小説「僕が、剣道ですか? 4」


 次の日、起きると、きくはおっぱいを出してききょうに乳を飲ませていた。
 顔を洗うと、朝餉になった。
 乳を飲んだが、皿にご飯を載せて湯を少し掛けて潰すと、それをききょうはよく食べた。今日もおかわりをした。
 僕も焼き魚をおかずにご飯を二杯食べた。
 ショルダーバッグの中身をジーパンや長袖シャツなどに替えてこれも布団の間に隠し、後は風呂敷包みと折りたたんだナップサックを持ち運ぶようにして、外出することにした。
「何か欲しいものがあるか」ときくに訊くと「針と糸と鋏があると便利なんですけれど」と言う。
「じゃあ、小間物屋にでも行ってみるか」
「はい」
 小間物屋は通りの中程にあった。
 中に入ると、女の物が結構置かれていた。
「針と糸と鋏を探しているんだけれど」と店の者に言うと、「これですが」とそれらを置いてある浅く大きな箱を出してきた。
 きくは、大中小の針と針刺しと指ぬき、そして白と黒と紺と赤の糸を選んだ。代金二百文を渡して、それらを布袋に入れてもらった。
 店を出ると「スリだー」と言う声がした。見ると、若い男がこっちに向かって走ってくるので、その足を引っかけて転ばせた。右手を背中にねじると、三十代の男が息を切らしてやってきた。
 若い男の懐を探ると財布が出て来た。
「これかい」と、追ってきた男に見せると、「そうです」と答えた。それで、財布を放って渡した。その男は中身を確かめていた。
「確かにあるかい」と訊くと「はい」と答えた。
「近くに番所はあるか」と僕が訊くと、通りの端にあると言う。
 僕はスリの手をねじり上げたまま立ち上がると、三十代の男に「番所まで一緒に行こう」と言った。
 きくには、「宿で待っているように」と言った。
 スリの男は何とか逃げようとするので、その度に腕を強くねじり上げた。
 番所には、役人が二人いた。
「どうしたんだ」と役人の一人が言うので、三十代の男が、僕に腕をねじり上げられている男を指して「こいつに財布をすられたんです」と訴えた。
 僕は腕をねじり上げている男を、もう一人の役人に渡した。
 机に座っている役人が、三十代の男に、「所と名前は」と訊くので、「材木問屋をしている木村屋の主の五兵衛です。この先に店があります」と答えた。
「それで、そちらの名前と住んでいる所は」と僕に訊くので、「鏡京介と言います。ここの高木屋という宿に宿泊しています」と言った。
 捕らえられた者は、もう一人の役人に縄で縛られていた。
「すられた物は」
「財布です。中身は、五両と二分です」
「中身は全部あったのかい」
「はい、ございました」
「鏡京介とか申す者、おぬし、侍か」
「はい」
「侍にしては刀を持っておらぬようだが」
「恥ずかしい話ですが、長旅の途中で金に換えました」と僕は嘘を言った。
「身分を証明できるものはあるか」
「今、白鶴藩に手紙を出して、その返事を待っているところです」
「白鶴藩の者か」
「はい」
「高木屋に逗留しているんだな」
「そうです」
「わかった。行っていい」
 僕は番所を出た。すぐに木村屋の主、五兵衛も出て来た。
「この度はありがとうございました」と頭を下げた。
「いえいえ、大したことをしたわけではありませんから」と言った。
「これから店に戻りますが、お茶でもどうですか」と誘われた。
 僕は「宿に戻るので、ここで失礼させて頂きます」と答えた。
 五兵衛はまた、頭を下げた。

 宿に戻り部屋に入ると、きくが「どうでした」と様子を訊いて来た。僕はあらましを話して聞かせた。

 二日ほどして、昼頃に番所の下っ端の方の役人が来た。
「同行していただきたい」と言うので、「きく。出かけてくるがいいか」と訊くと、「きくはここでお帰りをお待ちしています」と答えた。
 僕は、下に下りていき、草履を履くと、その役人について、番所まで行った。
 番所に着くと、もう一人の役人が「あの後、隣町の番所の者にそちのことを問い合わせたところ、凄腕の剣客だそうじゃな」と言った。
「凄腕かどうかは分かりませんが、剣には少々自信があります」と応えた。
「そこで頼みがあるのじゃが」とその役人は切り出した。
「ここから四里ほど行った先の古寺に盗賊どもの住処がある。番所からも何度も討伐隊を出したが、一向に退治できぬ。おぬし、手を貸して貰えぬか」と訊いてきた。
「手を貸そうにも、私は帯刀していません。これでは戦いようがありません」と言った。
 すると、その役人はもう一人の役人に、「盗賊たちから取り上げた刀を持ってこい」と言った。その役人は番所の奥に入っていき、何本かの本差と脇差を持ってきた。
 僕はそれらを一本一本抜いて、刀の状態を見た。ほとんどの刀が刃こぼれをし、錆びていた。その中でも状態のいい本差一本と脇差一本を選んで「これを頂けるのでしたら、手伝いましょう」と言った。
「そうか、わかった。その刀はそちにやろう」
「ありがとうございます。でも、刀は刃こぼれがしたり錆びたりしていて、すぐには使えません。研ぎ師に研いでもらう必要があります。この町に研ぎ師はいますか」
「町外れに一軒ある」
「ではそこで研いでもらいます。研ぎ終わったら、討伐隊に合流します」と言った。
 そう言うと、役人の顔が曇った。
「何か都合の悪いことでもありますか」
「その討伐隊のことだが、当方では出せぬ」
「では、討伐には行けぬではありませんか」と僕は言った。
「わかっておるのだが、何とかそち一人で討伐に行っては貰えないだろうか」
「それは無謀です。相手は何人ですか」
「確か、二十四人だ。弓や槍も持っている」
「それでは私一人ではどうにもなりません」
「だが、問い合わせた番所の話では、二十数人ほどの盗賊を一人で倒したことがあると言っておったぞ」と役人は言った。
「それは話が大きくなって伝わっているのです。私一人で二十数人も相手にできるはずがありません」と僕は言った。
「そうよのう。そちを見ていても、とても二十数人を倒したお人には見えぬ」
「でしたら、この話は無かったことにして頂けますか」
「そうしたいところだが、もう討伐して貰えるようにお願いしたと答えてしまった」とその役人は言った。
「何て言うことを。それでは、もう討伐に向かうことは決まっていて、その討伐に向かうのは私一人ってことなのですか」と訊いた。
「有り体に言えば、そうだ」と役人は言った。
「そうですか」
「盗賊たちには懸賞金が懸かっている。首領には十両、主だった者五名には一人二両、その他の者には一両、締めて三十八両の懸賞金が出る」
「その懸賞金を受け取る前に、私が殺される」と僕は言った。
「すでに刀を渡している。断れば、そなたたちの詮議をやり直すことになる」と役人は言った。
「分かりました。どうしてもやらなければ、ならないってわけですね」
「申し訳ないが、そういうことだ」
「だったら、刀を研がしてから行かせてもらいます。刀の研ぎ代は、そちら持ちでよろしいですよね」と僕は言った。
「わかった。それでよい」
「では、研ぎ師の所に案内してください」
「安岡、案内してやれ」と役人が言った。
 下っ端の役人が「こちらです」と先に番所の外に出て、歩き出した。
 研ぎ師の所は、役所の向かい、二軒目の所にあった。
「何か研ぎ物でも」と研ぎ師が言った。
 僕は番所でもらった本差と脇差二本を出した。
 研ぎ師は本差を鞘から抜いて見た。
「ひでえな、こりゃ」と言った。
 脇差の方も鞘から抜いて見た。
「どっちもひでぇや」と言った。
 下っ端の役人が「いつまでかかる」と訊いた。
「今から研ぎ始めても明日までかかりますぜ」
「じゃあ、明日の朝、取りに来る。それまでに研いでおいてくれ」
「わかりやした」
 僕らは研ぎ師の店を出た。
 通りに出ると、下っ端の役人は「明日、刀を受け取ったら、あっしが旦那を迎えに行きますから、旅支度をしておいてください」と言った。
「あなた一人ですか」と僕が言うと、「あっしは案内役です」と応えた。
「分かった。死地に向かうようなものだな」と僕は言った。
 下っ端の役人は「あっしはこれで」といなくなった。