小説「僕が、警察官ですか? 3」

 お昼になった。屋上で一人、隅のベンチに座って、愛妻弁当を食べながら考えた。何か突破口はないのかと。

 一つだけ、薄いが可能性はあった。それは三月二十八日の放火事件についてだった。この時、喜八はミスを犯している。犯行後、一一九番に通報した人とぶつかっているのだ。その通報者が分かれば、その時の状況がより詳しく分かるのではないか。その通報者の証言があれば、山田が犯人ではないことを他の者にも分かってもらえるのではないか。そんな気がしたのだ。

 一一九番の通報は録音されている。また、どこからかけてきているのか、電話番号も分かってしまうのだ。公衆電話からかけてきていても、その公衆電話の電話番号も分かるようになっている。だから、令状を持って消防署に行けば、この時、どの携帯から通報があったのか、知ることができるのだ。すでに捜査一課二係はそれをやっているだろう。しかし、その情報は安全防犯対策課には降りては来ない。

 あやめを使って、捜査一課二係の情報を引き出すしかなかった。

 捜査一課二係の係長中村敬三は五十三歳だった。午後の取調でも五階の取調室の隣のミラー室の中にいるだろう。全体の情報を引き出すには、中村の頭に入るのが一番だった。それから、個別の情報に当たるには、二階の捜査一課二係に行けば良かった。

 弁当を食べ終えたら、安全防犯対策課に戻って、午後一時まで待った。そして、午後一時になると、ひょうたんをズボンのポケットに入れて、五階に上がっていった。

 午前とは違う巡査が廊下に立っていた。彼は何も言わなかったので、そのままトイレに向かった。

 個室に入ると、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「はーい」と言うあやめの声がした。

「今度は、捜査一課二係の係長中村敬三の頭の中に入ってもらいたい。さっきは取調室だが、今度はその隣にあるミラー室の中だ。何人いるのかは分からない。少なくとも四人はいるはずだ。一人は署長で、後は捜査一課長と管理官だ。そして、捜査一課二係の係長がいるはずだ。その係長の頭の中の今年に入ってからの映像が見たい。やってくれるか」と言った。

「主様に言われればやらないわけがないじゃあ、ありませんか。やってみます。少しお待ちください」と言って、声が消えた。あやめはおそらくミラー室に行ったのだ。

 僕はまたしても個室の中で待つ羽目になった。

 しばらくして、あやめが戻ってきた。その間に何人かの人の出入りがあった。そこで、時間を止めた。

「中村敬三は分かったか」と訊くと、「はい、わかりました」と答えた。

「では、映像を送ってくれ」と言った。

「送ります」という言葉とともに頭の中に映像が流れ込んできた。

 中村は、山田を完全に黒だと思っていた。だから、何としてでも山田に自白させたかった。取調官と山田のやり取りを聞きつつ、苛立ちを覚えていた。

 僕が知りたかったのは、一一九番の通報の件だった。中村の頭の中には、どの放火にも一一九番に通報した者がいることだけは分かっていたが、それが誰かという詳しい情報はなかった。やはり、それを知っている者は捜査一課二係の担当者だけなのだろう。

 僕は時間を動かした。

 それなら、直接、捜査一課二係に行って訊いてみるしかないな、と思った。もちろん、素直に答えてくれるとは思ってはいなかった。

 二階の捜査一課二係に行った。ごった返していた。

 そこで、僕は「放火事件の一一九番の通報者について、調べた者がいたら話がしたい」と大声を出して言った。

 一人の刑事が机から立って、「わたしですが何ですか」と言った。

「こっちに来て話を聞いてもらいたいんだ」と言うと、僕の側までやってきた。

「で、話とは何ですか」と言った。

「通報者の氏名、住所と、通報した時の電話番号を教えて欲しい」と言った。

「それなら、捜査一課二係の係長を通してから、訊きに来てください」と言った。

「今、捜査一課二係の係長は取調室を見ている。係長に話ができないから、直接来ているんだ。頼む、教えてくれ」と言った。

「お教えできません。お帰りください」と言った。

 ここで時を止めた。ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「あやめ。こいつの頭の中に入って、放火事件について映像を取ってこい」と言った。

「わたしには、放火事件と他の事柄とを区別はできません」とあやめは言った。

「済まなかった。だったら、今年に入ってから、今までの映像を取ってきてくれ」と言い直した。

「わかりました」とあやめは言った。

 時間を止めたまま待った。

 捜査一課二係の中は、連続放火事件のことで慌ただしいのが良く見えた。すでに犯人と目されている山田が取調を受けているので、刑事たちは書類作りに勤しんでいた。彼らが今やっていることは冤罪を生み出そうとしていることも知らずに、と思った。

 その時、ひょうたんが震えた。

「取りました」と言うあやめの声が聞こえた。

「そうか。ありがとう」と言うと、時を動かした。

 僕は、僕を煙たく思っている刑事に向かって、「出直して来るよ」と言って、捜査一課二係から離れた。

 そして、安全防犯対策課に戻ると、自分のデスクの椅子に座った。

 時間を止めて、あやめに「映像を送ってくれ」と言った。あやめは「はーい」と言った。

 いつものようにクラクラとする感覚が襲ってきた。それもしばらくすると慣れることは分かっていた。

「受け取った」とあやめに言うと、「今夜はご褒美、沢山くださいね」と言った。僕は苦笑いをしながら、時を動かした。

 捜査一課二係の刑事の頭の映像を再生した。その中から、消防署に行った時のものを見つけ出した。放火事件の一一九番通報を受けた者は二人いた。一人は、二月二十六日と四月二十九日に受けていた。もう一人は三月二十八日に受けた者だった。

 今知りたいのは三月二十八日の方だったから、彼に対する聴取の内容を再生した。

 消防署の者は記録簿を見ながら、「今年の三月二十八日の午後九時頃の通報ですね。えーと、午後九時ですね。あ、ありました。これです。午後八時五十八分に通報を受けています」と言った。

「通報者の氏名と電話番号は分かりますか」と刑事は訊いた。

「ええ、分かりますよ。田中虎三さんです。携帯から電話していると言ってました。携帯電話の番号は****です」と答えた。

「住所はわかりますか」と刑事が言うと、「住所は黒金町**丁目**番地**号です」と答えた。

「一一九番の通報は録音されていますよね。その時の通報の録音を聞かせてもらえますか」と刑事が言うと、「ちょっとお待ちください」と言って、録音装置のボタンを操作して「これです」と言って、スイッチを入れた。

「火事ですか、救急ですか」と彼は言った。

「火が、火が、燃えている」と通報者は言った。

 通報が携帯からであると分かると、携帯のGPSから位置を探り出していた。壁には大きなスクリーンがあり、そこに黒金地区の地図が表示されていた。携帯の発信位置が分かった。

「どんな状況ですか」と彼は通報者に訊いた。

「目の前の家の塀に火がついている」と言った。

「家の中に人はいませんか」

「わからない」

「声をかけて、逃げるように言ってくれませんか」と彼は言った。

「わかった。おーい、火がついているぞ。早く外に逃げろ」と通報者は必死で言っていた。

「これでいいか」

「ありがとうございました。差し支えなければ、ご氏名と住所と電話番号を教えてもらえますか」と彼は言った。

「田中虎三。黒金町**丁目**番地**号。電話番号は****です」と言った。電話番号は携帯ではなく、自宅の固定電話の番号だった。自分が持っている携帯の電話番号は咄嗟のときには、出てこないものだ。

「直ちに消防車を向かわせます。ありがとうございました」と彼が言うと携帯は切れた。携帯の電話番号は掲示板に表示されていた。

 僕はそれらを手帳にメモした。

 それから受話器を取ると、携帯の方に電話した。呼び出し音が鳴って、しばらくすると、「もしもし」と言う男性の声が聞こえて来た。

「田中虎三さんですか」

「そうですが、あなたは」と訊いた。

「私は黒金署の安全防犯対策課の鏡京介といいます。今年の三月二十八日に放火現場を見られましたね。それについてお尋ねしたいのです」と答えた。

「ああ、あれですか」と田中は言った。

「今、どちらにいますか」と僕は訊いた。

「家にいます」と答えた。

「ご自宅ですね。黒金町**丁目**番地**号ですよね」と言うと「そうです」と言った。

「今から伺ってもいいですか」

「うちに来るということですか」

「はい」

「それは構いませんが」と言うので、「では、すぐ、伺いますのでご自宅にいてください」と言った。

「わかりました」

「では失礼します」と言って、僕は電話を切った。