小説「僕が、剣道ですか? 6」

   僕が、剣道ですか?  6

                         麻土 翔

 

 日本橋を渡ると、遅い昼餉をとった。

「これからどうします」と風車が言った。

「そうですね。今夜の宿でも探しましょうか」と僕は答えた。

「そうしますか」

 きくはききょうをおんぶしていた。それほど遠くまでは行けそうになかった。しかし、日本橋近辺の宿は高かった。個室で一人一泊二食付きで六百文した。相部屋で三百文である。とは言え、あてもなく歩くのは、大変だった。

 仕方なく、近くの宿をとることにした。

 

 風呂に浸かりながら、風車が「とうとう日本橋まで来ましたね」と言った。

「そうですね」

 僕も感慨ひとしおだった。

「これからどうするつもりですか」と風車が訊いた。

「どこか家でも探すつもりです」

「家ですか」

「ええ」

「長屋ですよね」

「いいえ、できれば、一軒屋を探すつもりですけれど」

「そりゃ、無理な話ですよ」

「えっ、どうしてですか」

「江戸に一軒家なんてありゃしませんよ」

「そうなんですか」

「そうですよ」

「東京ならいくらでもあるのにな」と呟くと「何ですか」と風車が訊くので、「いえ、独り言です」と答えた。

「出たら、一局しましょうね」と風車が言った。

 結局、そういうことになるんだよね。

「いいですよ」

 

 食後の一局は大敗した。途中で、僕は投了した。風車はまだやりたったかようだったが、僕が切り上げた。風車は隣の相部屋に入っていった。

「きく、これからどうしようか」

「京介様の思うとおりにすればいいでしょう。きくはついていくだけですから」

「そうだが、宿はどうする」

「他の所がいいのですか」

「いいや、ここでもいいのだが、きくがその躰だからしばらく江戸にいなくちゃならない。どこか、住む所を探さなければ、と思っている」

「きくは京介様についていくだけです」

「そうか。明日もこの宿に泊まることにしよう。その間に、きくは躰を休めておくといい」

「きくも江戸見物はしたいですよ」

「そうだよな」

「でも荷物もありますからね。風車様と見物に行かれたらいいでしょう」

「済まない」

「京介様がお謝りになる事柄ではありません」

「そうか」

「そうです。せっかく、江戸に来たのだから、見物に行かれればいいでしょう」

「そうしよう」

「何だか、久しぶりにゆっくり眠れる気がします」

「じゃあ、寝よう」

 

 次の日は、いい天気だった。

 朝餉が済むと、風車は「江戸城でも見に行きますか」と言った。

「いいですね」

 僕も江戸城は見ておきたかった。簡単に入り込めるものなのかどうか、確認しておく必要があった。

 旅姿のまま、町に出た。粋な江戸っ子に出会うと、僕らは田舎者丸出しだった。

 風車と顔を見合わせた。何か着替えたいと思ったのだ。

 古着屋を探して入った。

 風車の着物は、似合いそうなのがいくらでもあったが、僕のは、紺色のものが一着しかなかった。風車は紺と白の唐松模様の着物を選んだ。僕らは帯も買い、店で着替えて、これまでの着物は風呂敷包みにしてもらって、代金を払って、店を出た。

 着物が新しくなると、今度は髪の毛が気になり出す。

 また、風車と顔を見合わせて、近くの床屋に入った。

 混み合っていた。僕らは仕方なく順番待ちをしていた。

「何でも、その家には幽霊が出るっていう話じゃないか」と言う声が隣から聞こえてきた。商人らしい二人の男が話していたのだった。

 商品を卸している店に関する話だった。何でも別宅にしていた家に、妾を住まわせたところ、肺病に罹り、病気がうつるのを恐れたご主人が別宅を訪れなくなったら、その妾が自殺したという。空き家にしておくのは、もったいないので、何人かの侍に貸したそうだが、夜中になると幽霊が出るということで、すぐさま侍たちは家を出て行き、今もって空き家のままだそうだ。

「済みませんが、その話、詳しくお聞かせ願えませんか」と僕は言った。

 風車も聞きたそうだった。

 二人が商品を卸している店というのが、両国にある呉服店で、大店だそうだ。そして、くだんの空き家は石原にあると言う。呉服店の名前を聞いたので、そこに行けば、詳しく話してくれると言う。

 僕らは髪を結ってから、すぐに両国に向かった。

「何か、面白くなってきましたね」と風車は言った。

「そうですね」と僕は応えた。

 昼餉をとることも忘れていた。

 

 呉服店は両国橋から、それほど遠くない所にあった。大きな店構えだった。

 中に入っていくと、何人かの客がいた。店の者が来たので、僕が石原の空き家の件で訪ねてきた、と言った。すると、店の者は番頭を呼びに行った。

 番頭がやってきて、僕の話を聞くと、「ここでは何ですから奥で話しましょう」と言って、店の中の横の戸を開けて、そこに招き入れ、座敷に上がるように言われた。

 僕と風車は草履を脱いで、座敷に上がり、座布団が置かれたので、そこに座った。

 しばらくして番頭がやってきて、僕らの前に座った。

「お話を聞きましょうか」と番頭は言った。

 僕は、床屋で聞いた話を番頭にした。

「それで」と番頭が言うので、「できればその家をお借りしたい」と僕が言った。

「そうですか」と番頭は、あまり乗り気でない顔をした。

「……」

「お聞きになっているようですから言いますが、あの家はいわく付きの物です」

「知っています」

「それでもお借りになると言うのですか」

「ええ、できれば」

「年九両で、お貸ししましょう」

「年九両ですか。割とお安いですね」

「知っての通りのいわく付きの物件ですから。ただし、前金でお支払い頂き、どのような理由であれ、家賃はお返ししません」

「分かりました」

「それでは店の者に、その家に案内させましょう。見てきて、気に入れば、帰りにここにお立ち寄り頂き、前金の家賃をお支払いください。その時、念書と鍵をお渡しします」

「年九両というのは、ずっとということでいいのですね」

「ええ。そのように念書には書いておきます」

「分かりました」