小説「僕が、剣道ですか? 7」

十五
 月曜日に注文していた物が届いたということで、休み時間に富樫から剣道具の一式が渡された。
「本当は練習に来て欲しいんだがな。一応、部員なんだからな」と言った。
「俺が行ったら、練習にならなくなる」と言い返した。
「部の方針も、無理に練習をさせることはしない。まぁ好きにすればいい」と富樫は言った。
「用具費は金曜日にもらうよ」と言って、領収書を見せた。かなりの額だった。
「明日、払うよ」と僕は言った。今持っている二万円ではとても足りなかった。
「じゃあ、明日」と富樫は言った。そして「二時間目の休み時間に来るよ」と続けた。
「じゃあな」と僕は言った。
 富樫の置いていった剣道具一式は、結構、嵩張っていた。これを持っていれば、剣道しています、と言って歩いているようなものだった。

 昼食時には、沙由理がやってきた。
「昨日はどこに行ってたのよ」と言った。
「一々、言わなきゃいけないのかよ」と言い返した。
「あなたの彼女だもの、当たり前でしょ」と言った。
「あのなぁ」と言おうとした時に、「昨日、おうちまで行ってきたのよ」と沙由理は言った。うちに来たと聞いて、ドキッとした。
「いないって言われて、帰って来たけれど。それに、携帯かけても出ないし」
 きくと会わなかったんだ、と思って安心した。会っていたら、こんな言い方しないからな、と思った。
「昔、通っていた町道場に行っていたんだ」と僕は言った。
「そうなの。で、どうだった」
「変わってなかった」と言った。変わったのは、僕の方だった。
 沙由理は、帰りがけに「次の週末もカラオケね」と言ってウィンクした。

 剣道の道具を持って家に帰った。
 部屋に剣道道具を置くと、きくが「何ですか、これは」と訊いた。僕は剣術の真似をして、「これを練習するときや試合をするときに使う物だよ」と答えた。
「京介様は剣術の練習をするのですか」と訊いた。
「剣道の練習はしない。しかし、試合には出ると約束してしまったからな」と答えた。
「富樫様にですか」ときくが言った。
「よく分かるな」と驚くと、「京介様は富樫様の頼み事は断れませんからね」と言った。
「そうなんだよな」と僕は言った。
 きくは、デニムのシャツ(その下に白いTシャツを着ていた)にジーパンを穿いていた。
「それどうしたの」と訊くと、「お母様と買物に行った時に買ってもらいました。ジーパンは京介様が穿いているので、女物はありますかとお母様に訊いたら、あると言われたので、買ってもらいました」と言った。
「白いTシャツとデニムのシャツもか」と訊くと、「はい」と答えた。その姿のきくはとても江戸時代の女性には見えなかった。

 父は早く帰るようになった。新しく作る家のことで母と相談する時間を持ちたかったのだろう。
 夕食が終わると、食卓は片付けられて、不動産の書類が並んだ。
 きくは洗い物を済ませると、僕がききょうや京一郎を風呂に入れるのを手伝った。ききょうと京一郎を風呂から出すと、僕はゆっくり風呂に浸かった。
 そして、ききょうと京一郎の面倒を見ている間に、きくが風呂に入った。
 きくは風呂から出て来て、ききょうをベビーベッドに、京一郎をベビー籠に寝かせると、僕のベッドに入ってきた。
 僕はきくを抱いた。きくは僕の躰を抱き締めた。

 夜中になって、リビングに下りて行き、ソファに寝転がると、時間を止めて、ひょうたんの栓を抜いた。あやめが出て来た。
 あやめとの交わりは、大変ではなくなっていた。誰かの精気を吸い取ってきたときのあやめは激しかったが、普段のあやめは大人しかった。ただ、包まれているようだった。ひょっとしたら、僕の状態を見てそうしているのかも知れなかった。そう思うほど、優しく包まれた。
 しばらくして、あやめはひょうたんの中に戻った。僕は栓をして、ベッドに入ると、時を動かした。

 眠ると、風車がいた。
 教え子に字を習わせていた。こちらを向いた。その顔が懐かしかった。
「鏡殿、どうしていられた」と訊いた。
「いや、どういうこともありません。風車殿こそ、どうされていたのかと思っていました」と言った。
「拙者はこの通りです」と言った。
 みねが出て来た。少しお腹が膨らんでいるように見えた。
「お久しぶりです」と僕は言った。
「こちらこそ、ご無沙汰しています」とみねは言って、離れに戻っていった。
 何も変わっていなかった。元気にしているようだった。
 離れて、それほど経っていないのに、時間は遥かに過ぎているように感じた。
 玄関から外に出た。光が眩しかった。

 眠りから覚めた。きくはまだ眠っていた。
 起こさないように起き上がった。机の上の財布に富樫に渡すお金を入れた。
「おはようございます」ときくがベッドから起き上がって言った。
「おはよう。起こしちゃったか」と言うと「いいえ、もう起きる時間ですから」と答えた。
 顔を洗い、リビングに下りていくと、食卓に朝食の用意を母がしていた。
「おはよう」と僕が言うと、母も「おはよう」と言った後、「三十年一括借上げは考え直すわ」と言った。
「どうしたの」と訊くと、「あなたに言われて、ネットで調べたの。自分で管理する方がずっと良いってことがわかったのよ」と答えた。
「そうだね。自分で管理すれば、アパートのこともあれこれ分かるし、面倒だけれどそうすれば」と言った。
 僕が食べ始めた頃、父が顔を出した。
 朝の挨拶を交わすと、父は珍しくパンを食べた。
 僕は食べ終わると、「ごちそうさま」と言って、食器をキッチンに持っていき、三階に上がった。
「そのうちにききょうと京一郎を小児科に連れて行こうと思う」と言った。
「どうして、どこも悪くないのに」ときくは言った。
「予防接種だよ。前に、ききょうもしたろ」
「必要なんですか」
「必ずしも必要とは言えないが、気にしているよりもした方がいいと思って」と僕は言った。
 でも、いつ生まれたことにすればいいのだろう。ききょうは前のでは合わなくなる。多分、一歳七ヶ月になっているだろう。京一郎は四ヶ月にはなっている。この四月末から五月にかけての連休中に考えればいいか。
 そんなことを考えているうちに、学校に行く時間になった。
 富樫が呼びに来た。
「行ってきまーす」と言って家を出た。