小説「僕が、剣道ですか? 5」

二十七

 朝餉が済むと、きくはききょうの白湯を貰いに行き、宿を後にした。

 今日もいい天気だった。いつもより街道を歩く人の数が多かった。

 しばらく、台車を押して歩いていた。すると、定国が唸る音がした。

 僕は周りを見廻した。怪しい人たちは見当たらなかった。

 それでも歩いていると、定国が唸る。敵が近くにいるのだ。しかし、普通の通行人以外は見当たらなかった。侍も見なかった。

 僕は「少し休みます」と風車に言って、路肩の石に座った。

 商人が通り過ぎていった。定国は唸らなかった。次に若い夫婦者が通り過ぎていった。定国が唸った。彼らが公儀隠密だったのか、と思った。立ち上がろうとすると、また定国が唸った。今度は老人夫婦だった。彼らが通り過ぎていくまで定国は唸り続けた。そして、若者が通っていった。これにも定国は反応した。これで五人、公儀隠密がついて来ていることが分かった。最後に若者が通り過ぎた後は、定国は唸らなかった。

 僕はゆっくり歩いて彼らとの距離を空けていった。

 彼らは襲ってくるつもりはなかったようだ。いわば心理戦を挑んできているのだろう。こちらが、彼らの存在に気付いて、気を遣えば、それだけ気力を消耗させられると思ったのだろう。

 しばらく行くと、老夫婦が休んでいた。そしてその先には、若い夫婦も休んでいた。

 最後は若者だった。

 人通りは絶えずあった。ここで斬り合いをするわけにもいかなかった。僕は仕方なく、時を止めた。そして、老夫婦と若い夫婦と若者のところに行き、定国を抜き、峰打ちで、右足を折った。これでついては来られなくなった。

 時を動かすと、僕はさっさと歩き出した。呻く老夫婦を振り帰り見て、風車は「彼らを助けなくては」と言った。

 僕は即座に「彼らは公儀隠密です。放っておけば良いです」と言った。

「そうなんですか」と風車は言った。

「そうです」と僕は答えた。

「でも」と風車は言うから、僕はきくに「台車を見ていてくれ」と言い残すと風車を連れて取って返した。そして、倒れている老人の前に立つと、その杖を引ったくった。

 風車に見えるように杖を差し出すと、左右に引いた。すると、中から刀が現れた。仕込み杖だったのだ。

「何と」と風車は言った。

 僕は引き抜いた仕込み杖を老人に突きつけて、「命だけはとられなかったことを感謝するんだな」と言い放った。

「他に呻いている者たちもそうなんですか」と風車が言った。

「そうです。彼らは誰にでも変装することができるんです。だから、気が抜けません」と僕は言った。

「驚いたな」と風車は頭をかいた。

 きくのところまで行くと「どうでしたの」と訊くので、「公儀隠密だったよ」と答えた。

「まぁ」

「人通りがあるから、斬ることはしなかったが、足の骨は折った」と僕が言うと、「いつの間にですか」と風車が言った。

 僕が笑いながら「風車殿が気付かない時にですよ」と言った。

「でも、拙者は鏡殿と一緒でしたがな。気付かないはずがないんだけれどな」と首を捻っていた。

「相手は、変装して私に近付いて、倒す機会を狙っていたのです。これからは、旅の者にも気をつけなければなりません」

「そうですね」と風車は言った。

 

 先に進んでいくと林が見えてきた。定国が唸り出した。

「この先の林に公儀隠密が潜んでいます。風車殿は、ここできくとききょうをお守りください」と言った。

「わかりました。任せておいてください」と風車は言った。

 その言葉を聞くと、僕は林に向かって走り出していた。そして、林に跳び込んでいった。

 手裏剣が無比の正確さで向かってきた。それを定国で叩き落とすと、手裏剣の飛んできた場所に向かった。しかし、そこにはすでに誰もいなかった。

 そして、次の手裏剣が飛んできた。かわすのがやっとだった。

 時を止めるしかなかった。手裏剣の飛んできた方に向かった。そこにいた者は、もう別の木に跳び移ろうとしていた。その者の下に来ると、その者の腹を定国で切り裂いた。そして、離れると、時を動かした。

 ざわつきを感じた。この手裏剣使いがもっとも達人だったのだろう。

 ざわつく方向に向かって走ると、五人がいた。それらの者も時間を止めて腹を切った。

 そして離れて時間を動かした。林にはまだ敵がいた。

 定国がその方向を教えてくれるので、そこに向かって走り、時を止めて、腹を切り裂いていった。そして時を動かした。これを十二回繰り返した。敵は百十六人いた。

 手裏剣使いはこれで全滅したのだろう、と僕は勝手に思った。

 十数人は手強かったが、後の者たちは慣れない者たちだった。もう手裏剣を投げ慣れていない者でも狩り出さなければならないところまで、相手は追い詰められているということだ。そして、もっとも手強い手裏剣の達人は倒した。

 手裏剣については、もう怖いことはないと思った。

 

 僕は林を出ると、着物の裾を直して、風車やきくとききょうのところに行った。

「相手は何人でした」と風車が訊くので、「百十六人です」と答えた。

「そんなにも大勢を相手にしたのですか」と風車は驚いていた。

「ええ」

 でも僕の戦い方を身近で見てきているだけに、僕の言ったことが本当だと風車はすぐに理解した。

「この先も襲ってきますかね」

「襲ってくるでしょう。もっと激しくなると思いますよ」と言った。