小説「僕が、剣道ですか? 3」


 家に着いた。
 カードキーで中に入った。
 僕の部屋から大きな声と赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
 僕は慌てて三階に上がった。
 僕の部屋を開けると、母と父が僕を見た。
 その後で、「京介」と言って、きくが立ち上がり、僕に抱きついてきた。
 まだびしょ濡れの着物を着ていた。
「どうしたんだよ。まだ着替えさせていなかったのか」
 僕は怒鳴った。
「その子が嫌がるんだもの。それより、お前、病院はどうしたの」
 母は驚いて訊いた。
「抜け出てきたに決まっているじゃないか」
 僕はそう言った。
「だって、先生が駄目だって言っていたじゃないの」
「僕は平気さ。それより、うちのことの方が心配だったんだ。早く着替えさせなくちゃ。それとお風呂、沸かしてくれている」
「ああ、やっておいた。もう沸いている」
「それなら、きくを風呂に入れなくちゃ」
「そうだな」
「お母さん、着物、持っている」と僕は訊いた。
「そりゃ、持っているわよ」
「喪服じゃないよ」
「わかっているわよ。振り袖の頃の物も取ってあるわよ」
「それを出してきてよ。きくに着せるんだ」
「わかったわ」と言って、母は納戸に入っていった。
「きく、震えているじゃないか。寒いだろう。風呂に入れ」
 きくの手を引くと、一階の風呂場まで連れて行った。脱衣所に来ると「きく、着物を脱げ」と言った。
 きくは「はい」と言って、着物を脱ぎだした。
「おい、京介。何、やっている」と父が言った。
「これからきくを風呂に入れるんだ」
「だったら、お前、こっちにこい」
「それじゃあ、どうやって風呂に入るか分からないだろう。教えてやる必要があるんだよ」
「どういうことなんだ」
「親父、あっちに行っててくれ」
「そうはいかんだろ」
「赤ん坊はどうしたんだよ。放っておく気かよ」
「それとこれとは……」
「頼むから、僕の言うとおりにしてくれ」
「脱ぎました」ときくが言った。
「そしたら……」と言いながら、僕は風呂場の戸を開けて「そこに入って」と言った。
 そして、僕も服を脱ぎ始めた。
「何をしてるんだ」
「服を脱いでいるんだよ」
「お前、正気か。中には女の子がいるんだぞ」
「分かっているよ」
「だったら」
「いつもこうしていたんだよ」
「どこで」
「一々、うるさいな、後で説明するから、今はほっといて」
 僕は服を脱ぐと、風呂場に入っていった。風呂には湯が張られていた。
「厠に行きたくなりました。どうしましょう」
「大きい方か」
「いいえ」
「ここでしちゃえ」
「恥ずかしいです」
「じゃあ、はばかりに行くか」
「はばかりに行きます」
 濡れた着物をもう一度着て、僕はトランクスと肌着姿で、隣のトイレを開けた。
「どうすればいいんですか」
 僕はトイレの蓋を開けた。そして、便座を指さして、「そこに座ればいいんだ」と言った。きくは便座の上に足をかけてしゃがもうとして苦労していた。
「馬鹿、そう座るんじゃない」
 僕はきくを便座から降ろすと、お尻を便座につくように座らせ、足を床につかせた。
「どうだ。この方が楽だろう」
「はい」
「それでしてみろ」
「…………」
「どうした」
「恥ずかしいです」
「分かったよ。出て行くよ。終わったら、この戸を叩くんだぞ。そうしたら開けるからな」
「わかりました」
 僕はトイレから出た。
「どうしたんだ」と父が口を出してきた。
「今、トイレに入っている」
「風呂は」
「これから」
 そのうちに、トイレの戸を叩く音がした。
 僕が開くと、後ろにいた父が見えたようで、「きゃー」と悲鳴を上げた。
 父はすぐに玄関の方に行った。
「いませんか」と中から声がした。
「もう、いない」
「では開けてください」
 僕は戸を開けた。
「この後、どうしたらいいのかわからないんです」
 僕は「ここを見て」と二連になっているトイレットペーパーのホルダーを指さした。
「ここからこうして紙を取り出すんだ」
 二枚重ねのトイレットペーパーを引っ張り出して、四つ折りにした。
「それで、またを拭くんだ」と言った。
「拭くんですか」
「そうだ」
「わかりました」
 僕はいったん、外に出た。そしたらまた戸を叩く音がした。
「この後、どうするんですか」
「水を流すんだ」と言って、きくを立ち上がらせたら、トイレの中にトイレットペーパーがない。
「紙はどうしたんだ」と言うと、着物のたもとから取りだした。
「その紙をトイレに捨てるんだ」
「この中に捨てるんですか」
「そうだよ」
「もったいないです」
「それは拭くだけで、用済みなの。だから、捨てるんだよ」
「まだ、使えるのに」
「一度使った紙、これはトイレットペーパーというんだが、この紙は使ったら捨てるの。分かった」
「はい」
 きくは袂に入れていた紙をトイレの中に捨てた。
「そうしたら、このボタンを押すんだ」と、操作器の上部についている「大きい」と書いてあるボタンを押させた。大きい方をする時も困らないようにするために「小さい」と書いてある方を敢えて押さなかったのだ。
 すると、トイレの水が流れて、新しい水に満たされた。
 僕の家のトイレはウォシュレットだったが、使い方が分からないだろうと思ったから、最初は教えなかった。
 トイレを済ませたら、きくを裸にし、僕も裸になった。風呂場に入ると、かけ湯をして僕は風呂に浸かった。きくも入れよ、と言いたかったが、僕の家の風呂は小さかった。
 僕が出て、きくを風呂に入れた。
「初めてです。こういう風呂に入ったのは」
「だろうな」
 家老のところの風呂は、蒸し風呂のようだった。躰を洗う時だけ湯を使い、最後に上がり湯をかけて風呂から出た。
 きくの髪を解いて、シャンプーで洗った。きくはめったに髪を洗わないので、シャンプーで洗うことに驚いた。僕は指できくの髪をすくように洗った。最後はシャワーで流した。きくはシャワーを珍しがった。どうしてこんなに細かい水が出るのか、何度も僕に訊いた。
僕は説明するのが面倒だった。
 今度は、きくにスポンジを持たせて、背中を洗わせた。
「面白い」ときくは言った。時々、シャボン玉ができる。それを見て、きくがはしゃいだ。
 その時、「ここに着物を置いときますからね」と母がドアの外から言った。母の声には棘があった。若い男女が昼間から風呂に入って、騒いでいるのだ。それに何といっても僕は、まだ高校一年生だった。
「分かった。ありがとう」
 僕はそう言うしかなかった。後が大変だぞ、とは思った。
 きくはシャボン玉を作っては消すのが、楽しいようだった。それをしていたんでは、いつまで経っても切りがないので、僕は「出るぞ」と言った。
「はい」ときくが言うと、僕はシャワーで躰をもう一度流して、それからきくにもシャワーを浴びせた。
 僕は自分の下着を戸棚から探して身につけ、新しいシャツを着て、洗い立てのジーパンを穿いた。
 きくは「これはどうしたらいいんでしょう」とショーツを見せた。
 僕は前と後ろを確認してから、きくに僕の肩に両手をかけさせて、「右足を上げて」、「そう」、「次は左足」というようにしてショーツを何とか穿かせた。
「なんだか変な感じ」ときくは言った。
 後は着物だったから、襦袢から着物まで、きくが自分で着た。きくの着た着物は派手だった。よそ行きには良いかも知れないが、普段着る着物ではなかった。