小説「僕が、警察官ですか? 1」

 家に着いた。

 風呂に入って着替えると、ビールを飲みながら、録画してあったテレビのニュースを見た。きくとききょうと京一郎は先に夕食を済ませていた。今日は剣道の練習があるから、遅いと言ってあったからだ。

 

 ニュースでは、前川の関連会社からも、一キログラムの覚醒剤が見つかったことが大きく報道されていた。それに対して、肝心の石井和義のことは何も報道されなかった。前川が石井については知るはずもないから、警察も発表するものがなかったのだ。

 前川に関しては、石井和義殺害のことよりも覚醒剤の方が問題が大きかった。おそらく捜査二課が入って取調を続けていることだろう。黒金組傘下の近藤組にとっても、中核の前川が逮捕されたことは大きな痛手になったことだったろう。

 ということは黒金組にとっても痛手となる。黒金組と敵対している関友会にとっては都合良くことが運んでいたのだ。

 

「今日の夕食の残りです」と言って、きくが焼きそばを出してくれた。ビールを飲みながら食べるのには、ちょうど良かった。

 そんな時に、京一郎がプリントを持ってダイニングルームにやって来た。

「ママ、ここがわからない」と言った。

「どれどれ」ときくはプリントを見た。

 算数の計算の問題らしかった。きくが「こうすれば、解けるわよ」と言うと、「あっ、わかった」と京一郎は言って部屋に戻っていった。

「宿題でも出ているのか」と訊くと「違うんです」ときくが答えた。

「じゃあ、何」と言うと、「毎日、ききょうと京一郎には一枚ずつプリントを渡して、解かせているんです」と言った。

「凄いな」

「塾に行っている子も多いんですよ」ときくは言った。

「そうなんだ」

「この辺りでは、中学受験が当たり前らしいんです。だから、小学校に上がったら、塾に通わせている家が多いんです」ときくは言った。

「ふーん」

「でも、うちはそうはしないで、わたしが作ったプリントをやらせているんですよ」ときくは言った。

「きくがプリントを作っているんだ」と僕は驚いた。

「いろいろな問題集から切り貼りして、コピーして作っています。とてもいい勉強になりますわ」と言った。

「そりゃ、そうだろうな」

「ちょっと待っててくださいね」と言うと、きくは自室に入っていった。そして、ファイリングされているプリント帳を二冊持ってきた。

 僕はそれを受け取り、目を通した。凄い努力だと思った。

「これ全部、きくが作ったのか」

「ええ」

「大変だったろう」

「大変ですけれど、いろいろ学べて面白いです」

「そうだよな。きくは学校に行ってないから、小学一年生の問題から学ぶのが一番良いのかも知れないな」

「そうでしょう。わたしもそう思ったので、自分で作ってみる気になったんです」と言った。

 きくの持ってきたファイルを見ながら、きくは偉いなと思った。江戸時代から現代に来て、現代に溶け込もうとしている(「僕が、剣道ですか?」シリーズ参照)。僕自身に当てはめると、とてもできるとは思えなかった。

 目頭が熱くなってきた。ファイルを閉じた。

 

 テレビをつけると、ニュースショーをやっていた。前川興産の関連会社が家宅捜索されたことで、芸能界にも汚染が広がっている噂話が出ているというネタをやっていた。来週にも具体的な芸能人の名前が挙がってくるだろう。警察は小出しにリークしているのだ。

 こうなってくると、石井和義の絞殺事件は霞んでしまう。今週の水曜日が午前九時から午後五時までの勤務なので、その時に、パトロールに出て、隣の主婦から目撃情報を訊き出すことに決めた。もう先延ばししている場合じゃあなくなっていた。

 

 次の日、大物ロック歌手が覚醒剤所持の疑いで家宅捜索をされるとともに任意同行を受け、自宅から覚醒剤一グラムが見つかり逮捕された。すると、ニュースショーはこの話題一色になった。

 芸能界に広がる覚醒剤汚染の話で、各テレビ局は持ちきりだった。

 

 水曜日になった。

 机の引出しからひょうたんを持って、午前九時に西新宿署に行った。そこで私服から制服に着替えると、係員の指示と報告を受け、千人町の交番に向かった。

 千人町の交番では赤木圭一巡査から引継ぎを受け、勤務に入った。

 交番の机に座ると、ズボンのひょうたんを叩いた。

「あやめ聞こえるか」と言うと「はい」と言う返事が返ってきた。

「この後、パトロールに出る。その時、石井和義さんを拉致した車を見たという奥さんと話をする。その時、彼女の見た映像を僕に送れ。その時、時間を止めて、映像を見る。ここだと思ったら、その映像をその奥さんに送り返してくれ。できるか」

「できると思います」

「よし、ならやろう」

 午前十時になった。『パトロール中です』の掲示板を出して、石井和義の隣の主婦を訪ねた。

「何でしょう」と彼女は言った。

「石井さんが拉致されて以来、この辺りを定期的にパトロールしているんですよ」と言った。

「そうですか。ご苦労様です」

「そこでですが、石井さんが拉致された時のことをもう一度話してもらえませんか」と言った。

「もう、何度も話しましたよ」

「時間が経つと忘れることもあるでしょうが、逆に思い出すこともあるんですよ。そこをご理解いただきもう一度お願いします」

「そうですか、わかりました」

 しばらく思い出そうとしている様子だった。そこで時間を止めた。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「あやめ。今、目の前にいる女性が思い出そうとしていることを映像にして送ってくれ」と言った。

「わかりました」とあやめは言った。

 それほど時間はかからず、「今、送ります」と言ってきた。

 頭の中を水流が流れるような感じがした。一瞬、くらっとした。映像は短かった。

 隣の主婦、旭川良子が玄関先を掃除に出てきた時だった。石井和義の家の少し前に黒い車が止まっていた。外車でメーカーは****だった。ナンバープレートもよく見えた。****というナンバーだった。

 石井和義が自宅から出てくると、車の後部座席のドアが開いた。中の人が石井和義に話しかけているようだった。石井は車に乗るように言われたようだった。石井は車の後部座席に乗った。助手席から降りた体格のいい人も後部座席のドアを閉めた。その男が助手席に座ると車は走り去っていった。映像はこれだけだった。

「この映像でいい。彼女に送れ。そして、私が話をしている時に再生するんだ」と言った。

「わかりました」とあやめは言った。

 僕は時間を動かした。

「車の車種とかメーカーとか、ナンバーなどは分かりませんか」と訊いた。

 旭川良子は考えるようにしていたが、突然「あっ、思い出した」と言った。

 僕はノートを出してメモを取る準備をした。

「確か外車でメーカーは****でした。ナンバーは、****ですわ」と言った。

「確かですか」と僕は訊いた。

「ええ、確かです。今、はっきりと思い出しましたから」と言った。

「少し待っていてください、今、署に連絡しますから」と言って、無線電話で署に電話をした。オペレーターが出た。

「千人町交番の鏡京介です。今、パトロール中ですが、石井和義さんの家の隣の奥さんと話をしていて、奥さんが石井さんが拉致された車のナンバーを思い出したというので連絡をしました」

「わかりました。捜査一課の人と代わりますからお待ちください」とオペレーターは言った。

「代わりました。捜査一課の山岡です。何でしょうか」

石井和義さんの家の隣の奥さん旭川良子さんと話をしていたら、旭川良子さんが石井さんの拉致された車のメーカーとナンバーを思い出したというんです」

「メーカーとナンバーを教えてください」

「言いますよ。メーカーは****で、ナンバーは****だそうです」と言った。

「わかりました。後で確認に行くのでそう伝えておいてください」と言った。

「そう伝えます。私は通常業務に戻りますから、後はよろしく頼みます」

「了解しました」

 僕は話し終えると、旭川良子に「後で捜査一課の人が話を聞きに来るそうです。今、思い出したことを伝えてください」と言った。

「はい。そうします」

「私はこの辺りをパトロールしたら、交番に戻るので、何かあったら交番に電話をしてください。名刺を渡しておきます。後はよろしくお願いします」と言って、鏡京介の名前と交番の住所、電話番号が書いてある名刺を渡した。

 旭川家を出た時は、気持ちがすっきりとしていた。これで事態は動き出す。

 

 午後四時頃、西新宿署に電話をした。オペレーターに捜査一課の山岡に繋ぐように言った。

 彼と繋がった。

「千人町交番の鏡京介です。車の件はどうなったのか、知りたくて電話しました」と言った。

「あれは盗難車でした。五日前に盗難届が出ていました」と言った。

「そうですか」

「でも盗難車は見つかりました。崖にぶつかり、廃車になって、廃車工場に送られて、もう少しでぺしゃんこにされる寸前でした。今、車内を鑑識にかけているところです」と言った。

「そうですか。教えていただきありがとうございました」と言って電話を切った。

 興津友康は注意深いから、盗難車を使うことは予想できていたのに、今までそこに思い至らなかった自分がふがいなかった。崖にぶつける際にも、車内は掃除しただろう。そうでなければ、炎上させるに決まっている。そうしなかったということは、車内に証拠が残っていないということだ。

 これで、車から滝沢興業株式会社につなげることはできなくなった。