映った自分の顔だとは気付かなかったのだ。もし自由に躰を動かす事が出来たなら、ベッドから飛び起き、その場から逃げ出していたのに違いない。

 何故なら、富岡は私が殺した男だったからだ。