小説「僕が、剣道ですか? 7」

三十

 監督質問の答えは、監督の適当ぶりがよく表れていた。僕が部活には、ほとんど出てこないのにもかかわらず、毎回来ているように言った。

 壇上にいた部員はどう聞いていたのだろう。

 とにかく、今回の優勝は稽古の賜ですと言い切った。そして、いかに稽古させたかも、得々と語った。毎回、グラウンド十周とか、反復横跳びをどれだけやったかとか、その他、数々の幻の稽古メニューを披瀝した。

 部活には一度も来ていません、稽古もしていません、夏季剣道大会兼関東大会の個人戦は、直前登録しました、とはとても言えなかっただろう。

 とにかく、監督は僕をいかに育てたかを強調し、それが結果的に僕という選手を育てたということになり、名監督になったわけだ。僕はそれで良かったと思っている。

 記者会見は一時間ほどで打ち切られた。

 

 トロフィーと楯はしばらく校長室に飾られることになった。来賓に紹介するのに、格好の材料となるからだった。

 僕らは校長たちからは解放されたが、今度は剣道部の部室に向かった。

 監督は上機嫌だった。

 明日からの部活のスケジュールを読み上げた。

 部員は「えー」と言っていた。僕が優勝したために、メニューは少しハードになっていた。

 監督は僕に向かって「お前も、できれば部活に出ろよ」と言った。

 僕は「試合形式の練習だけでいいのなら、少し顔を出します」と言った。すると、監督の顔が明るくなって、「それでいい。基礎訓練はしなくていいから、部員たちの対戦相手になってやってくれ」と言った。

「一対一じゃ嫌ですよ」と僕は言った。

「じゃあ、どうするんだ」と言うので、「五対一ならやります」と言った。

「五人を一度に相手にすると言うのか」と監督は言った。

「七人でも構いませんが」と僕は言った。

「わかった。それでいいなら、やってみろ」と言った。

「明後日、午後に顔を出します」と言った。

「じゃあ、午後二時に体育館で待っている」と監督は言った。

「はい。今日はこれで失礼します」と言って、僕は部室を出た。

 富樫がすぐに追いかけてきた。

「五対一なんて」と言った。

「前はよくやっていたんだ。久しぶりだな」と僕は言った。それは富樫に分かるはずもなかった。

 富樫は用があるからということで離れていった。富樫にしては珍しかったが、家までついて来られるのは、勘弁して欲しかっただけにホッとした。

 

 家に帰ると、お昼の用意がしてあった。ざる蕎麦だった。

 着替えてから、ダイニングテーブルについた。

 江戸時代にもつけ蕎麦はあったから、ざる蕎麦には慣れているはずだったが、つけ汁のおいしさが江戸時代とはまるで違っていた。きくは、前に食べた時も驚いていたが、これは何度食べても驚くものなのだろう。出汁の効き方が違っていたのだ。それと少し甘い。これは好みが分かれるところだろう。

 きくはききょうにも細かくちぎって食べさせていた。

 ききょうは蕎麦が好きだった。

 京一郎は哺乳瓶でミルクを飲んでいた。

「記者質問大変だったでしょう」と母が言った。

「そうだね。同じことを何度も訊かれた。例えば、優勝してどう思いましたか、なんて訊かれても、答えようがないじゃない」と言った。

「そうよね。嬉しかった、としか言いようがないわよね」と言った。

「そうだし、あんまり、喜んでいる風に見えるのも下品だしね」と言った。実際、それほど嬉しかったわけではなかった。もちろん、それなりに喜びはしたけれど。

 ざる蕎麦を食べ終えると、三階の自分の部屋に行って、ベッドに寝転がった。

 きくが上がってきた。

「記者会見は疲れましたか」と訊いた。

「記者会見を知っているの」と訊き返した。

「いいえ、でもお母様が大変だとおっしゃっていましたから」と答えた。

「そうか。確かに大変だった」と言った。

「そうですか」

「疲れたので、少し眠る」と言った。

「わかりました。わたしはお母様の手伝いをします」と言って、きくは部屋を出て行った。

 眠りたいわけではなかったが、一人になりたかった。

 

 新聞のスポーツ欄に僕の写真が載っていた。これはましな方だった。受け答えも適当にアレンジされていて、まあまあという感じだった。

 駄目なのは、テレビの方だった。六時のニュースでは、スポーツコーナーで今日の記者会見の模様がビデオで流された。いつの間にビデオに撮られていたのか分からなかった。ごっついカメラだと思っていたのが、ビデオだったのかも知れない。

 きくが「京介様がテレビの中にいます。これがお母様が、京介様がテレビに出るわよ、と言われた意味なんですね」と言った。その後に「かっこいいです。凄くいいです」と言ったのには驚いた。

 記者会見の自分は、僕からしたら、見たくないほど、ふぬけた顔に映っていた。何となく虚ろな感じだった。普通、もうちょっとキリリとしているものだろう、と言いたくなった。

 でも母は「よく映っているじゃない。テレビに映るなんて凄いじゃない」と言った。

 確かに、間抜け面がよく映っていた。

 ビデオデッキに赤いランプが点いていたから、このニュースもビデオにとってあるんだな、と思った。七時と九時のニュースも予約が入っているのに違いなかった。

 

 夕食は、僕の記者会見の話題で占められた。

 テレビや新聞には、一部だけ放映されたり、載っているだけだったので、実際にはどんな様子だったのか、そしてどんなことを訊かれたのか、どう答えたのか、父も母もきくも知りたがった。

 結局、記者団に話したようなことを繰り返すことになった。

「そうなんだ」とか「そうなの」とか「そうですか」と言う声が返ってきた。

 で、「優勝して何か変わった」と母が訊いてきた。それはもう答えただろうに、と思ったが、「いつも通りだよ」と答えた。

 それでは満足できないようで、「でも変わったところはあるでしょう」と母は重ねて訊いた。これでは記者の質問と変わらないじゃないか、と思った。

「周りがうるさくなったぐらい」と少しだけ怒ったように答えた。

「お母様、もう止めましょう。京介様はそのような質問に飽き飽きしているのだと思います」と珍しくきくが母に意見を言った。

「そうね、そうよね」と母は言った。母はびっくりしたことだろう。

 でも、きくが母に意見を言ったことは、一つ殻を破ったことになる。きくはきくでここで生きていくという強い決心をしたのだろう。そして、より家族に近付きたかったのだろう。

 

 三階に上がっていくと、きくが来て「わたし、お母様に言い過ぎました」と言った。

「あれでいいんだ」と僕は言った。それから、きくを抱き締めた。

「心配しなくていい」と言うと、きくは僕の胸の中で泣き出した。きくは大変なことを言ってしまったと、思い続けていたのだ。僕はきくの頭を撫でた。きくはさらに泣いた。

 結局、僕はきくが泣き止むまで抱き締めていた。

 

「主様はお優しいですね」と、夜、リビングであやめが言った。

「きくのことを言っているのか」

「はい」

「見ていたのか」

「見ていたというか、感じていました」と言った。

 昨日は寝てしまったので、あやめとは会っていなかった。

 だから、今日あやめは「優勝、おめでとうございます」と言った。

「勝つと思っていただろう」

「それはそうです。主様の力を超える者はこの世に存在しません」とまで言った。

「それは言い過ぎだ」と僕は言った。

「でも、江戸時代と現代を何度も行き来し、時を止め、霊まで操れる人は他にいますか」と言った。

「さぁ。だけど、ここにいるんだから、どこかにはいるんじゃないのかな」と僕は言った。

「まぁ、主様らしい」とあやめは言った。

 それからあやめと交わった。インターハイと記者会見の疲れが取れていくようだった。