小説「僕が、警察官ですか? 3」

 どれだけ時間が経っただろう。何人かがトイレに出入りするのが分かった。僕は個室の中で、息をひそめていた。

 やがて、ひょうたんが震えた。あやめが帰って来たのだ。

 念のために時間を止めた。

「あやめ、どうだった」と訊いた。

「多分、山田宏の頭の中に入れたと思います」と答えた。

「だったら、映像を送れ」と言った。

「送ります」とあやめは言った。

 いつものことだが、目眩が襲ってきた。そして、しばらくするとそれに慣れた。映像は長かった。いつから、いつまでと指定しておけば良かったと思ったほどだった。

 映像は頭の中に入った。

「お疲れ様。じゃあ、ひょうたんの中でゆっくり、休んでいてくれ」と言ったら、「今夜のご褒美を期待してます」と言った。抜け目のない奴め、と思った。

 時を動かした。

 すぐに映像は再生しなかった。いつまでもトイレにいれば、いずれ怪しまれるだろう。僕はその前にトイレから出て、エレベーターに向かった。

 

 安全防犯対策課に戻ると、自分の席に座った。そして、パソコンの画面を見ているフリをした。それから、山田の映像を流した。山田の生い立ちから見ていくわけにはいかないので、今年の二月二十六日の映像から見た。

 午後八時十五分にコンビニの前を通っている。本人は時間は分からないだろうが、こちらは防犯カメラの映像に映っている時刻から時間が分かっていた。山田宏はショルダーバッグを肩から提げていた。いつも持ち歩いているのだろう。

 そこから放火されたゴミ集積所までは、三分ほどで行けた。コンビニの前を通り過ぎた山田は、飲み屋に入ろうとしていた。焼き鳥屋かおでん屋かで結構迷っていた。結局、焼き鳥屋に入って行ったのが、午後八時二十二分だった。これは腕時計をストップウォッチ代わりにして計った。

 ゴミ集積所のゴミに火がつけられたのは、午後八時二十分頃だと思われている。そして、それを発見して通報したのが、通りがかった者だった。一一九番の通話記録では午後八時二十六分となっていた。灯油はゴミ袋にはほとんどかかっておらず、道に流された感じだった。だから、六分の時間差があっても、大事にはならなかったのだ。

 山田の映像を見る限り、二月二十六日のアリバイを実証するものがなかった。焼き鳥屋かおでん屋かで迷っていた頃にゴミ集積所に行き、灯油を撒いて、火をつけることはできそうだったからだ。そして、何よりもまずいのは、焼き鳥屋に入って行った午後八時二十二分という時間だった。この時間を店の者が正確に記憶していれば、犯行現場から二分で焼き鳥屋に来るのは難しいことは分かるだろう。しかし、この時間帯は店も忙しい盛りだ。正確に時間を覚えている者はいないと思った方がいい。むしろ、犯行後、それを誤魔化すために焼き鳥屋に入ったと思われるのがオチだ。焼き鳥定食を食べた後に、野次馬根性で放火現場を見に行ったのだ。その時、撮影されたのだった。

 結論から言えば、二月二十六日の山田のアリバイは実証できなかった。

 次は三月二十八日だった。

 この日の放火が起きたのは、午後八時五十八分だった。どうして、正確に時間が分かるかというと、近所の板塀の隅に灯油をかけてマッチで火をつけた直後に、その火を発見した人が一一九番に電話をかけたからだった。その人に喜八は、火をつけた直後にぶつかってしまった。喜八は、その時は眼鏡にマスクをして、中折れ帽を深く被っていた。一一九番をした人は、火に気が付いて、携帯から一一九番に電話するので精一杯で喜八がどこへ行ったのかは見ていなかった。近所に火をつけたのは、喜八にとっては次は自分のところに火をつけるためだった。

 この時間、正確には午後八時五十分に、その火をつけられた家から六分ほどの所にあるパチンコ店から山田は出て来たのだ。山田はパチンコ玉が出なくて、くしゃくしゃしていた。その気持ちを紛らわせるために、三分ほど行った所にある居酒屋に午後八時五十三分に入った。したがって、居酒屋で証言が取れれば、山田にこの犯行ができないことが分かるはずだ。だが、これも二月二十六日のアリバイと同じで、居酒屋では大体の時間は分かっても正確に何時何分ということまで覚えている者は期待できなかった。逆に言えば、午後八時五十分にパチンコ店を出ずに、午後九時までパチンコ店にいればアリバイは証明できたのだ。よりにもよってその十分前にパチンコ店を出たために、犯行現場に行き、灯油を撒き、火をつける時間的余裕が生じたのである。そして、居酒屋を出た後に放火現場を見に行っている。

 結局、三月二十八日も山田にはアリバイがなかった。

 では、四月二十九日はどうなのだろう。

 火事は午後九時八分に一一九番通報されている。通報したのは、二人である。一人は隣家の者で、もう一人は通りがかりの者だった。通報時間はほとんど同じだった。玄関脇に置いてあるゴミ箱は、板塀の陰に隠れていたので、燃え出してからの発見が遅れたものと思われた。そのうちに、家の中に火が入り込み、煙草を吸いながら、天麩羅を揚げていた喜八が、それに驚いて居間に行き、火を消そうとした時、煙草を取り落とし、それが新聞に火をつけたものと考えられた。天麩羅鍋の火はその後に燃え広がったものと思われた。家全体が焼けてしまっているので、火の回りが早かったことが分かるだけで、その正確な順番は鑑識でも判別つかなかった。

 山田は午後八時四十五分に、一つ前の通りのコンビニから出て行くところが映っている。その後、十分後に居酒屋に行っている。午後八時四十五分にコンビニを出てから、五分もあれば、喜八の家に行ける。とすると、もし山田が犯人なら午後八時五十分にゴミ箱に火をつけたことになる。そして、一一九番通報されるまで、火が喜八の家に燃え広がったとすると、その後で居酒屋に行ったとしても、時間的に筋が通る。

 この日も、居酒屋を出た後に放火現場を見に行っている。だから、山田にはアリバイがなかった。

 何か見落としはないか、もう一度なぞってみた。山田のアリバイに関しては、これといって立証するものがないことが確認できただけだった。

 喜八の記憶の中で使えそうなのは、三月二十八日の件だった。この時、喜八はミスを犯している。放火した直後に、その火を発見した人にぶつかってしまったことだった。喜八のことだ。周りに人がいないのを確かめてから、火をつけたのに違いない。しかし、誰しも盲点というものがあるものだ。火をつけた時に角を曲がって来た人に気が付かなかったのだ。自分も早く、その角を曲がりたかったが、この時、喜八は中折れ帽を深く被っていた。それが視界を狭めた。僅かな遠くが見えなかったのだ。近くしか見えなかった喜八は携帯から一一九番に通報した人とぶつかってしまった。しかし、幸いだったのは、通報者は一一九番に電話するのに一生懸命で自分にぶつかった男がその後どこへ行ったのかは見ていなかったことだ。喜八はすぐに角を曲がったのだ。これで、通報者には見つからなかったのだ。

 三月二十八日の件では、通報者にぶつかった男が一番、疑われてしかるべきだった。だが、そのことを捜査一課二係が重視していないことは疑いようもなかった。

 あやめからの映像により、山田が犯人でないことはもちろん、はっきりしたが、もっとはっきりしたことは、二月二十六日も三月二十八日も四月二十九日も、山田にはアリバイを実証することができないということだった。

 こうなると、山田が取調に堪えて、自供をしないことを願うしかなかった。山田の映像を見ていると、山田を犯人とする物証がないことが分かる。もちろん、山田が犯人ではないから、物証がないのは当たり前だが、物証がないということは、山田の自白以外、山田を犯人にすることはできないことになる。仮に自白が取れたとしても、物証がなければ、山田を犯人にすることはできない。それが刑事訴訟法の原則だった。だが、これには例外があった。物証がなくても、有力な状況証拠が揃えば、物証と似た効力を発揮するのだ。

 アリバイがないことも状況証拠の一つになる。有力な状況証拠になる、もう一つは動機だった。動機があれば、有力な状況証拠になる。

 そこで、僕は山田の過去を映像で追ってみることにした。

 すると、非常にまずい映像を見付けてしまった。それは、山田が中学二年生の時のことだった。その学年の二月十二日、火付けによって、最も親しくしていた、たった一人の叔母を亡くしていたのだった。山田は激しく憤った。しかも、火付けをした犯人は今も捕まっていない。山田が、警察を憎んでいることは確かだった。

 それよりも確かなことは、火付けに対して山田が関心があると、警察が思うことだった。ある事件を契機にして、その犯行に走る者がいることは捜査関係者の間では、よく知られていることだ。

 山田の場合もこれに該当すると思われかねない。もし、そう思われれば、動機があることになる。付け火を憎むあまりに、自分も付け火に走ったと捜査陣が考えてもおかしくはなかった。

 山田の映像を再生していくと、山田には粗暴な側面があることも分かった。高校を卒業後に最初に入社した会社でも、上司に暴力を振るって、怪我を負わせたことで解雇されている。これは示談で終わり、被害者が訴えなかったことで刑事事件にはなっていなかった。

 山田に有利になる映像は見当たらなかった。