小説「僕が、剣道ですか? 5」

二十八

 次の宿場に着いたので、昼餉をとることにした。

 僕は焼き鮭定食にした。

「拙者もそれにするかな」と風車が言った。

 きくは鴨南蛮にご飯を頼んだ。

 時間を止めての戦いは疲労感を伴う。こればかりはどうしようもない。今は相手は小出しに戦いを仕掛けてきているが、一気に来られたときにこちらの体力が持つかどうか心配だった。

 だが、その時はその時だと腹をくくるしかなかった。

 商人らしき男が店に入ってきた。定国が唸った。

 僕は風車の耳元に口を寄せて、「今の男、隠密ですよ」と言った。

「わかるのですか」と訊くので、僕は頷いた。

 そして、また風車の耳元で「この先にも公儀隠密が待ち構えているということです」と言った。

「そうですか。ではここでしっかり腹ごしらえをしておかないといけないですな」と風車は言った。

 僕は苦笑した。戦うのは、風車ではなく僕なのだがな、と思った。

 商人風の男は斜向かいの席に座った。

 掛け蕎麦を頼んでいた。

 僕らの昼餉が運ばれて来たので食べた。食べ終わると、風車の言うように、しっかり腹ごしらえをしておいた方がいいと思えてきたので、掛け蕎麦を追加注文した。風車も同じく掛け蕎麦を注文した。

 ききょうは美味しそうに汁のかかったご飯を匙で食べていた。

 これからが大変なんだぞ、とききょうの笑顔に向かって、僕は心の中で呟いた。ききょうの笑顔が救いだった。次の戦いがいくら激しくなりそうだとしても、ききょうを思い出せば僕は戦える。僕には、失ってはならないものがあるのだ、と思った。

 ききょうに匙でご飯を与えているきくも見た。きくも失ってはならないものになっていた。

 斜向かいの男は、掛け蕎麦を食べ終わったのに、なかなか出て行かない。その代わりにお茶を飲み、おかわりをしている。

 僕らが出るのを待っているのだろう。

 斜向かいの男の様子には、風車も気付いていた。

「おかしいですよね」と小さな声で僕に言った。僕は黙って頷いた。

 僕らは食べ終わると、きくが哺乳瓶に白湯を貰いに行き、勘定を済ませると店を出た。

 商人風の男も出て来た。

 僕らがゆっくり歩いている後ろを付いてきた。

 

 街道を通っていくと林が見えてきた。定国が唸り出した。あの林の中に敵は潜んでいるのだ。

 僕は風車を見た。

 風車は「あの林ですね」と言った。

「ええ」と応えた。

「おきくさんたちは任せてください」と風車が言った。

「後ろの商人には、くれぐれも気をつけてください」と言った。

「承知しています」と風車は言った。

「では、頼みます」と言うと、僕は林の方に向かって走り出していった。林に入る前に、矢が襲ってきた。定国で叩き落とすと、林の中に突っ込んでいった。

 次の矢をつがえようとしている者たちを、時を止めて、その腹を次々と切っていった。そして少し離れると時を動かした。様子を探った。

 定国は上の方を指して唸っている。僕は林を駆け上がって行った。安全靴に履き替えておけば良かったと思ったが遅かった。

 もう敵と遭遇していた。

 相手は槍で突いてきた。その槍は定国で簡単に切り落とすことができた。

 相手の槍部隊は十人だった。二十人槍を経験している僕には、子どもを相手にしているようだった。時を止める必要はなかったが、返り血を浴びることが嫌で、時を止めて十人の腹を切り裂いた。そして、離れると時を動かした。

 まだ上に敵はいた。

 山道に出た。そこに五人ばかり、剣士がいた。どれも手練れの者たちだった。常時だったら、普通に立ち会いたかったが、今は戦場だった。勝つことが第一義だった。

 僕は時を止めて、彼らの腹を切り裂いた。

 時を動かすと、信じられぬという顔をして彼らは倒れていった。

「なるほど、そういうことか」と言う声が後ろからした。

 振り返ると、僕と同じ丈ぐらいの男が着流しで立っていた。刀は抜かれていた。

「時を止められるのか」と男は言った。

「そうでもなければ、この一瞬にそこにいる者たちを斬ることなど不可能だからな」と続けた。

 男は刀を鞘に収めると、「ここは引くに限るな」と言った。

 僕はそいつに秘密を知られた以上、逃がすわけにはいかなかった。時を止めた。そして、そいつの前に回り込んだ。腹を切り裂こうとしたら、その刀を止められた。

 僕は驚いた。

「残念だったな。わたしも時を止められるんだよ」と男は言った。

 なら、なおさら逃がすわけにはいかなかった。

 僕は腹を裂くのを諦めて、正眼に構えた。

 相手は動いてこなかった。こちらから行くしかなかった。僕は定国を突き出した。素早くその刀を弾かれた。そして、すぐに突いて来た。僕はその突きを外すと、相手の小手を狙った。しかし、それも外された。止まっている時間の中でも、相手は自由に動けた。

 そして、強かった。

 相手は次々と刀を繰り出してきた。それを弾くのが精一杯だった。時間を止めていられなくなった。時を動かすしかなかった。

「そこが限界か」と相手は言った。

「わたしはまだ止められるぞ」と言って、相手は時を止めた。

 僕は止められた時間の中を動かなければならなくなった。それは時を止めているのと、代わりはなかった。限界を超えて、時の止まっている中を動いた。

 激しい剣が襲ってきた。定国はそれらの剣をことごとく弾き返してくれた。

「これが最後だ」と言って、相手は上段に構えた。そのまま打ち下ろしてくるのだろう。

 僕も上段に構えた。相手の力量が勝っていることは紛れもないことだった。この勝負は僕の負けだろう。ここまでだと思った。

 相手の刀が振り下ろされた。僕も定国を振り下ろした。すると、不思議なことが起こった。相手の刀が切り裂かれていったのだ。定国の方が硬かったのだ。そのまま、相手の胴体を斬り裂いた。

 恐ろしい戦いだった。時が動き出した。しかし、僕はその場に倒れてしまった。倒れたら、起き上がることもできなかった。そしてそのまま眠ってしまった。