十九
次の日、富樫が迎えに来て、区立体育館に行った。
昨日とは雰囲気が違っていた。西日比谷高校の控え場所に行くと、みんなの顔が強ばっていた。今日はベスト八になったことで、女子応援団が急遽来ることになったということもあったのだろう。
監督は「リラックス」と言っていたが、そんな雰囲気ではなかった。
他のチームは、活気があった。慣れもあるのだろう。和気藹々としていた。
うちは、富樫と早瀬にかかっていた。この二人が勝たなければ、どうにもならない。他の二人は、最初のうちだけ、一人一回勝ったが、これはまぐれだったろう。
一回戦は、うちと私立滝沢高校だった。相手は、去年の準優勝高校だった。
会長の挨拶が終わって、すぐに試合が始まった。先鋒の早瀬が負けた。この時点で僕らのベスト四は消えていた。ともかく後二試合したが、いずれも負けだった。女子応援団は二階席から応援していたが、がっかりしたことだろう。しかし、個人戦があるからね、と僕は思った。
昨日、四面使っていた試合場が中央の一面に変わっていた。
団体戦は私立滝沢高校が優勝した。去年の雪辱を果たしたというところだろう。
だから、僕らのベスト八止まりもしょうがないという雰囲気になった。
昼食休憩に入った。
午後の部は、個人戦のみだった。
僕は二階席の隅で食べていた。昨日と同じく、きくのおにぎりだった。
そこに女子応援団がやってきて、「頑張ってね。応援するから」と声をかけていった。
そして、富樫がやってきた。
「何処にいるのかと思ったら、こんな隅で食べていたのかよ」と言った。
「他の連中はどう」と僕が訊くと、「お前の個人戦の応援に回る」と答えた。
「そうか」
「で、調子はどう」と訊かれたので、「やってみなければ分からない」と答えた。
だが、負けるつもりはなかった。
自分の力を相手がどこまで引き出してくれるのか、それが楽しみだった。
二階席にいると、ビデオを持った連中によく会う。
「なぁ、富樫。ビデオの数が増えていないか。来年のために撮っているのか」と訊いた。
「お前、何にも知らないんだな。この大会でベスト四までに残ればインターハイに出られるからだよ」と言った。
「その偵察なのか」
「そうだよ」と富樫は言った。
「だったら、惜しかったな。ベスト八止まりで」と僕が言ったら、「ベスト八に残れたから、今日も来れたんだろう」と富樫が言った。
「富樫がベスト八に拘ったのは、今日来るためだったのか」と言ったら、「そうに決まってるじゃないか。それ以上望めるか」と言われた。
「団体戦は無理だったが、個人戦はインターハイに連れて行くからな」と僕が言うと、「期待しているぞ。約束だからな」と言った。
「約束だ」と応えた。
個人戦が始まった。
僕は二試合めだった。最初の試合は葛城城介と誰かの対戦だった。
葛城は試合が始まって、すぐに小手二本を取って勝った。相手との実力差がありすぎて、葛城の力が分からなかった。
次の試合が僕のだった。
「始め」の声がかかった。相手は、僕の無反動を警戒して打ち込んで来ない。だから、打ち込んで行くしかなかった。そこをかわして小手に取るつもりだったのだろう。打ち込みはフェイントだった。相手が竹刀を突き出して来た時に、その竹刀を弾いて、相手がバランスを崩したところで胴を叩いた。
白旗が揚がった。
次は、僕の無反動を無視して、小手に来た。その竹刀を弾くまでもなく、僕の方が先に小手を取り、相手の竹刀はかすらせもしなかった。
これで僕が勝った。次の相手は葛城城介だった。
その時になって、二階席の応援が聞こえてきた。
ベスト八の四試合が終わると、十五分間の休憩時間になった。
僕は体育館の隅で、顔にタオルを掛けて横たわっていた。
富樫がやってきて「本当に勝ったな」と言った。
「約束だからな」と言い返した。
「これでインターハイだぞ」と富樫が言った。
「そうか。今日の目標はそこにはないんだけれどな」と言うと、「何だよ、それ」と言うから「優勝に決まってるだろう」と言うと、「大口叩きやがって」と富樫は言ったが、続けて、「次の葛城城介は本当に強いぞ」と言った。
「分かっている」
十五分間の休憩時間が終わると、ブザーが鳴った。
会場が静かになった。
僕は防具を着けて、試合場に向かった。
向こう側に葛城城介がいた。
一礼をして、開始線まで三歩進んだ。竹刀の切っ先を交えつつ蹲踞すると、「始め」の声がかかった。
すぐに小手を狙ってきた。僕の竹刀はそれを素早く弾いた。
相手は予想していたのだろう。腕を引いた。僕の小手を打てなくしたのだ。
僕は踏み込んで、相手の竹刀を弾いた。そして、小手が開けば打つつもりだった。しかし、葛城はそうはさせなかった。またも引いた。
また、踏み込もうとしたら、小手に向かって竹刀が襲いかかってきた。僕の竹刀は変な動きをして、葛城の竹刀を弾いた。その時、葛城の体勢が崩れた。僕の竹刀は弾いた反動で葛城の小手を打っていた。
赤旗が揚がった。僕の小手が決まったのだ。
次は、葛城は距離を置いた。間合いを詰めて来なかった。僕が踏み込むと逃げた。
仕方なく、隅に追い込んだ。そして、始めから胴狙いで打ち込んでいった。
その時を待っていたのだろう。葛城は小手を狙ってきた。しかし、僕の竹刀はその葛城の竹刀を弾き返して、無防備になった胴を叩いた。
赤旗が揚がった。僕が勝った。
蹲踞して立ち上がると礼をした。
僕が試合場を離れると、葛城が走り寄って来て、「竹刀を見せてくれ」と言った。
僕は持っていた竹刀を彼に投げた。葛城はそれを受け取ると、二度三度と振ってみた。そして納得すると、僕に竹刀を放り返してきた。
「普通の竹刀だな」と葛城が言った。
「当たり前だろう」と僕が言うと、葛城は「まるで鉄の棒と戦っている気がした」と言った。
「そうか」
「ああ。どう竹刀を使えばあんな風になるんだろうねぇ」と言った。
その後で「次の試合は勝てよ」と葛城は言った。
「負けたら承知しないからな」と続けた。
「負けはしないよ」と僕は言った。
決勝戦は十五分間の休憩時間後に行われた。
相手は、葛城城介よりも弱かった。逃げ回っているのを追い詰めて、胴と面で勝った。
応援団は大騒ぎだった。
僕は優勝杯と楯に賞状をもらった。優勝杯と楯はカメラの撮影が終わると、富樫が取りに来た。
「明日、校舎を見ろよ。夏季剣道大会兼関東大会・個人戦優勝の垂れ幕が下りているからな」と言った。