小説「僕が、剣道ですか? 4」

二十四
 その夜の宿は、一泊二食付き四百文の個室を頼んだ。代金は珍しく先払いだった。部屋は一階の角部屋だった。
 ここも川湯だった。用心のために手ぬぐいに折たたみナイフを隠し持った。
 しかし、襲われなかった。
 湯から出ると、夕餉の用意がされていた。女中の歩き方が妙に感じた。
 きくが味噌汁を飲もうとしたのを、僕は止めた。何か嫌な予感がした。庭の草むらに夕餉をすべて捨てた。
「どうしたんですか」ときくが訊いた。「何か嫌な予感がする。私の予感は当たるのだ」と答えた。
 膳が片付けられると、僕はきくに苦しそうなフリをしろと言った。僕も苦しそうなフリをした。すると、襖が開けられ、そこに十人ばかりの男女の忍びの者がいた。
「鏡京介も、毒には敵わないだろう」と言った。
「その味噌汁にはふぐの毒が入っていたのさ」
「躰が痺れて動けまい。そのうちあの世に行けるよ」と言って笑った。
「それはどうかな」と僕は立ち上がった。そして床の間の定国を掴んだ。
「そんな馬鹿な」と言った相手は、腹を刺されていた。油断をしている相手を斬るのは簡単だった。次々に腹を刺し、袈裟斬りにしていった。十人は、あっという間に倒れた。
 血だらけになったので、川湯に入り頭や躰を洗った。
 そしてタオルで躰を拭くと、着物を着た。窓の外に干してあった物は取り込んだ。

 きくに「他の宿に泊まろう」と言った。
 その宿を出ると、まだやっている宿を探した。
 素泊まりで、個室なら一泊一人二百文と言われた。そこに決めた。風呂はなかった。
 部屋に案内されると、浴衣に着替えて、窓の外に取り込んできた干し物を干した。
 それから布団を敷くと、僕はすぐに横になった。疲れていたので、そのまま眠った。

 朝起きると、きくはききょうに乳を与えていた。庖厨を借りてミルクも作ってきた、と言っていた。
 女中がやってきて「出立の時間ですよ」と言って行った。午前十時頃だった。
 僕は浴衣から、着物に着替えると、帯に定国を差した。
 風呂敷包みを持つと、忘れ物がないかを確認して、宿代を払い、草履を履いて外に出た。
 日が眩しかった。
 昨日の夜も朝も食べていないので、お腹が空いていた。
 飯屋を探したが、まだ開いていなかった。
 しかたなく、山道を歩いた。
 つけてくる者が後ろに二人いた。とはいえ、この山道を前に進むしかなかった。いつの間にか、後ろにいる者の数が増えていた。十人はいた。次第に山道の坂はきつくなってきた。一つの坂を登り切ると、緩やかになった。その先に二十人ほどの忍びの者が待ち受けていた。後ろにつけてくる者も十人から増えて十五人ほどになっていた。
「きく、ききょうと木の陰に隠れていろ。そして、危なくなったら、叫べ」と言った。
「わかりました」ときくは言って、ききょうと共に木の陰に身を隠した。
 三十五人を相手にするのは、空きっ腹には堪えた。
 後ろの十五人と前の二十人が手裏剣を投げてきた。これは時間を止めるしか逃げようがなかった。時間を止めて、近くの木の陰に隠れた。時間を動かすと、向こうは相手を見失ってうろうろしていた。そこに定国を抜いて、斬り込んでいった。
 最初に出会った三人を斬り倒すと、その後ろの者の腹を二人一緒に串刺しにした。左右から襲ってくる者を斬り殺すと、振り向きざまに二人を斬った。その二人の後ろから、二人の躰を利用して飛び上がった二人組はその足を斬り落とした。
「助けてー」という叫び声が聞こえたので、見ると、男が今正にきくを刺し殺そうとしているところだった。時間を止めた。そして、きくの所まで行き、その男の刀を持っている腕を斬り落とすと、その刀で腹を裂いた。
 きくとききょうを抱いて連れ出すと、道の反対側の木の陰に隠した。
 そして時間を動かすと、きくを殺そうとしていた男の腕が、あたかも自分の腹を裂いたような感じになり、腸がはみ出してきた。その側にいた者三人も斬り殺した。
 僕が瞬間移動したように見えたので、相手は途惑っていた。その隙に四人斬り倒した。
 まだ、十五人残っていた。
 彼らは使命を帯びてやっていることなので、いくら仲間が斬り殺されても、人数が減ろうとも、士気は一向に衰えなかった。そこがやっかいなところだった。
 十五人の刀から発する殺気は凄まじかった。
 一斉に斬りかかってきた。相手の陣形を乱すのが、一番だった。まず、右に走り、右の者二人を斬った。そのまま前に走り、前方の二人をほぼ同時に斬った。今度は反転して、後ろから追ってくる者三人の胴を回し斬りした。左から打ち掛かってくる者の刀をかわすと、脇から上に向けて刀を突き刺した。
 正面の者は頭から真っ直ぐ下に斬り落とした。
 そして、振り向きざまに二人を突き刺した。
 山道の真ん中に出ると、五人が僕を囲んだ。正眼の構えのまま、突いて来た。前の二人の刀を払うと、一人は肩から斬り、もう一人は脇腹を刺した。右の者の刀を腕ごと斬り落とすと、その顔を刺した。左の者と後ろの者の刀が迫ってきた。それを定国で弾くと、二人の首を斬りはねた。
 山道は血だらけだった。
 いざ、懐紙を取り出して刀の血を拭こうとすると、もったいなくて、最後に斬った者の袖で刀を拭い、鞘に収めた。

「きく、出て来ていいよ」と僕は叫んだ。きくはききょうを抱いて、木陰から出て来た。
 僕は風呂敷包みを確認して、背中に背負った。
 全身、血を浴びていたので、どこか水の湧き出している所を探した。少し歩いて行くと湧き水の出ている所を見付けたので、風呂敷包みを下ろし、まず水を飲んだ。沢山飲んだ。夕餉と朝餉を食べていないので、その分、いっぱい飲んだ。
 次に頭と顔を洗った。それから着物を脱いで、手ぬぐいで躰を拭くと、着物を洗った。そして、着物を絞ると濡れたままの着物を着た。これは歩いて行くうちに乾くだろうと思った。足袋と草履も洗った。これも濡れたまま履いた。
 最後に手ぬぐいを洗って、風呂敷包みから吊り下げた。
 その間にきくはききょうにミルクを飲ませていた。
 空腹だった僕は、ききょうが羨ましかった。

 山道はまだまだ続いていた。どこかで昼餉でも食べられそうな所を探したが、なかった。
 山道を下りて通りに出ると、甘味処があったので、お汁粉を僕だけで三杯も頼んだ。その他にぼた餅も五個頼んだ。きくはあんこの付いた串団子を頼んだ。
 お汁粉三杯、ぼた餅五個を食べ終えると、人心地がついた気分になった。

 店を出ると、次の宿場まで歩いた。
 宿場に着くと、まだ日は陰っていなかったが、早速宿を探した。門構えの良さそうな宿にした。一人一泊二食付きで相部屋だと三百文、個室だと五百文だと言われた。個室を選んだ。
 一階の隅の部屋だった。ここも川湯だった。
 新しいトランクスに手ぬぐい、浴衣、折たたみナイフを持つと川湯に向かった。
 着ていた着物は、一度洗っていたが、ここでも洗ってみると、まだ血が付いていた。着物を踏み洗いして、頭を洗い、髭を剃った。湯で躰を流すと、川湯に浸かった。首まで浸かれるので、気持ちがよかった。湯から出て、古いトランクスを洗うと、もう一度、湯に浸かり、上がって浴衣を着た。
 干し物は窓の外の掛け竿に干した。
 押入から枕を出して、畳の上に横になって眠った。
「夕餉ですよ」ときくに起こされた。きくも浴衣を着ていたから、僕が眠っている間に川湯に行ったのだろう。
 夕餉は川魚の焼き物が主だった。僕はご飯を沢山食べた。きくも沢山食べた。ききょうも味噌汁を掛けたご飯を沢山食べた。みんなが沢山食べた。
 夕餉が済み、布団を敷くと僕はすぐに眠った。きくは抱きついてきたが、きくの相手をしているほど、体力は残っていなかった。