小説「僕が、剣道ですか? 7」

二十九

 父も早めに帰って来たので、みんなから僕のインターハイの優勝を祝ってもらえた。

 午後七時のニュースにも、インターハイの結果が流された。特に、個人男子優勝は都立高校初ということで、結構大きく放送された。

 これはビデオに撮っておかれることになった。当然午後九時のニュースもだった。

 父はビールを飲みながら、「お前、凄いな。明日、会社に行ったら、この話題で大騒ぎだぞ」と言った。

 母はしみじみと「本当に凄かったわね」と言った。会場まで見に来てくれたのだ。

 父と母の喜ぶ姿を見て、僕は良かったと思った。

 きくはと見ると、ききょうと京一郎に「今日はお父様が優勝したんですよ。凄いですね」と言っていた。ききょうと京一郎に分かるわけないと思っていたが、ききょうがこっちを向いて笑った。まるで良かったね、って言っているみたいだった。

「お袋、きく、今日はありがとう。応援してくれていたの、分かったよ」と言った。

 母は「遠くからだったけれど、優勝の瞬間を見られるなんて夢みたい」と言った。

「そうですね、お母様」ときくも言った。

 

 トロフィーと楯と表彰状を持った写真を僕一人や家族が入ったものなど何通りかを何枚か撮った後で、食事になった。

 寿司を食べるか、ケーキにするかで迷ったが、ケーキを切ることからしようということになった。

 母がケーキを四等分に切って、それぞれの皿に取り分けた。

 きくはききょうを抱き上げて、スプーンでスポンジとクリームのところを掬うように少しばかり取って、ききょうの口に入れた。ききょうは初めて食べるケーキだったが、美味しかったようで、もっとというしぐさをした。きくは何度かききょうに食べさせると、「これ以上は駄目です」と言った。残りはきくが食べた。

「あーあ、美味しい。わたし、ケーキ大好きです」と言った。そりゃそうだろう。江戸のお菓子も美味しい物もあるが、大抵の物に比べれば、ケーキは何倍も美味しく感じるはずだ。

 次は寿司だった。特上だったから、僕は大トロから食べた。

 きくは最初は刺身も食べるのを怖がった。火の通してない魚を食べることが、鯉のあらいぐらいしかなかったからだ。マグロも大トロは苦手だった。脂身が好きではなかったのだ。中トロも駄目だった。だからマグロは赤身しか食べない。大トロと中トロは僕が食べた。その代わり、卵と穴子をやった。卵はききょうも食べた。

 ケーキも食べていたから、茶碗蒸しと納豆巻きを食べるとお腹いっぱいになった。

 カッパ巻きとかんぴょう巻きは明日に回すことにした。

 

 食べ終えると、三階の自室に上がっていった。ベッドに倒れ込んだ。疲れてはいないと思ったが、人に接している時間が長くて、それで疲れが出た。

 片付けものをしたきくがベッドに入ってきた。きくをただ抱き締めた。

「今日は、応援に来てくれてありがとう」と言った。

「京介様の勝つところを見られて、嬉しかったです」と言った。

「そうか」

「はい」

 そんなやり取りをしているうちに、僕は眠ってしまった。

 

 次の日、起きたら、午前八時半だった。いつもは午前七時には起きるのに、結構、寝坊してしまった。

 急いで起きると、顔を洗い、昨日の残りのカッパ巻きとかんぴょう巻きがそのまま残っていたので、それを食べた。歯を磨いて、半袖のワイシャツと制服のズボンを着た。

 念のため、道着と剣道具を持って、トロフィーと楯と表彰状も大きなバッグに詰めた。

 午前九時過ぎに富樫が来た。

 学校まではいつもは急いで三十分あれば行けるが、今日は普段と違うから、早めに迎えに来たのだろう。

 僕は大きなバッグを富樫に渡した。富樫は中に、箱詰めになったトロフィーと楯と紙筒に入った表彰状が入っていることを確認した上で、バッグを持った。妙なところは繊細だなと思った。

 僕は道着と剣道具を持って、富樫と家を出た。

 母ときくが見送りに出た。

 

 学校が見えるところに来ると、通りに面した校舎の壁に大きな垂れ幕がかかっていた。

『インターハイ・男子個人優勝・鏡京介』、『西日比谷高校初の快挙・都立高校としても初』と書かれていた。

 

 正門の横の通用門から入ると、夏休みにもかかわらず、部活をやっている生徒たちが出迎えてくれた。結構な人数がいた。

 校長室に富樫と入っていくと、校長はもちろんのこと教頭と監督がいた。

 校長が椅子から立ち上がって、「やぁ、やってくれたね、鏡君。本校始まって以来の快挙だよ」と言って、手を差し出してきた。僕はその手を握った。校長も握って上下に振った。

 教頭も同じようなことを言って、握手を求めてきた。僕は握手した。

 その間に、富樫が僕の大きなバッグから、トロフィーと楯と賞状の入っている箱と筒を出した。そして、箱を開け、トロフィーと楯を校長の前の机に置いた。賞状は筒に入れたままだった。

「これかぁ、立派な物だな」と校長は言った。

 教頭は「司会・進行はわたしがやる。取材の方は向こうに任せてある。時間が来たら、取材は打切りにする」と言った。

 僕は「はい」と言った。

 校長からは試合はどんな感じだった、という質問が出された。

「特に緊張はしませんでした。いつもと同じです」と答えた。

「そうか」と校長は言った。その他にもいくつかの質問が、校長や教頭から出たが、僕は適当に答えた。

 そうしているうちに記者の質問の時間が迫っていたので、体育館に向かうことになった。僕は筒に入れた賞状を持った。トロフィーは監督が持ち、楯は富樫が持った。

 校長室を出ると、部員たちが並んでいた。僕らがその前を通ると、後からついてきた。

 体育館では、壇上、向かって右側に椅子が四つ置かれていた。校長、教頭、僕と監督がそのパイプ椅子に座って、その後ろに部員が立って並んだ。

 その時、カメラのフラッシュが焚かれた。

 それから、僕が壇上から降りて、トロフィーと楯、賞状をそれぞれ持つ姿をカメラマンの前で撮影された。

 剣道姿の写真を撮りたいということで、僕は控え室で素早く剣道着に着替え、竹刀を持つ姿の写真も撮った。

 記者は二十人ほどだったろうか。或いは三十人いたかも知れない。カメラマンも含めると五十人近くいた。

 その後、控え室で着替えて、僕は壇上に戻り、パイプ椅子に座ると、教頭が「それでは質疑応答に入らせていただきます。鏡君、中央のマイクに」と言った。

 壇上の中央には、スタンドマイクが置かれていた。

 僕はその前に立った。

 ある記者がハンドマイクを持って立った。

「わたしは****新聞の浜崎です。記者を代表して質問します。その後に個々の記者からの個別質問があります。よろしくお願いします」と言った。

 僕も「よろしくお願いします」と言った。

 浜崎が「まず、今回のインターハイで優勝する自信はありましたか」と訊いた。

 よくある質問だと思った。

 僕は「そもそも勝とうという気がなければ、インターハイには出場しません。そして、出場する以上、優勝しようと思って試合に臨みます。結果は、時の運だと思っています」と答えた。

「今回、優勝して何か心境的に変わったことはありませんでしたか」と浜崎が訊いた。

「心境的に変わったことはありません。周りが騒ぐので、不思議な感じはしました」と答えた。少し、笑いが漏れた。

「毎日、どのような練習をされていますか」と浜崎が訊いた。

「それは後で監督に訊いてもらえますか。監督の指示でそのメニューをこなしているだけです。ほかのことはしていません」と僕は監督を立てつつも、まるっきりでたらめな答えをした。

「今まで、個人戦では夏季剣道大会兼関東大会の個人戦を除いてほとんどの大会に出ていませんよね。それはどうしてですか」と浜崎は訊いた。

「まだ、僕、いえ、私が未熟だったからです。今回の出場も監督が決めました」と答えた。あくまで、監督にすべてを投げるつもりだった。

「小中学生の時はどうしていたのですか」と浜崎は質問した。

町道場に通っていました」と答えた。

「小中学生の大会に出なかったのは、何故ですか」と訊かれた。

「出たくなかったからです。その時は全く強くありませんでしたし、勝とうという意識はなかったです」と答えた。

「今回、全く彗星のように現れて、周りはびっくりしていますが、それについてはどう思いますか」と訊いた。

「一応、夏季剣道大会兼関東大会の個人戦にも出て、優勝していて、私としては突然インターハイに出場したわけではないので、そこのところは分かりません」と答えた。

 ここでも笑いが起こった。

 その後、二、三のやり取りがあった後、個別質問に変わった。

「****日報の早瀬です。よろしくお願いします。インターハイに優勝したことで、変わったことはありますか」と質問された。

「周りが騒がしくなったことぐらいです」と答えた。

「稽古についてはどうですか」と訊いてきた。

「それはまだ優勝したばかりなので、分かりません。監督に訊いてみてください」とここでも監督を持ち上げた。

「****スポーツの高柳です。優勝した瞬間はどう思われましたか」と訊かれた。

「ああ、勝ったんだなと思いました」と答えた。ここでも笑いが漏れた。

「周りはどうでしたか。何か言われましたか」と高柳に訊かれた。

「周りは大騒ぎでした。おめでとう、とか、良かったな、とか、凄かった、とか言われましたが、後は騒ぎに紛れてよく分かりませんでした」と答えた。

「****剣道の林です。鏡さんの剣道は、よく無反動だと言われますが、それはどういうことでしょうか」と訊かれた。

 剣道の中身についての質問は、これが初めてだった。

「それは相手が感じることなので、私にはよく分かりません。ただし、竹刀を合わせるとき、力を貯めて、竹刀がぶつかった方向に力を放出しているような感覚はあります」と答えた。

「他の対戦選手にも質問してみたんですけれど、それで弾かれた感じがすると言っていたんですね」と言った。

「多分、そうだと思います。一瞬の判断です」と答えた。

「わかりました。ところで、優勝戦は相手が失神しましたよね。それについては、どう思いますか」と質問した。

「面を打ったんですが、強く叩きすぎたんだと思いました」と答えると、質問者の林も笑っていた。

「以上です」と言って、林は座った。

 その他にも二、三質問は出たが、優勝したことによって何か変わったことがあったかどうかというような質問か、優勝すると思っていたか、という質問ばかりだった。それは他の質問にもあっただろうに、と思ったが、丁寧に答えた。

 続いて、監督質問に変わった。