小説「僕が、剣道ですか? 1」

十三

「先生」と看護師が言った。

「どうした」

「血圧がどんどん低下しています」

「何」

 医師は聴診器を僕の胸に当てた。そして「血液、採取」と叫んだ。

 看護師は血液を採取する道具を取りに病室から出て行った。

 その間に医師が「面会人は病室から出て行ってください」と言った。母や絵理が病室から追い出された。

 血液検査の結果は、散々だった。どの臓器の数値も悪くなっていた。そして白血球の数が極端に増えていた。

 医師は菌血症と判断して、抗生物質を点滴から投与した。

 

 三日三晩、僕は意識を失っていた。

 漢方医に診せ、何の毒か特定できなかったが、何らかの毒物が、あの針から躰に入ったことだけは確かなようだった。

 僕が意識を取り戻したのは、夜だった。きくが手を握っていてくれた。

 きくは僕が目を開けたら、涙ぐんでいた。

「ああ」と言った後、僕に抱きつき「ようございました」と言った。

 僕はきくに「水が欲しい」と言った。茶碗に水を汲んできたきくは、僕に水を飲ませようとしたが、起き上がれなかったので、上手く飲ませることができなかった。そこで、きくは自分で水を口に含むと、僕に口移しで水を飲ませた。それを三度ほどして、僕が「もういい」と言った。

 きくは僕の隣に布団を敷いていたが、ほとんど寝ずの看病をしていたのだろう。

「本当にようございました。あなた様が死ねば、わたしも後をと……」と言ったところで、頭を胸に乗せて寝息を立てていた。ホッとしたのだろう。張り詰めていた気が抜けて、睡魔が襲ってきたのに違いなかった。

 僕はきくの頭を撫でながら、目を閉じた。

 

 次の日、目が覚めると、きくは自分の布団を畳んでどこかにしまい、僕の横に座っていた。

「おはよう」と言うと、深々と頭を下げて「おはようございます」と言った。顔を上げた時、泣いていた。また「ようございました」と言った。

「起こしてくれないか」と言うと、きくは僕の両脇に手を差し込んで、抱きかかえるように半身を起こした。そして、そのまま僕をしばらく抱き締めていた。

「うまかったなぁ」と言うと、「えっ」ときくは訊いた。

「きくの握ってくれたおにぎりだよ」

「そうですか」

「ああ。もう、最期だと思って頬張った。おいしかった」

 きくは僕の背中に頭をつけて泣いていた。

「きくの握ってくれたおにぎり、おいしかったよ。あれで元気が出た。こんなところで死ねるものかと思った」

 きくが泣き止むのを待って、僕は「お腹が空いた」と言った。

「お粥でもお持ちしますね」

「そうしてくれ」

 きくが出て行った。

 僕が、意識を失っていた時、何故か病院にいたような気がしたのは何だったんだろう、と思っているうちに、きくがお粥を載せた膳を運んできた。

 まだ上手く動けないので、布団の横に膳を置き、粥の入った椀から匙で一掬いすると、きくはそれを口で吹いて熱さを冷ましてから、僕の口に運んだ。僕は口を開けて匙の中身を口の中に入れた。薄い塩味がした。おいしかった。

 僕が粥を飲み込むと、次のを匙で掬い、同じように口で吹いてから、僕に食べさせた。それを椀が空になるまでした。

 その後、お茶を飲んだ。

 

 その時、侍頭の佐竹が廊下に座り、「朝方ではありますが、失礼してよろしいですか」と訊いてきた。

「どうぞ」と僕は答えた。

 佐竹は座敷に入ってくると座るなり、頭を下げ「意識が戻られて、本当にようございました」と言った。きくが何度も言ったようなことを言うなと思って聞いていた。

 僕は冗談のように「私が死んだら話にならないですものね」と言ったら、「まことに」と佐竹は言ったきり言葉が続かなかった。

「討伐隊の者は、皆無事だったのですか」と訊くと「誰一人、怪我すら負ってはいません」と答えた。

「それは良かった。それで相手は何人だったんですか」と訊くと「二十二人でした」と答えた。二十二人と聞いて、予想より多かったことに驚いた。寺の門を開いていなければ、まだ何人かと戦わなければならなかったのかと思うと、ゾッとした。

「そんなにいたんですね、あの寺に」

「ええ、一網打尽でした」

「それは良かったですね。これで安心して出かけられますね」

「でも、一番の功労者のあなたが倒れられたと聞いて、生きた心地がしませんでした」

「私のことなんか、ご心配には及びませんよ」

「そうはいきません。あなた様に何かがあったのでは、当藩の面目に関わります」

「そんな大袈裟な。この通り、私は無事です、と言いたいところですが、もう少し養生させてください」

「それは構いません。お元気になられるまで静養してください」

「そうさせてもらいます」

「何か入り用のものはありますか」

「いいえ、特にはありません」

「そうですか。私はこれで失礼します」

 僕は頭を下げた。

 佐竹が出て行くとホッとした。

 

 それもつかの間だった。僕の意識が回復したことが、忽ちに屋敷中に伝わったのだろう。

 廊下の向こうの庭先から、「先生」、「先生」と言う声が聞こえてきた。

 藩士たちが集まっているのだろう。

 僕は半身を起こしたまま、きくに障子を開けるように言った。

 障子を開けると、その向こうにいっぱいいた。そして、僕の顔を見ると、誰かが大声で「ご無事で何よりでした」と言った。

 前にいた侍たちは廊下に手を突いて、乗り出してきていた。

「この通り、私は無事だ。と、言いたいところだが、今朝方、気がついたばかりだ」と少しばかり嘘を言った。昨日の夜、意識を取り戻したことは言えなかった。

「だから、当分、道場には行けない」

「そりゃ、そうですよ。養生してください」と言う声がした。みんなが「そうです」、「そうです」と言った。

「わかった。そうさせてもらう。ところで、残りの盗賊たちはみんなで倒してくれたんだね」

「先生がほとんど倒してくれていたじゃないですか」

「そうだったかな」

「そうですよ」

「でも、俺は相手を槍で刺したぞ」と言う者が出ると、「俺は胸を切った」、「俺は首をはねた」と、次々と声が上がった。それじゃあ、倒した盗賊の人数よりも多いじゃないか、と僕は思いながら、「分かった、分かった。みんなの働きぶりはよく分かった」と言った。

「私が首領の毒針で倒れなければ上々だったんだが、あいつを他の者に任せないで良かった」

「先生は毒針でやられたんですか」

「そうだ。相手の腹を切った時に、吹き付けてきた。顔に当たるのは避けられたが、肩に刺さってしまった」

「道理で。傷も負っていないのに、どうして倒れられているのか、わからなかったけれど、それなら納得がいきます」

「私はどうやってここまで帰ってきたんだ」

 そう僕が訊くと、待っていたかのように、前にいた三人が「俺たちが、代わる代わる先生をおぶって帰ってきたんですよ」と言った。

「先生は、意外に軽いですよね」とその内の一人が言った。

「そうそう。もっと、ごっつい躰をしているかと思ったら、全然違った」

「盗賊たちはどうした」

「馬車で運びました。検分をした後、今は河原でさらし首になっています」

 その光景を想像するとゾッとした。

「疲れた。今日はこれまでにしてくれ」

「わかりました」

「どうぞ、お大事に」

「ありがとう」

 僕はそう言うと、きくに障子を閉めるように言った。庭にいた藩士たちは去って行くようだった。