小説「僕が、剣道ですか? 2」

十-2

 結局、堤道場に向かっていた。
 門を掃くたえに会った。
 目を合わせた。しばらく見つめ合っていた。
 この間のことは口にしなかった。たえは「どうぞ」と言って、僕を門の中に入れた。
 たえが先に立つと思ったら、いつまでも門の扉の所にいる。僕はその横を通り抜けるような感じになった。
 その時、たえは僕の手を掴んだ。そして、指の間に指を挟ませた。指と指が互いに絡み合った。たえは何も言わない。しかし、僕が先に進むにつれ、それは次第に解けて離れた。
 裏庭から座敷に上がると、たえがお茶を出してくれた。
「変わりはありませんか」と僕が訊くと「変わりありません」と答えた。
 変な質問だった。この前と同じかどうか、訊いているようにも取れる。そして、同じだと答えたようにも取れる。
「今日は、師範代になられるという人に会いに来ました」
 そう僕が言うと、たえは顔色を変えた。
「決めに来たのではありません。決めるのは、そのお腹の子どもが生まれた後にと思っています」
 たえの顔には安堵の色が浮かんだ。
 その時、堤竜之介が入ってきた。
「辻斬りを退治されたそうですな」
「先生のお耳にも入っていましたか」
「門弟たちが道場に入ってくる度に、その話をする。耳に入るも何も、聞かないことの方が難しい」と言って笑った。
「昨夜でしたな」
「ええ」
「その辻斬りは強かったですか」
「とても」
「ほう。鏡殿がそう言うのなら、強かったのでしょう」
「堤先生にはお願いがあってきました」
「何でしょう」
「相川と佐々木の他に、後四人、この道場に通わせて欲しいのです」
「それは構いませんよ」
「そうですか。でしたら、二人ずつ寄こしますのでよろしくお願いします」
「私が鏡殿にお願いしている件はどうなりますか」
「今日、その四人に立ち会わせてもらいます」
「ほう、今日ですか」
「ええ。でも、決めるのは、おたえさんがお子をお産みになった後です」
「それは構いませんが、今日立ち会われると言うのは、どういうことですか」
「昨日の今日だからです」
「昨日の今日」
「ええ、辻斬りとやり合いました。まだ、その感触が残っているうちに立ち会いたいのです」
「ふうむ。そういうものですか」
「はい」
「では、道場に」
「その前に、刀をお借りできますか」
「いいですよ」と堤は床の間の刀を私に渡した。

 僕はたえが用意してくれた道着に着替えた。
 道場に僕に入っていくと、歓声が上がった。
「これ、静かに」と堤竜之介が言った。しかし、すぐには歓声は止まなかった。もう一度、堤が言った時に、静かになった。
 堤は「竹内康太郎、城崎信一郎、中園宗二郎、時田重蔵」と名を呼んだ後、「前に出てこい」と言った。呼ばれた四人が前に進み出た。
「彼らです」と堤は僕に言った。
 僕は彼らに、「これから私と立ち合いをしてもらう。形式は本番の試合と同じだ。ただ、違うのは、君たちには、私の刀を持ってもらう。そして、私はこの刀で戦う」と堤から借りた方を抜いて見せた。
「真剣勝負だ」
「待ってください。突然そんなことを言われても心の準備ができていません」と竹内が言った。他の三人も頷いていた。
「真剣勝負と言っても、私はかわすだけだ。どれだけ真剣で打ち込んで来れるのかを見てみたい。それだけだ」
「鏡先生は打ち込んで来ないのですか」
「そうだ。ただ受け身に立つ」
 四人にホッとした表情が浮かんだ。
 竹内を呼んで、僕は自分の刀を渡した。
「お前たちはその刀を使え。私の刀だ。まず、竹内からだ」
 僕は、蹲踞の姿勢から立ち上がり、刀を抜いた。竹内も刀を抜いた。
 間合いを詰めてきた。そして、刀を突き出してきた。その刀を払った。
「次、城崎」
 城崎も同じだった。
「次、中園」
 中園が刀を構えた時、微かに刀が黄色く光り出した。中園の突き出す刀には、殺意があった。その分、鋭かった。しかし、簡単にその刀を払った。
「次、時田」
 時田が構えた時、今度は刀は白く光った。剣先が真っ直ぐに伸びてきた。その剣先も払うと、僕は刀を鞘に収めた。
 そして蹲踞の姿勢を取り、立ち上がった。
 刀を堤に返した。
「これでいいのですか」と堤は訊いた。
「ええ、大体分かりました。四人には、おたえさんが出産されて、立ち合いを見られる時まで研鑽に励んでもらいましょう。その時が来れば、もう一度、今のように立ち会います」
「その時に、決めて頂けるんですね」
 僕は頷きながら、「はい」と答えた。

 たえが見送りに門まで来た。また、指を絡ませた。その手を僕は握った。
「心配ないから。私がいつでも見守っているから」と言った。