小説「真理の微笑 夏美編」

二十二
 十月になった。
 夏美は、結婚指輪と祐一の入学式の写真を差し入れていた。
 この前、面会に来た時に、退室していく時の高瀬の左手の薬指に結婚指輪が光っていたように見えたからだった。
 今まで面会時に高瀬とアクリル板越しに手を合わせたが、それはすべて右手だった。

 面会室に入ってくると、すぐに高瀬は「元気そうだな」と言った。
 夏美は「あなたもね」と言うと、「規則正しい生活を送っているからね」と答えた。
 高瀬は左手をアクリル板に押しつけて「指輪をありがとう。こうして付けているよ」と言った。夏美も高瀬と手を合わせた。
「これで揃ったわね」
「ああ」
 その後は、祐一の話を夏美はした。いかに努力して私立中学校に入学したのか、そしてその後どのような学校生活を送っているのかを、高瀬に話して聞かせた。
「テニスは楽しそうか」
「楽しくやっているようよ」
「そうか、それは良かった」
「今は中間テストがあるからって、頑張っているわ。あの子、あなたに似て頭が良いから、きっと前よりも良い成績を取ってくると思うわ」
「僕じゃなく、君に似ているんだよ」
 高瀬が「お前」ではなく「君」と言った事に、夏美は一抹の淋しさを覚えたが、「わたしなんか……」と応えた。
 そして「あなたからの手紙、嬉しかったわ。何度も読み返しているのよ。また、送ってくださいね。わたしも書くから」と言った。
「わかった」
「時間です」と刑務官が言った。
「じゃあ、また」と言って高瀬は席を立った。
 夏美も「また、来月来ます」と言った。
 高瀬は背を向けながら左手でバイバイのように手を振って、面会室から出て行った。

「お父さん。どうだった」
「元気だったわよ」
「入学写真、見てくれたかな」
「見ていたわよ」
「そう」
 夕食の時の会話だった。今日から中間テストが始まっていたのだった。
「今日のテストはどうだった」
 夏美の父が祐一に尋ねた。
「数学はできたけれど、古文はいまいちだったかな」と答えた。
「お前は父親に似て、理系に強いんだな」
「うん」
 祐一は誇らしそうにそう返事をした。夏美は祐一が事件の事を引きずっていない事に安堵した。
『高瀬隆一様
 あなたに会えて嬉しかったです。あなたが結婚指輪をしていてくれた事も嬉しかったです。あなたが結婚指輪をしていてくれると、わたしはあなたと繋がっているんだと思えるんです。
 祐一の事もよく話しましたね。祐一は今、凄く頑張っています。少し遠くなりますが、私立中学校に入れて良かったと思っています。今は中間テスト中ですが、テニス部に入って楽しそうにしています。この夏のテニス部の合宿の写真も差し入れますから見てくださいね。
 あなたの事を愛しています。 夏美』
『夏美様
 テニス部の写真、どうもありがとう。祐一が楽しくクラブ活動している事がよくわかった。祐一に負けないように、僕も頑張らなければね。
 次に会える時を楽しみにしている。 隆一』

 祐一の中間テストの結果は、中間層から抜けたものの、上位層の底辺にいるという感じだった。

『高瀬隆一様
 元気にしていますか。
 祐一は中間テスト、頑張りましたよ。少し成績が上がりました。
 あなたは普段はどうしているんですか。きっと慣れない作業をしているんでしょうね。 あなたが、家に帰ってきても、パソコンの前に座ってキーボードを叩いているのを今でも思い出します。わたしがお茶を持って行くと、コーヒーを入れてくれと言いましたね。眠れなくなるわよ、と言うと、眠くなったら自然に眠れるさ、とあなたは笑っていました。あの頃が懐かしくてたまりません。あなたのキーボードを叩く音は、ショパンの調べに似ていましたね。わたしは、コーヒーを出し終えて、隅のソファに座っていたら、いつしか眠っていました。その頃が思い出されます。また、あなたの叩くキーボードの音を聞きたい。そして、その音を子守歌のようにして眠りたい。  夏美』