小説「僕が、剣道ですか? 2」

二十一

 四日間はあっという間に過ぎた。

 その間に、いい考えを思いついたわけではなかった。

 しかし、今日、堤道場の師範代を決めると約束してしまっていた。出かけないわけにはいかなかった。

「浮かない顔をしていますね」ときくが言った。

「そうか」

 

 堤道場には、午前中に行った。

 このようなことは早い方が良いと思ったからだった。

 座敷に通された。

 たえがお茶を運んできた。

 堤も座卓の前に座った。二人並んだところで、今日の決め方を話した。

「えっ」と堤は驚いた。四人を相手にそれぞれ真剣白刃取りをやると言ったのだった。

 僕は真剣白刃取りを二度やってみて分かったことがあった。相手の力量を見るのに、適した技だと思ったのだった。

「ここの道場は女人禁制ではありませんよね」

「ええ、門弟がいないときは、たえがいつも道場の掃除をしていましたから」

「それなら、おたえさんにも目の前で見てもらえますね」

 堤は頷いた。

「ところで師範代の候補者の年齢は聞いていなかったと思うのですが、教えて頂けますか」

「わかりました。まず、竹内康太郎、二十三歳。城崎信一郎、二十三歳。中園宗二郎、二十五歳。時田重蔵、二十四歳。以上です」

「分かりました。では、道場に行きましょう。その前に、私はここで道着に着替えさせてもらいます」

 

 道着に着替えた後、私と堤とたえが道場に向かった。

 道場は人で溢れていた。四百人近い者たちがいるのだ。無理もなかった。

 堤は竹内康太郎、城崎信一郎、中園宗二郎、時田重蔵の四人の名を呼び、「前に出てこい」と言った。呼ばれた四人が出てきて、前に揃った。

 僕は四人に向かって、「これから私と立ち合いをしてもらう。立ち合いと言っても、真剣白刃取りを行う。この前と同じように君たちには、私の刀を持ってもらう。そして、私に切りつけてきてもらう。それだけだ」と言った。

 道場内は湧いた。

「これだけ人がいたら、真剣白刃取りはできない。四回、真剣白刃取りを行うことになるから、四班に分かれて観戦してもらいたい」

 そう言い終わると、堤に後を託した。

 堤は、門弟に番号をつけていたようで、その番号順に並ばせた。そして、四班に分けた。一班九十人ほどだった。

 最初の班を残して、後の者たちは道場から出て行った。

    九十人は、壁際にずらりと囲むように並んだ。座ると狭くなるので、立っていた。

 上座に堤とたえが座った。

 そして、その上座の方に僕が立ち、下座に四人が並んだ。

「もう少し、下がって座れ」と堤が言った。

 四人はそうした。

 僕は、最初の竹内康太郎に僕の刀を渡した。そして、堤とたえを背にして立った。

「竹内康太郎、立て」と堤が言った。そして、「刀を抜き、鞘は次の城崎信一郎に持たせろ」と言った。

「竹内康太郎、前へ」と堤が言った。

 竹内康太郎は前へ進み出た。僕と向き合った。

 緊張しているようなので、僕は「その場で刀を振り下ろしてみろ」と言った。

 竹内はそうした。何度かそうしたら、「もう、いい」と僕は言った。

 僕は堤を振り返り、「始めの号令をかけてください」と言った。

「わかりました」と堤は言った。

 僕が前を向き、しばらくして「始めぃ」と堤が言った。

 竹内は刀を上段に構えて打ち込んで来た。始めは凄いスピードだった。しかし、頭の近くに来ると僅かにそのスピードが緩んだ。その瞬間に僕は難なく刀を捉えて、奪っていた。

 道場内は歓声と拍手に包まれた。

「入れ替われ」と言う堤の声がかき消されそうだった。

 次の班の者との入れ替わりに少し時間がかかった。

 僕はその間に、城崎信一郎に刀を、中園宗二郎に鞘を持たせた。

 班が入れ替わり、道場内は静かになった。

「城崎信一郎、前へ」と堤が言った。

 僕が位置につくと「始めぃ」と言った。

 城崎も刀を上段に構えた。構えた後も、刀の先が少し揺れていた。心に迷いがあるためだろう。だが、その揺れが止まった時に打ち込んで来た。城崎は竹内と違い、スピードを緩めることもなく、同じ速さで打ち込んで来た。しかし、この刀も難なく真剣白刃取りの餌食になっていた。

 やはり、道場内は歓声と拍手に包まれた。

「入れ替われ」と言う堤の声で、次の班の者との入れ替わりが行われた。

「中園宗二郎、前へ」と堤が言った。

 僕が待つ体勢に入ると「始めぃ」と言った。

 中園は刀を上段に構えた。その刀はやはり微かに黄色く光っていた。人を怨念で斬ったことがある証拠だった。刀は振り上げた時には揺れていたが、すぐに止まった。中園はためらいもなく打ち込んで来た。今までの三人の中では一番速かった。しかし、僕の両手はしっかりとその刃を取り押さえていた。その瞬間、道場内は歓声と拍手に包まれた。

 堤の「入れ替われ」と言う声で、次の班の者とに入れ替わった。これが最後だった。

「時田重蔵、前へ」と堤が言った。

 僕が構えの体勢に入ると「始めぃ」と言った。

 時田も刀を上段に構えた。その刀も上段に構えるまでは揺れていたが、構えたら揺れることはなかった。前と同じように白く光った。人を斬ったことがある証拠だったが、それは怨念からではないようだった。時田もためらいもなく打ち込んで来た。速さは中園といい勝負だった。ただ、僕の両手はしっかりとその刃を捉えていた。

 道場内はまたしても歓声と拍手に包まれた。道場の窓から見ていた者たちからも歓声が上がっていた。

 僕は取った刀を持ち、鞘を持っている竹内から鞘を受け取ると、刀を鞘に収めた。

 道場の外にいた者たちが一斉に道場に入ってきて、凄い歓声が上がった。

 

 僕と堤とたえは桟敷に向かった。それでも、道場の歓声は止まなかった。

 桟敷に座ると、堤は「これで都合五度、真剣白刃取りを見ましたが、何度見ても凄い」と言った。

 たえは「わたしは初めてでしたから肝が潰れる思いでした」と言った。

「で、どうですか」と堤は訊いた。

「その前に堤先生の感想を聞きたいものです」と僕は言った。

「感想ですか。それは剣を実際に受けられた鏡殿がよくおわかりのはずですが」

「そうですが、私は当事者ですから、傍から見た意見を聞きたいのです」

「中園と時田の剣の速さは甲乙がつけがたい。竹内と城崎はそれに少し劣っているかと見ました」

「よく見ていますね。その通りです」

「そうですか」

「私の思ったことをそのまま言います。まず、竹内は優しい男です。私を切る瞬間に剣の速さが鈍りました。躊躇したのです。これは人物としては良くても、剣術を究めていく者としては不利です。次に城崎は、剣の振りは真っ直ぐです。ただ、今のところ、その速度は一番遅い。次に中園です。彼は人を憎しみから斬ったことがあります。ただ、剣の速さは一番でした。そして時田ですが、彼も人を斬ったことがあります。ただ、それはやむにやまれぬ事情からでしょう。剣の速さは中園の次です」

 僕がそう言うと、堤は「ということは鏡殿は、時田を押されているのですね」と言った。

 たえが僕の顔を見た。

「いいえ」と僕は答えた。

「えっ、では誰を」と堤が訊いた。

「意外かも知れませんが、この四人なら城崎を推します」

「城崎ですか」

「はい」

「でも、鏡殿の評価では、一番劣っているように聞こえましたが」

「確かに」

「それではどうして」

「彼の剣が一番、素直に振り下ろされたからです」

「一番、素直に、ですか」

「そうです。刀を持たぬ相手に刀を振り下ろすというのは、これで結構、勇気がいるものです。何も考えずに振り下ろすことは、非常に難しい。しかし、彼が一番、それに近いことをやったのです。後の者には雑念がありました。その雑念が剣に表れていました」

 僕は、その雑念が刀の色に表れていたことは言わなかった。雑念があったからこそ、刀は黄色く、または白く光ったのだ。そして、それは人を斬ったことによる雑念でもあった。その人を斬ったことのある経験が刀の揺れを止めたのだ。人を斬ったことのない者が持つ刀が揺れるのは当然なのだ。問題は、その揺れにどう立ち向かうかなのだ。

「なるほど。たえ、今の説明でわかったか」

「わかりました」

「そうか。では、城崎信一郎を師範代としよう」

 僕は肩の荷が降りた気がした。