小説「僕が、剣道ですか? 4」

三十三
 次の日、朝餉をとると、しばらくして出かけた。堤道場に行くためだった。
 門の前をたえが掃いていた。
「今日は、堤先生はいらっしゃるかな」と訊いた。
「ええ、おります。昨日、鏡京介様がいらっしゃったことを話したら、残念がっていました。早くお入りください」とたえは答えた。
 玄関から上がり、座敷に通された。
 しばらくすると、堤竜之介が現れた。
「おお、鏡殿。お久しぶりでござる。昨日、来られたと聞いて、残念に思っていました。今日来ていただいて、嬉しく思います」と言った。
「こちらこそ、ご無沙汰しております。堤道場はますます発展して何よりです」と言った。
「なになに、これも鏡殿のおかげでござる」
 たえがお茶を運んできた。
「おたえさんは結婚されたんですね」と僕が言った。
「そうなんですよ。堤殿が選んでくれた師範代を婿に迎えて、今は師範となっておりますが、結婚しました」と堤は言った。
 そして声を落として「京太郎は可哀想でした。流行病にかかり、あっという間に亡くなってしまいました」と言った。
「ええ、聞きました。昨日、墓参りをしてきました」
「そうですか」
「でも、新しくややこが生まれるようで、おめでたいですね」と僕が言った。
「そうなんですよ。男の子だといいんですが」と堤が言った。
「きっと男の子でしょう」
 堤は笑った。

 堤邸で昼餉をとった。
 積もる話もいろいろとした。
 白鶴藩は今のところ、何事もないようだった。
 夕方になったので、堤邸を出た。

 家老屋敷に戻ると、きくとききょうと風呂に入った。
 僕はきくに訊いた。
「家老屋敷の雰囲気はどうだ」
「昔と変わっていません」と答えた。
「そうか」
「やっていけそうか」と訊くと「どういうことですか」と訊き返してきた。
「ここで暮らしていけるか、と訊いているんだ」と言った。
「どういう意味ですか」
「白鶴藩に戻ってきたのは、お前をここに残して行くためだ」と僕は言った。
 きくはしばらく何を言われているのか、分からなかったようだ。
「どういうことですか」
「今言ったとおりだ」
「わたしを残して行くとは、どういうことですか」
「私は元の世界に帰らなければならない」
「だったら、きくも連れて行ってください。この前は連れて行ってくれたではありませんか」
「あれは間違いだった」
「きくは鏡京介様と離れるつもりは、毛頭ありません」
「それはできないことなのだ」
「どうしてですか」
「私が、沢山の忍びの者に狙われたのは分かっているよね。それは私がこの時代の者ではないからだ。私という存在を消したい力が働いているのだ」
「それならば、鏡京介様の時代にわたしがききょうと共に行きます」
「それはできないことなのだ。自然には摂理というものがある。きくには分からないだろうが、超えられない壁があるのだ」
「わたしは鏡様と離れたら、生きてはいけません」
「そう思うのも、一時だ」
「いいえ、違います」
「生きていけるさ。そうして、生きていくしかなんだ」
「いやでございます」
「分かってくれ」
「いいえ、わかりませぬ」
「この話はまたしよう」
「わたしは嫌でございます」
 僕は仕方なく、風呂から出た。

 夕餉の席では、家老の島田源太郎から「今後、どうするのだ」と訊かれたので、「近いうちに現代に戻ります」と答えた。
「その時、きくとききょうも連れて行くのか」
「いいえ、きくとききょうは残して行きます」
「残して行く。それではきくとききょうはどうするのだ」
「私が来た時と同じように、女中として使ってください」
「おぬしはそれでいいのか」
「そうする他はありません。きくとききょうにお金がいる場合には、当家の蔵に残してある私のお金をお使いください」
「おぬしのお金」と家老の島田源太郎が訊き返した。
「山賊を討伐した懸賞金とお殿様からいただいたお金(「僕が、剣道ですか?」を参照)を千両ほど蔵に置かせてもらっているはずですが」と僕は言った。
 少し間があって、「ああ、あれか。そうだな、そうであった」と源太郎は言った。もはや、蔵には私のお金など残っていず、賄賂などに使われてしまっていることには、この時の私は知るよしもなかった。
「きくとききょうとのことはお任せしてもよろしいんですね」と僕は言った。
「わかった。承知した。心配しないでいい」と源太郎は明言した。その場には、元家老の島田源之助もいて頷いていた。
 僕は安心した。