小説「僕が、剣道ですか? 3」

三十八

 一月十二日の放課後、担任の梶川祐子に呼ばれた。中年の女の教師だった。

「黒金高校と揉めているという話を聞いているんだけれど、本当」

 僕は「揉めているというより、因縁を付けられていました」と言った。

「それでどうしたの」

「逃げました」

「ほんとに」

「はい」

「竜崎雄一って子、知ってる」

「いいえ」

「そうね変ね、あなたがやっつけたという噂が流れているのよ」

「竜崎雄一って誰ですか」

「黒金高校の番長らしいの」

「そんなのと、僕が関わり合うわけがないじゃないですか」

「そうよね。でも、ちょっとPTAで問題になっているの」

「どんなことですか」

「あなたが、黒金高校の不良狩りをやっているっていう噂が立っているのよ」

「それ、何かの冗談ですか」

「いいえ、冗談じゃないわ。現に、黒金高校の生徒が何人も怪我を負わされたというのよ」

「それはどっかの不良グループと揉めたんじゃないですか」

「そうよね。でも、一度PTAの役員会議の場で釈明してくれない。あなたを見れば、他のお母様方も納得してくれると思うわ」

「いいですよ」

「来週の火曜日のわたしの授業の時に、PTA役員の会合を持とうと思っているの。わたしの授業は自習にするので、その時にPTAの役員会議に出て欲しいの」

「分かりました。だったら、お願いしてもいいですか」

「何」

「ノートパソコンとそれにつなげた大画面のプロジェクタを用意して貰えますか」

「それをどうするの」

「僕の嫌疑を晴らすために使います。よろしくお願いします」

「わかったわ」

 僕は職員室から出た。これまで集めたデータを整理しなくちゃならないな、と思った。

 

 家に帰ると、自分の部屋に行き、ベビーベッドのききょうを見てから、パソコンを起動した。新しいUSBメモリをパソコンに挿し、これまで集めたデータで、PTA役員会議で公表できるものを、新しいUSBメモリにコピーした。音声データも編集したものを新しいUSBメモリに入れた。

 新しいUSBメモリの内容を確認してから、パソコンから取り外して、学校に行く時の鞄に入れた。

 

 一月十三日に沙由理から携帯に電話が来て、日曜日にカラオケに行こうと誘われたが、一月十六日の火曜日にPTAの役員会議に呼び出されていることを理由に断った。

 

 一月十六日、火曜日が来た。

 四時限目が担任の梶川祐子の授業だった。自習になったので、クラスの生徒は喜んだ。

 僕は写真や音声データをコピーしてきたUSBメモリを持って、担任とPTA室に向かった。

 中に入ると、長方形に長テーブルを置いた周りの椅子に、すでに三十名ほどのPTA本部役員と各学級のクラス担当委員に校長と副校長が座っていた。

 僕は、担任に連れられて、前に進み、担任が「彼がわたしのクラスの鏡京介君です」と紹介した。

 僕は「鏡京介です。よろしくお願いします」と言って頭を下げた。

 顔を上げると、PTA副会長とプレートの出ている席に、沙由理の母、遠藤幸子が座っていた。

 僕と担任の梶川祐子は、校長と副校長が座っている席の横に座った。

 PTA会長が手を挙げて立ち、「鏡君、ここに君を呼んだのは、黒金高校の生徒と揉めて、あちらに怪我をさせたという話がいくつも入っているからです。それを、安全対策部の部長原田康子さんから、報告してもらいます」と言って座った。

 安全対策部の部長原田康子が立って、「一月九日の始業式の後に、PTA会議室に黒金高校の生徒の保護者と名乗る方から、携帯で電話があり、当校の鏡京介という生徒が黒金高校の生徒に暴力を働いていて、怪我までさせているっていうことを聞きました。最初は信用しませんでしたが、いろいろなところから情報が入ってくるものですから、真相はどうなのだろうかと、本人から話を聞こうと鏡京介君には来てもらいました」と言って座った。

 担任の梶川祐子が手を挙げて、指名されたので立って「わたしのクラスの鏡京介君は決して、暴力を働くようなタイプの生徒ではありません。普通の真面目な生徒です」と言って座った。

 副校長が手を挙げたので、指名されて立った。

「当校にも黒金高校の保護者から多数の電話がありました。特に始業式の日は多かったです。なんでも、黒金高校の番長と鏡京介君が決闘をしたという話まで出ました。そのあたりのことを本人の言葉で説明してもらいたいと思います」と言った。

 僕は手を挙げた。指名されたので立った。

「まず、黒金高校の番長と決闘したというのは、全くのデマです。考えてもみてください。黒金高校の番長ですよ。おいそれと、僕なんかと決闘するはずがありません。確かに、黒金高校の生徒とは揉めましたが、これは相手が一方的に因縁を付けてきたからです。逃げる際に、相手に怪我を負わせたかもしれませんが、僕は正当防衛だと思っています。その証拠をお見せします」と言って、担任に「ノートパソコンは用意してもらえましたか」と言った。彼女は席を立ってきて、「ここよ」と言った。

 僕はPTA室に入ってきた時に、プロジェクタとスクリーンに、ノートパソコンが用意されているのを見て知っていたが、慣れていないフリを装うために、敢えて担任を呼んだのだ。

「プロジェクタはどう使うんですか」と言うと副校長が立ってきて、プロジェクタがノートパソコンに接続されているのを確認して、プロジェクタに電源を入れた。

 副校長は「カーテンを閉めてください」と言った。

 ノートパソコンに電源を入れると、しばらくしてOSが起動した。その様子は、プロジェクタを通してスクリーンに映し出された。

 ノートパソコンにUSBメモリを差し込み、そのUSBメモリの中の画像ファイルをダブルクリックすると、その映像がスクリーンに次々に映し出された。

 その映像が映し出されている時に、今度は音声データのファイルをダブルクリックした。

 PTA室には、ノートパソコンから音声が流れた。

『「ぶつかっといて謝らないで行く気かよ」

「さっき、謝ったじゃないですか」

「はぁ」

「聞こえなかったんですね。済みません」

「はぁ」

「離してくださいよ」

「なぁ、俺は謝ってくれって言ってんだ。何も難しいことを言っているわけじゃないだろう」

「謝ったじゃないですか」

「はぁ」

「その、はぁ、が分からないんですけれど」

「こいつ、謝り方も知らねえぞ」

「済みませんじゃ、いけませんか」

「済みませんで通れば、警察はいらねぇんだよ」』

 ここから、黒金高校の連中が興奮してくるのが分かった。

『「だから、どうすれば謝ったことになるんですか」

「言わなきゃ、わかんねぇのか」

「分かりません」

「本当に馬鹿だな、お前は」

「馬鹿で、済みません」

「金だよ、金」

「お金が、謝ることとどう結びつくんですか」

「はぁ」

「とにかく、金を出せばいいんだよ」

「分からないなぁ。お金を出すことと謝ることにどういう関係性があるんですか」

「金を出すって言うことが、謝るっていうことになるんだよ」

「ああ、そういう意味だったんですね。で、いくら出せばいいんですか」

「さっきなら、数万で済んだが、今はこれだけ集まったんだぜ」

「何人ぐらいいます」

「馬鹿か、お前は。数えられないのか」

「怖くて、よく分からないんです」

「十五人だよ」

「十五人ですか。それで、いくら払えばいいんですか」

「少なくとも一人あたり、これくらいだな」

「千円ですか」

「馬鹿野郎。さっきなら、数万で済んだが、って言っただろう。一人一万に決まってるだろう」』

 ここで録音ファイルを止めた。

「この後、僕は逃げようとしました。でも、奴らは追ってくるので、仕方なく、何人かは転がっていた石か何かで殴ったと思います。その時、怪我でもしたかも知れませんが、でも、これは仕方なくやったことです」と僕は言った。

 その後も彼らが集団で襲おうとしている写真を何枚かスクリーンに映し出したところで止め、僕は「これ以上、証拠がいりますか」とPTAの役員の人たちに訊いた。

 PTA副会長の遠藤幸子は「鏡京介君からは、もうこれぐらいでいいんじゃないですか」と言った。僕は沙由理の写真は、もちろんUSBメモリには入れてなかったが、それを知らない遠藤幸子は、娘の写真を証拠として写し出されたくはなかっただろう。

「そうね」と言う声があちらこちらから聞こえた。

 僕はノートパソコンからUSBメモリを引き抜いた。

 PTA会長が「鏡君は教室に戻っていいわ。後は、PTA役員会で決めます」と言った。僕は、担任と一緒に立ち上がると、担任に連れられて、PTA室を出た。

 担任の梶川祐子は「もう、大丈夫よ。あれを見て聞いたので、はっきりしたと思うわ」と言った。

 僕は「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げた。担任は「いいのよ」と言った。