小説「僕が、剣道ですか? 6」


 次の日の朝は大変だった。釜でお米を炊いたまでは良かったのだが、水加減がいまいちで少し緩めのご飯になった。そして、何よりも困ったのは、茶碗は買ってきていたのだが、箸を買うのを忘れたことだった。
 仕方なく、僕が薪を折たたみナイフで切り、割り箸のようなものを三膳作った。
 それでネギの味噌汁と梅干しと漬物で、緩いご飯を食べた。ききょうは味噌汁をかけたご飯を、これも薪で作り出した匙で食べた。緩めのご飯だけにききょうには良かったのかも知れなかった。
 買い揃えなければならない物がいっぱいあることが分かった。これはその都度、買っていく他はないと思った。

 朝餉の後、きくは食器を洗ってから、洗濯をした。干し竿はあった。風車と僕は干すのは手伝った。
 その後で、買い物に出ることにした。
 まず、箪笥を買おうと思った。きくに買った着物は、和紙に包まれて、寝室の隅に置かれていた。あれをしまうものが必要に思えた。
 それから茶箪笥だった。食器などをしまっておくところがないので、庖厨の洗い場に板を渡して、その上に伏せてあった。
 衣桁(いこう)と衣紋掛(えもんか)けも必要だった。
 それから、箸などの小物も欲しかった。

 店は両国に沢山あるので、両国に向かった。
 両国では、まず家具屋に入った。きくは安い箪笥ばかりを見ていたので、僕はきくに「こっちのも見ろよ」と言って、桐箪笥を見るように言った。
「桐箪笥なんて」ときくは言ったが、「どうせ買うんだ。いい物にしようじゃないか」と僕は言った。無垢の総桐箪笥は美しかった。きくがそれを見て止まったので、それを買うことにした。後は茶箪笥と押入れ箪笥を二つ買い、衣桁三つと衣紋掛けもいくつか買った。
「いつ、どこへ届けましょうか」と訊くので、八つ時(午後三時)にしてもらった。場所を言うと、奇妙な顔をした。幽霊屋敷は有名だったのだ。
 家具屋を出ると、道具屋に入った。
 風呂場の桶や腰掛け、ひしゃく、箸、客用の茶碗など、思いつく限りの物を買っていった。かなりの量の買物になった。重い物は風車が持ち、嵩張る物は僕が持った。
 道具屋を出ると着物屋に入り、寸法を合わせた浴衣を三着買った。ききょうにも普段着るものと浴衣に似たものを買った。
 そのうち昼餉の時間になった。
 蕎麦屋に入り、座敷に上がり、鴨南蛮を頼んだ。座敷は道具や浴衣などでいっぱいになっていた。
 食べ終わって、蕎麦屋を出ると、菓子屋が目の前にあった。今食べたばかりだというのに、きくは羊羹を買った。
「箪笥を届けてくれる人に出しましょう」と言った。

 家に戻り、買ってきた物を整理していると家具屋の人が箪笥を届けに来た。
 門を開けて、荷車を表玄関前を抜けて中庭に着けると、箪笥を二人がかりで縁側の廊下にそっと置いた。
 総桐箪笥を「どこに置きます」と一人が訊いたので、きくが寝室に案内した。広い寝室も総桐箪笥が置かれると狭く感じるが、堂々としていた。茶箪笥と卓袱台は居間に、押入れ箪笥は、女中部屋と離れに運んでもらい、押入れに入れてもらった。それから衣桁三つと衣紋掛けは奥座敷に置いてもらった。衣桁は軽いので、後で必要な所に置こうと思った。
 用事が済むと店の者が帰ろうとするので、きくが、買ってきた羊羹を皿に盛り、お茶と一緒に縁側に運んだ。店の者は縁側に座り、羊羹を食べお茶を飲んで帰って行った。
 その後で、僕らは居間の卓袱台で羊羹を食べお茶を飲んだ。
「なかなか、おいしいですな」と風車が言った。僕もそう思った。
「それにこの卓袱台もいい。食べやすいです」と続けた。
「少しずつ、家具が揃っていきますね」ときくは言った。その声には、嬉しさが滲んでいた。
「明日は、鎌や鋤や熊手を買ってきましょう。庭が草や薄で荒れているので、それを刈り取って、畑でも作ったらどうです。茄子やキュウリならまだ間に合いますよ」と風車が言った。
「それはいい考えですね。そうしましょう」と僕は言った。
「それに表札もいりますな。これじゃあ、誰の家だかわかりゃしません」と風車が言った。
「それなら硯と墨と筆がいりますね。表札自体もいる」と僕は言った。
「それも買ってきましょう」
「でも、私は字が下手で……。なにしろミミズがのたくったような字しか書けません」と僕が言うと、「それは拙者に任せてください。字を書くことは得意ですから」と風車が言った。僕は躰に似合わないことを言うんだな、と思った。
 きくは笑って聞いていた。

 一息入れてから、僕らは湯屋に向かった。風呂に水を入れるためだった。風呂の水は洗濯に使った後、栓が抜いてあった。その栓を閉めて、井戸から水をくみ上げて手桶を使って五右衛門風呂に水を入れた。五右衛門風呂には、風呂の他に上がり湯を沸かす木の箱のような場所が二つあり、そこにも水を入れた。
 風車が火打ち石で薪に火をつけ、焚きつけ口に入れた。風車は火をつけるのは上手かった。
 僕らが風呂に水を入れている間に、きくは洗濯物を取り込んでいた。
 きくが恥ずかしそうに風車にふんどしと着物を渡していた。

 居間に戻ると、「風呂が沸くまで一局……」と風車が言いかけて、「そうか。碁盤と碁石はまだ買ってなかったんですね」と言った。
「明日、買えば良いですよ」と僕が言った。
「そうですね」と風車が言った時に、「そうだ、水瓶に水を汲まなくてはいけなかったんだ」と僕が言った。
 庖厨に行くと、きくが米を研いでいた。
「水瓶の水は」と僕が訊くと「まだありますよ」ときくは言った。
「水瓶の水を取り替えなくてもいいのか」と訊くと、「前の屋敷ではなくなってから汲んでいましたが」ときくは答えた。
「でも、毎日でしたね。使う量が半端なかったですから」とも言った。
「そうか。なら、飲み水は湯冷ましを使うこと。鉄瓶を鉤棒から外しておけば冷めるだろう。その横に湯呑みを置いておくといい、そうすればすぐ飲める。湯呑みは瓶の水で洗えばいい」と言った。
「わかりました」ときくは言った。
 風車が僕の後ろに立っていて、「なるほどそうすれば水でお腹を痛めることもありませんな」と言った。
「聞いていたのですか」と僕が言うと、「いや、することがなかったので」と風車が言った。
「後で説明しようと思っていたのですが、井戸水は一見綺麗ですが、微生物、小さな虫のようなものですが、いっぱいいるんです。湯を沸かすことでそれらを殺すことができます。そうしたら、安心して水が飲めるでしょう」と僕が言った。
 きくは米を研ぐと釜に水を入れて、竈にかけた。
「今度はうまく焚けるといいですね」ときくが言った。
「ちゃんと炊けるだろう。慣れだよ、慣れ」と僕が言った。
「そうですよ、慣れることです」と風車も言った。

 表座敷に行って、寝転がっていると風車が湯加減を見に行った。
「良い感じに沸いていますよ」と風車が言った。
「では入りましょうか」と僕が言った。
 今日は浴衣を買ってきていたので、それを湯上がりに着るのも楽しみだった。