五
寝る場所については、きくと母が鋭く対立した。
母はリビングに布団を敷き、そこにきくとベビー籠に入ったききょうを寝かせると言ってきかなかった。きくは僕と同じ部屋に寝ると言い張った。
「こればかりは、お母上のお言葉でも受けられません。わたしは京介様と寝ます。これまでもそうしてきたし、これからもそうです」
「あなたね、そんな非常識なことができますか。いくら、子をもうけたって、この家では別に寝てもらいます」
「お母さん、それをきくに言っても無理だよ。きくは僕と寝るんだ。ずっとそうしてきたから」
「だってね、それじゃあ」
「世間体なんて関係ないよ。もう、ききょうがいるんだよ」
他にも京太郎もいるけれど。
とにかく、きくの頑固さに母は負けた。
ともあれ、きくと僕は僕の狭い部屋で寝ることになった。
僕はベッドで、きくは床に敷いた布団に寝るはずだった。しかし、きくはそれじゃあ一緒に寝た気がしないと言い出した。
きくは僕のベッドに入り込もうとした。しかし、狭かった。
床に敷いた布団に僕ときくとが寝てみた。ベッドより狭い感じだった。
結局、きくを壁際に寝かせ、僕は転げ落ちないように床側に寝た。もちろん僕が転げ落ちても安全な場所にベビー籠は置いた。
きくは僕にしがみつくように寝た。
次の日、僕が制服を着ると、きくは珍しそうに見た。
「いつも、その格好で学校とかいうところに行くんですか」
「そうだよ」
「道場で剣道を習うのに似ていますね」
「そうだな」
「いってらっしゃいませ」
玄関できくは正座をして手をつき、頭を下げた。
「ああ、行ってくる」
その様子を見ていた母は呆然としていた。
「きくとききょうのこと頼んだよ」
「わかったわ」
学校に着くと、担任から昼休みに校長室に来るように言われた。
「京介、久しぶり」とか「お前、大活躍だったな」とか、何人もの生徒に言われた。
僕が乳母車を抱いたままトラックに衝突したことは、学校中に知れ渡っていた。
こいう話題で注目されるのは、苦手だった。
授業が嫌いな僕が、授業が始まってホッとしたのは、初めてだった。
昼休みに校長室に行くと、「赤ちゃんを助けたことで、西新宿署署長名義で感謝状が出る。次の朝礼の時に渡すからそのつもりで」と言われた。朝礼は毎週月曜日に行われる。今日が火曜日だから、一週間後になる。憂鬱な一週間になりそうだった。
放課後になると、僕はすぐに家に帰った。きくとききょうが心配だったからだ。
玄関に入るやいなやきくが抱きついてきた。それを母が嫌な顔で見ていた。
「ききょうは」
「京介様のお部屋で眠っていますわ」
「そうか」
僕は制服を脱いで、普段着に着替えた。
それから財布と携帯を持って、オーバーを着た。
「どこかに行くんですか」
「ちょっと買物に行ってくる」と言いながら、巾着の中から小判を一枚取り出していた。
「わたしも行きます」
「その格好じゃ、無理だ。その内にここでも外に出られるように洋服を買おう」と言った。
「うれしい」ときくは、よくわからずに喜んだ。
玄関を出る時、母が「京介、出かけるの」と訊いた。
「うん、ちょっと買物をしてくる」と言った。
「わかったわ。いってらっしゃい」
僕は買物に行くつもりはなかった。
小判を黒金古物商に持って行くためだった。
新宿からはそう遠くはなかった。
黒金駅で降りると、商店街を見て回った。
黒金古物商は、駅からさほど遠くない所にあった。
古いビルの二階だった。階段を上って、扉を開けた。待合室に入り、番号札を取った。上の方に番号の書いてあるランプが幾つもあった。僕の持っている番号のランプが点いた。僕はドアを開けて中に入った。いくつかのブースに分かれていて、ブースごとに番号がついていた。僕の持っていた札のブースに入り、番号札を中にいる人に渡した。
「何を売りたいんですか」と訊いた。中年の男性だった。
僕は宝永小判を出した。
「ほう、小判ですか」
男は小さな顕微鏡のようなもので、その小判の表と裏を見た。
「これは珍しい。未使用品ですな」
「で、いくらですか」
「これだと三百万円ってところですかね」
「今、お金に換えられますか」
「あなたは何歳ですか」
「十六歳です」
「だったら、親御さんを連れてきなさい。ゲームやCDなどの少額商品ならすぐ買い取ることはできるけれど、これは三百万円もするものなので、親の承諾が必要なんです」
「そうですか。分かりました。次に来る時には、連れてきます」
そう言うと僕は小判を返してもらって、ポケットに入れた。それからブースを出た。
階段を下って、通りに出た。壁に寄りかかっていた若者が僕の後ろをついてきた。
もう少し行くと路地になる。
後ろから「兄さん」と声をかけられた。振り向くと、パンチが顔に向かってきた。
その拳を掴んで、僕は殴られたように倒れた。
当然、殴ってきた若い男も倒れた。若い男の拳を捻って手を広げさせた。若い男はナックルダスターを嵌めていた。それを奪い取って、右手に嵌めた。若い男の腕をねじり上げて、路地に入った。そこには、四人ほど仲間がいた。
僕は男の背中を蹴って、仲間の方にやった。
蹴った男が向き直って、五人揃ったところで、僕は携帯で写真を撮った。
「この野郎、ふざけた真似しやがって」
僕に蹴られた男が殴りかかってきた。しかし、ナックルダスターは僕が奪って、僕が嵌めていた。その拳でその男はしたたかに顔面を殴られた。ひょっとしたら鼻の骨が折れたかも知れなかった。顔を押さえて倒れ込んだ。
周りで見ていた奴らも顔色を変えた。一人は金属バットを持っていた。それを振り上げて、襲って来た。僕はそれをかわして、その足を払った。その男は地面に腹ばいになった。
もう一人は金属棒を持っていた。あと二人はナイフをちらつかせた。僕はその写真も撮った。金属棒を持った男が殴りかかってきた。僕は、その一撃を避けながら、彼から金属棒を奪い取った。
そして、金属棒を刀を構えるように持った。
「五人で一斉にかかれば、金属棒なんて関係ないさ」と誰かが言った。
「ナイフで切ってもいいかな」
「構うもんか」
「向こうは金属棒を持っているから、正当防衛さ」
「そうさ」
そう言うと五人が一斉に飛びかかってきた。
最初に向かってきた者の手を思い切り叩いた。手の骨が砕けたことだろう。次にナイフで向かってきた一人の右腕を金属棒でへし折った。後ろに回った男が金属バットを打ち下ろしてきたから、それを避けて、胸を金属棒で打った。あばら骨が折れたか、ひびが入ったことだろう。ナイフを持っていたもう一人は、少しびびっていた。しかし、容赦なく僕はその右腕を金属棒で叩いた。やはり骨が折れただろう。
ナックルダスターを持っていた奴は逃げだそうとしていたから、金属バットを投げて、その足に絡ませた。若いその男は転んだ。転んでいるその男の右足を金属棒で殴った。足の骨の折れる音がした。
転がっている男たちの懐を探った。生徒手帳が出てきた。皆、黒金高校の生徒だった。