小説「僕が、剣道ですか? 3」

七-1
 次の日は日曜日だった。母は用があるとかで、朝早くから出かけていた。
 晴れたいい日だった。きくは昨日買ってもらった服を何度も着替えて鏡に映していた。
「出かけたいなぁ」ときくは言った。
 昨日の新宿での買物が楽しかったのだろう。
「そうだな、こんな天気のいい日に、一日家に籠もっているの馬鹿らしいよな。出かける前にききょうにおっぱいいっぱい飲ませておけよ」
「わかりました」
「親父、出かけるけど、留守番頼むよ」
「わかった」
 僕は昨日新宿に行ったから、今日は渋谷に行こうと思った。きくがパンツ類に興味を持っていたようだったから、それらを見て回ろうと思った。
 財布には少し余裕があるだけのお金は入れた。
 きくがききょうに授乳するのを待って出かけた。
 きくは白いコートも買っていた。それを着て、僕はいつものオーバーだった。
 ききょうは抱っこ紐できくが抱いていた。きくは小さいから、小学生が赤ちゃんを抱いているような感じに見えた。
 電車に乗って、渋谷に出た。
 渋谷は久しぶりだった。こんなにも変わったのかというくらい、分からなくなっていた。

 とにかく歩いて女性もののパンツを売っている店を探した。
 それらしい店を見つけたので入った。店員にきくを見せて「この子に似合うのを選んでください」と言った。きくがパンツを選んでいる間は、僕が抱っこ紐でききょうを抱っこした。
 きくはパンツの穿き方から店員に教わっていた。これとこれがいいと言うので二つ買った。急ぎで裾上げをしますかと訊かれたので「はい」と答えると、一時間ほどかかると言うのでそれで構わないと言って代金を払い、一時間後に来ますと言って店を出た。
 昼頃になっていたので、何か食べようと思った。
 きくにはわからない食べ物であふれていた。僕は自分の好みでハンバーガー店に入っていた。きくにはオーソドックスなハンバーガーを注文し、僕はキングサイズを頼んだ。代金を払って、受け取り口で待った。トレーに載せて運ぶ時、普通サイズのハンバーガーとその三倍ほどの大きさのキングサイズのハンバーガーにきくは驚いていた。
 飲み物は僕はコーラにしたが、きくはカルピスにした。きくにはソーダ水はまだ無理かなと思ったからだ。カルピスなら、子どもでも喜ぶだろうと思って……。案の定、カルピスを一口飲んだだけで「美味しい、こんなに美味しい飲み物があるなんて知りませんでした」と言った。
 きくはハンバーガーを食べるのには、苦労していた。口よりでかいパンをどうやって食べられるのか、不思議に思ったらしかった。僕はパンを潰して口に入れるんだよ、と教えた。でも、きくは上手くはできなかった。口の回り中をケチャップだらけにした。
 ゆっくりと時間を過ごして、一時間ほどが過ぎた。ハンバーガー店を出て、さっきの店に寄った。裾上げができていると言うので、試着してみた。OKだったので、袋に入れてもらい店を出た。
 抱っこ紐でききょうを抱いているきくは、通り過ぎる女の子たちには「可愛い」と何人にも言われた。きくはそれが嬉しそうだった。
 もう、そろそろ帰ろうと思ったが、歩いているうちに駅の方向が分からなくなった。
 そのうち、誰かと肩がぶつかった。僕は「済みません」と謝った。そして、先に行こうとした。するといきなりオーバーの襟を掴まれた。
 そいつは「ぶつかっといて謝らないで行く気かよ」と言った。
「さっき、謝ったじゃないですか」
「はぁ」
「聞こえなかったんですね。済みません」と僕は言った。
「はぁ」
「離してくださいよ」
 そいつは手を離した。僕はもう一度「済みませんでした」と言って、歩いて行こうとした。すると、きくが前を塞がれていた。仕方なく、別の方向に歩き出した。
「きく、私にもっと近付いていろ」と言った。
 次第に渋谷から遠ざかっていった。
 とにかく、前に歩いた。
 後ろからは、がらの悪そうな連中がついてきていた。
 いつの間にか、黒金町に入っていた。
 あの黒金古物商が遠くに見えていた。
「京介様、わたし、こわいです」ときくが言った。
「そうだな。少し早く歩くか」
 黒金町を抜ければ、新宿に入る。そこまでは遠かったが、引き返すよりはましに思えた。
 歩みを早めた。しかし、後ろの連中も早く歩き出した。
 先には路地が見えた。
 いつの間にか、向かい側からも、がらの悪い連中がやってきた。