四
次の日は、午後五時から午前一時のローテーションなので、午後五時に西新宿署に行った後、午後五時半に交番に行き、引継ぎをして勤務についた。もちろん、ひょうたんは持ってきていた。ズボンのポケットに入っている。
夜、十時頃に西新宿公園にパトロールに出るつもりだった。もちろん、目的地は遺体の発見場所だった。
西新宿公園で発見された遺体は、身元の分かるものは所持していなかった。そこで、午前中に解剖の済んだ遺体を、石井和義の奥さんに見せたところ、石井和義本人だと確認された。
石井は絞殺された後、埋められたのだが、絞殺現場は西新宿公園ではないというのが鑑識の判断だった。
ここまでのところは西新宿署で聞いてきたことだった。
あのように毎日、交番を訪ねてきた石井和義の奥さんが気の毒になった。彼女は夫が自殺でもするんじゃないかと心配していたが、結果はもっと悪い方向に転がった。遺体安置所で夫の顔を確認した彼女が、泣き崩れた話は僕にもショックだった。
午後十時になるまで、数人の人が道を尋ねてきた。僕は丁寧に答えた。
そして、午後十時になったので、『パトロール中です』という掲示板を出して、自転車で西新宿公園に向かった。もちろん、ズボンのポケットにはひょうたんを入れていた。
東側の林に『立入禁止』の黄色のテープが貼られている箇所があった。僕はその中に入っていった。死体が埋められていたと思われる場所に立って、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。
あやめの声がした。
「霊気を感じるか」と訊いたら、「はい、一人の強い霊気を感じます。それから何人かの霊気も感じます」と答えた。
僕は「それを読み取ってくれ」と言った。
「はーい」と言う声がして、静かになった。
あたりを照らしてみたが、もちろん誰もいなかった。
僕は今回の殺人事件が不思議だった。使途不明金を石井和義が使い込んだことにすれば、事は簡単で済む。その場合、明らかに殺人と分かるように殺すのではなく、富士の樹海にでも連れて行き、首を吊らせた方が遥かに理に適っている。そうしてワープロで作った遺書でも残しておけば、自殺として処理されただろう。そして、使途不明金の使い道は永遠に分からなくなる。どうしてそうしなかったのだろう。
西新宿公園に埋めれば、遅からず必ずや発見されるだろうし、殺人だということも明白になる。そうなれば、警察の捜査も厳しくなる。使途不明金の使い道は、より追求されることになるだろう。犯人にとって、別の場所で絞殺した石井和義の死体を西新宿公園に埋めることにどんなメリットがあるのだろう。
三十分ほどそこにいた。すると、ひょうたんが振動して「戻りました」と言うあやめの声が聞こえてきた。
「石井和義の霊気は読み取ったのか」と訊くと、「はい、読み取りました。他の人の分も読み取りました」と答えた。
「それを私に見せることができるのか」と訊くと、「霊気を送ることができます。それを見ればおわかりになると思います」と答えた。
「では、送ってくれ」と言った。
「わかりました」とあやめが言った途端に、頭の中が映像の強いシャワーをかけられたような感じになった。躰がフラついた。頭がクラクラした。視覚的にはビデオを高速で見ているような感じだった。音は聞こえなかったが、それは聞こえる範囲を超えていたためだろう。十分もすると、目眩が止まった。頭を銛で貫かれて、それが抜けていったような感じだった。
「これでどうすればいいのだ」と僕はあやめに訊いた。
「見たい人の映像を思い浮かべればいいのです」と答えた。
「知らない人のはどうするんだ」と訊くと「順に見ていけば、わかります。とにかく、やってみてください」と答えた。
僕は石井和義の顔を思い浮かべた。すると、石井和義の若い時の記憶が浮かんできた。見たいのは、失踪時のものだったから、映像を進めた。失踪日の自宅を出るところから、始まった。会社に向かって歩いていた。後ろから黒の車が来たので、石井は避けた。すると、車は石井の横に停まり、後部座席のドアが開いた。後部座席の奥に座っていた者が「石井和義さんですよね。常務に言われて来ました。お乗りください」と言った。常務という言葉を聞いて、石井は安心して車に乗った。
前の助手席に座っていた男が降りてきて、後部座席のドアを閉めた。そしてすぐに助手席に戻り、車は発進した。
「どこに行くのですか」と石井は訊いた。後部座席の男は、「わたしたちの会社です。今、おたくの会社には記者たちが張り込んでいて、あなたが来るのを待っているんですよ。それでおたくの常務に言われて、わたしたちの会社でかくまうことにしたのです」と言った。
「わたしはかくまわれなければならないようなことは何もしていませんよ」と石井は言った。
「それはわかっています」
「それならどうして」と石井は言った。
「世間はそう甘くはありませんよ」
「どういうことですか」と石井は言った。
「知りませんか」
「わかりません」
「使途不明金はあなたが私用で使い込んだと思っているんですよ」と後部座席の男が言った。その男は明らかに嘘を言っていた。男の霊気からそれが分かった。
「そんな。あれは政治献金じゃあなかったんですか」と石井は言った。
「そうじゃあなかったことは、あなたも薄々気付いていたんでしょう。そうでなければ、悩みはしないでしょう」と後部座席の男が言った。
車はある会社に着いて、その地下駐車場に降りて行った。
後部座席のドアが開けられた。そこには、大きな体格の男が立っていた。後部座席の男も降りて、石井の隣に並んだ。
そして奥のエレベーターのところまで行った。エレベーターのボタンは八階まであった。
大きな体格の男が五階を押した。
エレベーターが降りてきた。三人で中に入った。
石井は二人に挟まれる形になった。
五階のドアが開くと、すぐ右手の部屋に案内された。
部屋の中には、中年の男性が奥のデスクに座っていた。そして立って、石井のところまで来ると「ここに来ていただきありがとうございました」と言った。
「わたしはどこに連れられてきたんですか」と石井が言った。
「わたしの会社ですよ」と中年の男は言った。社名は言わなかった。
「わたしはどうなるんですか」と石井が不安そうに言った。それもそうだろう。いきなり、拉致されてきたのだから。
「ここに一週間ほどいてもらいます」と中年の男は言った。
「一週間もですか」と石井が言った。
「ええ、少なくとも騒動が収まるまではそれくらいかかるでしょう」と中年の男は言った。
僕には中年の男が本気でそう言っているのではないことが霊気から分かった。
「妻や会社に連絡します」と言って、石井が携帯を取り出すと、体格のいい男がそれを取り上げた。
中年の男は「あなたを解放するまで、どこにも連絡はできませんよ」と言った。
「わたしをどうするんだ」と石井は言った。石井はここがまともな会社ではないことは、すでにわかっていた。
「どうもしませんよ。とにかく、一週間はここにいてください」と中年の男は言った。
「それでは、妻が心配するし、会社にも迷惑をかける」と石井は言った。
「そんなこと心配しなくてもいいんですよ」と中年の男は言った。
「汗をかいていますよ。水でも飲んだらどうですか。ペットボトルをお渡ししますから、それを飲んで気を楽にしましょう」と車の中で後部座席に座っていた男が言った。
体格のいい男がペットボトルを石井に渡した。
石井はペットボトルを受け取ると、急に喉の渇きを覚えた。ペットボトルの蓋を開けて中の水をかなり飲んだ。
途端に睡魔が襲ってきた。ペットボトルには、睡眠剤が仕込まれていたのだ。
崩れようとする石井を体格のいい男が抱き留めた。彼らの霊気でそれらが分かった。