十一
荒れ寺が遠くに見えてきた。
先発隊が偵察に行ってきたところ、連中は起きてきたばかりのようで、全員かどうかは分からないが、ほとんどの者が寺の中にいるらしいということだった。
ここからは静かに近寄っていかなければならなかった。
もう少し近寄ったら、荷物を馬車から降ろして運ぶことにしていた。
荒れ寺の近くまで来た。荷物を馬車から降ろして、馬車は近くの木に留めた。
本隊はこのまま進み、相手が気付いて矢を放ってきたら、楯を立てることにした。
そして弓矢を持った別働隊は荒れ寺の裏手に進むことにして、ここで本隊と分かれた。本隊の指揮は一番年長の者に任せた。
僕は弓矢隊と一緒に山の中に分け入っていった。
枯れ枝と笹に阻まれて、先に進むのがやっかいだった。それでも、荒れ寺の裏側に来た。
かなりの急斜面だった。寺の屋根は見えるが高い塀が寺の中を見通せなくしていた。
三人をこの角の位置に陣取らせて、「矢はまだ放つな。放つとしたら、この二人組が放ち出してからだ。この位置だと、思い切り弓を引くと、矢は屋根に当たってしまうだろう。だから、屋根と塀の間に落ちるように狙うんだ。この場所からでは相手は見えないだろうから、相手が見えなくてもいいから放つんだ。そうすれば相手も応じない訳にはいかなくなる。相手が矢を放ってきたら、その方向に三人同時に矢を放つんだ。誰かの矢が相手に当たるかも知れない」と言い残して、僕たちは先に進んだ。
かなり急勾配の崖下に、塀の崩れている箇所を見つけた。思ったより、その崩れた箇所は狭かった。人が一人通るのがやっとの感じだった。
僕は連れてきた二組に、その塀の崩れている箇所を指さして、「あそこの塀の両隣に敵がいるだろう。彼らが自由に動けないように矢を放ってくれ。向こうとここに分かれて、あの箇所を中心に狙うんだ。相手が逃げ出してくるとしても、あそこからだろうから、気を抜かないように」と言った。
「私はあの塀のところまで降りていく。その間は援護の矢を寺に向かって放っていてくれ。そして、私が手を挙げたら、一時弓を引くのを止めてもらいたい。その間に中に入り込む」
「そんなの無謀ですよ」
「無謀でもやるしかない。もう話している時間はない。各自、配置につけ。そして矢を放つんだ」
そう言うと、一組はここに残り、もう一組は少し離れた位置に移動した。そして、彼らが矢を放つと同時に僕は、塀に向かって駆け下りていった。
坂は急でシューズを履いてきて良かったと思った。草履だったら、足を取られていたところだった。塀の向こう側からは、矢は飛んでこなかった。こちら側から矢を射かけている効果だったのだろう。
僕は塀に着くと一息入れた。
振り向くと、矢を射ろうとしている二人組が見えた。彼らに見えるように、僕は自分の胸を右手の拳で叩いた。
彼らが頷くのが見えた。
僕は塀を背にして、塀の崩れている箇所のすぐ近くまで来た。侵入するとしたらここしかないと改めて思った。そして、そのことは相手も同じように考えていると思った方がいい。きっと、ここからの侵入者を待ち構えているのに違いなかった。
僕は試しに少し大きな石を放り込んでみた。すると塀の左右から槍が突き出された。
やはりね、と思った。塀を見上げた。高かった。手を上げてもまだ、届かなかった。腰の本差を抜いて、地面に突き立ててみた。そして本差の紐を手に取って、その上に乗ってみた。何とか手を伸ばせば塀の瓦に手が届いた。しかし、瓦を掴んだら、グズグズだった。すぐに落ちてきた。
手がかりがなければ、塀を乗り越えるのは無理だった。やはり、この狭い崩れたところを通るしかなかった。
僕は本差を腰に差して、塀の崩れたすぐ側にまで行った。塀の向こう側には敵が待ち構えている。
僕は刀を抜いて、それを振り上げた。突入する合図だった。
もう一方の手で、再び大きな石を投げ込んだ。槍が突き出されるのと同時に飛び込んだ。槍は投げ込んだ石に向かって伸びていた。その上を飛び越し、振り向きざまに、まず左の槍を突き出している者の両手を斬り落とした。そして、すぐに右の槍を突いている者の喉を突き刺した。そして、正面から刀を振り上げてくる者の胴を横っ跳びになりながら払った。地面を転がりながら、右側を見ると、肩と手に矢を受けている者たちが向かってくるのが見えた。矢では傷を負わせるのがせいぜいで、相手の気力を奪うことはできなかったようだ。
僕は立ち上がると、二人と相対した。この者たちは場慣れしていた。道場で稽古を付けた者たちとは桁違いだった。
二対一の戦いだ。自分たちが有利だと信じているのだろう。気力が充実していた。こういうときには、普段よりも力が出るものだ。油断はできなかった。
二人はじりじりと間合いを詰めてきた。僕は二人を見比べた。左の方が背が低かった。僕と比べると、十五センチ近く差があるだろう。ということは、リーチの差もそれほどでなくてもあるということだ。相手の間合いに入る前に、相手はこちらの間合いに入ってしまう。そのことに相手は気付いてはいなかった。
僕は左の者に照準を合わせた。相手が次に少し間合いを詰めようとした時が勝負の時だった。なかなか相手も迫っては来なかった。前に仲間がやられた話は伝わっているのだろう。少しも油断はしていなかった。次の間合いを詰める時を二人は計っているようだった。時間は経っていった。しかし、その時は来た。二人同時に、少し間合いを詰めようとした。その時、僕は一歩前に進んで、左側の者の手首を刀で斬り落とした。そして、そのまま突き進んで、それに驚いている右の者の胴を斬り裂いた。
上から味方の矢が降ってきたので、当たらないように寺の中に入った。
これで五人を倒した。まだ十数人、中にいるだろう。戦いはこれからだった。
戸板を背にして一息ついた。
思っている以上に気力を使うものだと感じた。
喉がカラカラだった。きくが用意してくれた竹筒を取り出し、栓を抜いた。そして中の水を飲んだ。口が湿る程度飲んだところで栓をした。
戦いは始まったばかりだ。
裏手を固めていた者たちは、さほどの力量の持ち主ではなかったのだろう。本隊は中にいる。
この薄暗い寺の中で、目を慣らしていて待っているのに違いない。
僕も寺の中の暗さに慣れなければならなかった。
一歩、また中に入った。すると、戸板越しに槍が襲ってきた。こちらの音を聞きつけて、突いてきたのだろう。だが、見当違いだった。その戸板を踏み台にして僕は飛び上がり、槍を突いてきた者の頭から刀を振り下ろした。相手はばったりと前に倒れた。すぐに次の剣が襲ってきた。その刀を振り払うと、その者を肩から斬りつけた。
攻撃はそれで止んだ。
これで七人倒した。
寺の中は、よく目をこらさなければ真っ暗だった。
目を慣らそうとした。
その時だった。奥の方から蝋燭の光が見えた。僕はついその光を見てしまった。光はゆっくりと円を描いた。それから左右に動いた。
暗闇から「この光が見えるか」と言う老人の声が聞こえてきた。僕は、相手が見えないのにもかかわらず頷いていた。
「この光をよく見るんだぞ」とその声は言った。
僕は、言われなくても、暗闇に点された光から目が離せなかった。そして、目で光を追ってしまった。
「おぬしの躰はもう動かすことができない」と言う声がするとともに、蝋燭の火が消えた。
立ち上がろうとしたが、ひどく粘着力のある液体の中にいるようで、上手く立ち上がることが最初はできなかった。しかし、やっとの思いで躰を起こすことができた。どうしたわけか、躰中に鉛をつけているように重く感じた。
その時、初めて、僕は催眠術にかけられたことを悟った。