小説「僕が、剣道ですか? 2」

三十一
 座敷に戻り、きくに「七百五十二両貰えるそうだよ」と言うと、「へぇー、七百五十二両ですか」と驚いた風もなく聞いた。その後で、「七百五十二両って言いました」と訊き返してきた。
「そう言ったろ」
「七百五十二両で間違いないんですね」
「うん」
「それだけあれば、一生遊んで暮らせる」
「何か言ったか」
「ううん」
「もらったら、きくに預けるからね」
「わたしに」
「そうだよ」
「どこに置けばいいんですか」
「そこらに置けばいいだろう」
「そんな」
「もらったら、家老に相談してみる」
「そうしてください」
「今日は寝る」
 僕は布団に潜った。

 次の日、堤邸に行った。
 座敷に通された。
 堤が現れた。座布団に座ると「山賊の話、聞きましたぞ」と言ってきた。
 その時、たえがお茶を持ってきた。
「お躰はいいのですか」
「はい、もう良くなりました」
「それは良かった。この前、産後のひだちが悪いと言っていたので、心配していました」
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
「それは構いません。でも、良かった」
「鏡様は大変なご活躍でしたね」
「それよ。今、その話を聞こうとしていたところだったのだ」と堤はたえに言った。
「わたしもお聞きしてよろしいですか」
「構いません」
「山奉行が殿の前で話をされた時は、ビックリしましたぞ。あげられた首は百六十二人だったそうですな」
「そんなに」とたえが驚いた。
「わしも驚いた。で、山賊との戦いはどうだったのですか、鏡殿」
 僕は仕方なく、山賊との戦いを話した。
 堤は細かな戦いの場面の説明も求めてきたから、小一時間かかった。
 堤は何度も「うむ」と感心していた。たえは時には、耳を塞ごうとしていた。
 僕は話し終えると、お茶を飲んだ。
「凄まじい話ですな」
「ええ」
 いくつかの堤の質問に答えた後、京太郎の顔を見てから、堤邸を後にした。

 屋敷に戻らず、町に出ていた。
 団子でも食べようと思った。
 その時、人だかりができているのに、気付いた。
 見ると、その中心に佐野助がいた。佐野助の前に籠が置かれていて、銭が投げ込まれていた。
 佐野助は目ざとく、僕を見つけると、「おっとと、そこにいるのが今話している鏡の旦那でさぁ」と言った。人だかりの視線が、全部こちらに向いた。佐野助が籠を持って、こちらに来て、僕の着物の袖を掴んで、「このお人が、山賊たちをバッサバッサとお斬りになった鏡京介様でさぁ」と言った。
「ほぉー」と言う声があちらこちらから聞こえてきた。
「お前、銭を取ってまで、講釈を垂れているのか」と僕が言うと、「あんな凄いこと、聞きたくない者がいますか」と返してきた。
「私はもう行くから、離してくれ」
「へぃ」
 僕が離れると、佐野助は「早く、続きを話してくれ」と客から言われていた。
「へぃ、それでね……」と佐野助は続きを話し始めた。

 団子を食べていると、この前の戦いが嘘のようだった。
 屋敷に戻ると、きくが「団子を食べてきたんですか」と言った。
「どうして分かったんだ」と言うと、口の端の餡をきくは指で掬って口に入れた。
「おいしい。次に行く時は、きくも連れて行ってくださいね」
「ききょうはどうするんだ」
「誰かに見ててもらいますよ」
「そうか」
「ききょうは、あれで誰かに似て人気があるんですよ」
「そうなのか」
「そうですよ」

 風呂に入って、夕餉の席に着くと、家老から「山賊征伐の話を訊かれて困る」と言った。
「だから、また話してくれ」
 今日、堤邸で話したばかりだったので、またかという気になった。夕餉の席では、昨日真っ先に話した事柄だった。だが、今のようにテレビやインターネットもない時代だから、面白い話は繰り返し聞きたがるものなのだ。
 僕は諦めて、堤邸で話したように、山賊との戦いを細かく話して聞かせた。

「今日は遅かったですね」
 夕餉の席で、山賊成敗の話をまたしたことをきくに話した。
「そりゃ、聞きたがりますよ。鏡様は凄いことをされたんだから」
「戦っているより、話している方が疲れるよ」
「まぁ、そんなこと言って」
「ほんとにそうさ」
 僕は布団に潜った。きくが入ってきた。
「ねっ、いいでしょう」
「まだ、疲れているんだけれど」
「もう、戦い終わってから、随分と経つでしょう」
「それはそうだけれど」
「だったら、いいわよね」
「そういう、問題じゃあ……」
 きくは僕の言葉も終わらぬうちに、抱きついてきた。