小説「僕が、剣道ですか? 4」

 夕暮れまで大山道を歩き、高杉宿に着いた。道行く人に次の宿場まで三里ほどあると聞き、ここで宿をとることにした。

 通りがかりの人にどこの宿屋がいいか訊くと、皆、若松屋だと答えたので、若松屋に泊まることにした。

 赤ん坊がいるので、隅の個室がいいと言ったのだが、あいにく隅の部屋はすべて埋まっていて、中程の部屋に泊まることになった。いくらか訊くと一泊二食付きで一人三百文、赤ちゃんの分はとらないと言われた。高木屋と同じだった。

「前払かい」と訊くと「出立の時に精算させていただきます」と答えた。

 風呂について尋ねると、あると言うので、案内して貰った。これで銭湯代が浮くと思った。

「風呂は亥(い)の刻になれば閉めるので、それまでにお入りください」と言われた。亥の刻とは午後九時~午後十一時までのことである。つまり、午後九時に風呂は閉じられると言っていたのだ。

 部屋に入ると、荷物を部屋の隅に置き、交代で風呂に入りに行った。

 食事は午後六時頃、運ばれてきた。

 夕餉をとり終わると、きくはききょうのミルクを作りに庖厨に行った。

 その間に僕は布団を敷いた。

 布団の中に入ると、長旅と時間を止めたせいで疲れていたのか、そのまま眠ってしまった。

 

 朝、起きると風呂に入れると聞いたので、折たたみナイフを手ぬぐいに隠して持っていって髭を剃った。折たたみナイフで髭を剃るのにも慣れてきた。

 部屋に戻ってくると、朝餉の準備ができていた。

 朝餉を終えると、おひつの残りのご飯でおにぎりを作りビニール袋に入れた。きくはききょうのミルクを作りに庖厨に行った。僕は井戸で竹水筒に水を入れた。

 出かける準備ができると、帳場に行き、六百文を支払い、宿を出た。

 四里ほど歩くと、昼時になった。近くに茶屋があったので、入ってぼた餅を二人分とお茶を頼んだ。おにぎりを取り出して食べ、デザートにぼた餅を食べた。ききょうにはミルクを飲ませた。しばらく休憩してから代金を支払い、また歩き出した。

 周りはどこまで行っても田畑だけである。時折、農家が見える。

 のどかだった。街道の両脇は山が連なっていた。

 二里ほど歩いて、道ばたで腰を下ろして休んだ。

 行商人が来たので、この先の宿場を尋ねると、二里半ほど先に山崎宿があると言う。いい宿屋はどこかと訊くと、常磐屋だと答えた。礼を言うと、行商人は先を急いだ。

 僕たちは歩き出した。

 行商人の言ったように二里半ほど歩くと、宿場町に出た。常磐屋を探すと山側にあった。下を渓流が流れていた。

 常磐屋に入って行き、僕ときくとききょうの宿泊をお願いした。二階の川沿いの部屋が空いていると言う。相部屋ではないと言うので、そこに泊まることにした。ききょうは赤ん坊なので、宿賃はいらないと言われた。ここも二人で六百文だった。

 宿の者に部屋に案内され、荷物を置くと、風呂があるか訊いた。すると、この下の川に温泉が湧いていて、川風呂があると言う。銭湯じゃないのでお代はいらないと言われた。

 また、川風呂なのでいつでも入れるということだった。

 浴衣が用意されていたので、着物を脱ぎ、浴衣に着替えると、僕は新しいトランクスに手ぬぐい、髭剃り用の折たたみナイフにバスタオルを持って、川風呂に入りに行った。

 川風呂は、粗末な小屋があり、そこに棚があった。その棚に着てきた物を置いておくだけで、囲いも何もなかった。

 湯は川底から湧き上がってきていた。湯加減は、川の水で調整した。首まで浸かれるいい湯だった。山の景色も楽しめた。平たい石からなる洗い場に上がると桶に湯を掬い、手ぬぐいで躰を洗った。持ってきた折たたみナイフで髭を剃った。大して伸びてはいなかった。

 再び湯に浸かって風呂から出た。

 部屋に戻り川風呂の様子をきくに話した。きくはききょうを連れて、川風呂に入りに行った。

 少しく長い風呂だった。ききょうのおむつ代わりにしていたタオルも何枚か洗ってきていて、窓の外の掛け竿に干していた。

 夕餉は、ご飯に、焼いたヤマメに、味噌汁、漬物だった。焼いたヤマメを見ると、かつて山賊退治に飛田村に行った時のこと(「僕が、剣道ですか? 2」参照)を思い出した。あの時は、川で手掴みにした大きなヤマメを焼いて食べただけだったが、腹が空いていたせいかとても旨かった。

 こうして、料理として出される焼いたヤマメも、醤油を垂らし、大根おろしで食べると旨かった。

 きくはききょうに骨を取った肉の部分を少し食べさせた。それから、ご飯に味噌汁を掛けたものも食べさせた。ききょうはよく食べた。

 夕餉が済むと、布団を敷いて横になった。川のせせらぎが聞こえて来る。次第に、それはきくのものに変わっていった。

 夜中に川風呂に入りに行き、トランクスを新しくした。

 川風呂から見る月は綺麗だった。

 

 次の日、朝餉前に川風呂に入りに行き、折たたみナイフで髭も剃り、朝の澄んだ空気の中で山々を見てきた。何とも気持ちのいいものだった。

 きくにも入ってくるように勧め、きくはききょうを連れて、入りに行った。

その間に朝餉の用意がされた。

 きくが戻ってくると、「朝風呂はいいですね。特に川風呂は開放感があって、気持ちよかったです」と言った。

「朝餉にしようか」

「はい」

 僕ときくは朝餉を沢山食べた。ききょうにも味噌汁を掛けたご飯を食べさせた。おひつには、ご飯が残らなかった。きくは庖厨に行き、哺乳瓶にききょうのミルクを作り、僕は竹水筒に水を入れた。

 帳場で勘定を済ませると、僕たちは宿を後にした。

 

 二里ほど行った所に小さな宿場町はあったが、そこでは休まず先に進んだ。

 また二里ほど歩いて行くと、次の宿場に出たので、お昼にしようかと食事処を探していると、町の真ん中に人だかりができている。何事かと思って行くと、若い侍と浪人らしき侍がともに刀を抜いて見合っている。

 見物していた者に「どうしたのだ」と訊くと、「なあに、鞘が当たったとか当たらないとかで喧嘩になったようですよ」と言った。

 僕は他人事だから、放っておこうと思った。

 その時、若い侍が、「わたしを誰だと思っている。目付、木村彪吾(ひょうご)の嫡男虎之助であるぞ」と言った。それに対して、浪人者が「それがどうした。武士同士の争いに、父の威を借りるキツネにでもなったつもりか」と言った。これは浪人者に理があると僕は思った。親の威厳を借りる奴が、僕は好きにはなれなかった。

 そこに番所の役人がやってきて、「双方、刀を引けぃ」と叫んだ。

 これで事が済むと思って、僕は離れようと思った。すると、番所役人がいきなり、斬られた。そして、「お前もこうなりたくなかったら、金を置いていけ」と言った。

 若侍の方は震えていた。

 番所から他の役人が数人の手勢を率いてやってきた。

 手勢の者は長い棒を持っていたが、浪人者はそれらの棒をことごとく切り、手勢の者を斬り捨てていった。そして、番所の役人だけになった。

 その剣の捌きを、僕は前に見た覚えがあった。

 僕は前に出て、その浪人者に「名前は何と申す」と訊いた。

「名を聞いてどうする」と浪人者は言った。

「その剣の使い方、前に見た覚えがあったので、訊いてみただけのことだ」と言った。

「武士に名を訊くのなら、そっちから名乗るのが礼儀だろう」

「それもそうだな。私は鏡京介と言う」

「鏡京介。もしや、あの鏡京介か」と言った。

「あの、とは何のことだ」

「我が兄、月影竜之介(「僕が、剣道ですか? 2」参照)のことだ」

「ああ、あの辻斬りの。して、そちの名は」

「月影竜次郎。月影竜之介の弟だ」

「なるほどな」

「兄の敵であるなら、ここで立ち会ってもらおう」と月影竜次郎は言った。

 若侍の方はいつの間にかいなくなっていた。やはり、親の威を借りるキツネだと思った。

 きくの顔が見えた。心配そうにしていた。

「因縁というものはあるものだな。仕方あるまい。立ち会おう」

 僕は刀を抜いた。

 相手は一端、刀を鞘に収めた。月影竜之介は居合斬りが得意だった。月影竜次郎もそうなのだろう。僕は正眼の構えを取ったまま、相手の間合いに入って行った。

 刀が抜かれた。凄い速さだった。刀でかわすのが精一杯だった。

 また、相手は刀を鞘に収めた。そして、間合いを詰めてきた。

 次が勝負だった。相手が刀を抜くよりも速く、斬り捨てなければならなかった。

 僕から踏み込んで、間合いを詰めた。月影竜次郎は刀を抜こうとした。しかし、すでに刀を抜いている分、こちらの方が速かった。僕の刀は、刀を抜こうとした腕を斬り落とし、相手の腹を切り裂いていた。月影竜次郎は倒れた。

 役人が駆け寄ってきた。僕は月影竜次郎の着物で刀を拭い、鞘に収めた。

 役人は、僕に近寄ってきて、「番所に寄ってもらえませんか。事の次第を書き取らなければなりませんので」と言った。

「分かりました」と答えた。

 役人は町民に頼んで、斬られた役人や手勢の者、そして月影竜次郎を番所まで運ぶように言った。

 きくが側に来て、「生きた心地がしませんでしたわ」と言った。

「心配をかけて済まなかった」と僕は言った。