小説「僕が、剣道ですか? 7」

二十八
 沙由理が来て、手を差し出した。僕はその手を握って、強く振った。
 沙由理はマスク越しに風邪声で「おめでとう」と言った。後は、部員たちが寄ってきたので、後ろに離れた。
 カメラマンが大勢やってきて、監督と並んだ写真を沢山撮られた。
 それから、会場の隅に連れて行かれて、優勝インタビューを受けた。
「今はどんなお気持ちですか」と訊かれた。
「最高な気分です」と答えた。
「優勝すると思っていましたか」という質問に「いいえ。大会に出られるだけで十分でした」と嘘を言った。
「都立高校の生徒の優勝は初めてだって、知っていましたか」
「いいえ、知りませんでした。そうなんですか」
「そうなんですよ。しかも、西日比谷高校ですからね、凄いですね」
「…………」
 インタビューはまだ続いたが、何を答えたかは覚えていなかった。

 富樫が来て、控え室まで連れて行かれた。狭い控え室は大変な騒ぎだった。女子応援団も来ていて、全員と握手した。
 防具を外した状態で、表彰式まで待った。
 その間に、いろいろな人と会った。母ときくとききょうと京一郎も来ていた。
 二階席で見ていたそうだ。ききょうは母に抱かれ、京一郎はきくが抱っこ紐で抱っこしていた。
 大会関係者に「倉持喜一郎君の様子はどうですか」と訊くと、「軽い脳しんとうだと思いますけれど、念のため病院に行きました」と答えた。
 あの一撃は、見た目には、面を被っていたところを竹刀で打ったように見えるが、実際は、直接真剣の峰で頭を打ったのと変わらないはずだから、見た目より強い打撃を受けているのに違いなかった。しばらくは起き上がれないだろう。
 記者が何人もやってきて、その質問にも答えた。大概は同じ質問だった。それなら一度にやってくれれば良いのにと思った。これも朝刊に間に合わせるためだろう、と思って答えた。昼食をとる間もなかった。ペットボトルのスポーツドリンクを飲んだくらいだった。

 表彰式になった。大きなトロフィーと楯と賞状が渡された。その時、数多くのフラッシュが浴びせられた。
 トロフィーは付き添っていた富樫に渡した。
 カメラマン席に来ると、改めて、トロフィーを持った写真や楯を持った写真や、賞状をかざした写真を撮られた。
 控え室に戻ると、女子応援団はいなくなっていた。部員だけが残っていた。
 監督は「明日、午前十時に校長室に来るんだぞ」と言った。
「もちろん、トロフィーと楯と賞状は忘れるなよ。前回同様、と言うよりもっと多くの取材の申込があったが、マスコミからの取材は体育館で午前十時半から約一時間受けることになっている。校長、教頭とわたしも同席する。長引いてもお昼には終わるだろう」と続けた後、「持ち物も多いから、ちゃんと来られるように、誰か付き添ってやってくれないか」と言った。
 当然、富樫が手を挙げ「僕が付き添います。間違いなく、午前十時には校長室に行かせます」と言った。
「そうか。任せた」と監督は言った。
 それから、「明日の垂れ幕はまた一段と大きいからな。良く見ておけよ」と続けた。
 そしてさりげなく「これから大変だ」と呟いた。それはこっちが言いたいよ、と言いたくなった。

 着替えて、僕は剣道具を持ち、トロフィーと楯と賞状はそれぞれ、箱と筒に入れられて、それは富樫が持った。
 家に着いたのは、夕方五時だった。
 富樫は上がり込もうとしたが、僕がトロフィーと楯と賞状を受け取ると、「また明日な」と言って追い出した。
 富樫がいなくなると、きくが出て来て「お帰りなさいませ。優勝、おめでとうございます」と言った。
「応援に来てくれたんだな。ありがとうな」と言うと、「お母様が行こうと言い出したんです」と言った。
「そうか」
「わたしだけでは、応援に行きたくても、どこに行けばいいのかわかりませんから」ときくは言った。
「それもそうだな」
「でも、京介様が勝つと思っていましたよ。だから、京介様の勝つところを見たかったんです」と言った。
「ふーん」
「最後は凄く相手を攻めましたね」と言った。
 僕は驚いて「見えたのか」と訊いた。
「いいえ。でも、相手が倒れましたから」と言った。
「なんだ、そうか」と僕は言った。
 止まったときまで見えるようになっては敵わないからな、と思った。
 この時は、別にあやめのことが頭に浮かんでいたわけではなかった。

 リビングに行くと、母が「おめでとう」と言った。
「凄い試合だったわね」
 夕刊がダイニングテーブルに広げられていた。速報として、インターハイ男子優勝者として、僕の名前が出ていた。ギリギリ、夕刊の締切りに間に合ったのだろう。都立高校としては初の快挙という見出しがついていた。
「風呂に入るね」と言うと「焚いてあるわよ」と母が言った。
 僕は剣道具を納戸に仕舞うと、着替えを持って風呂場に向かった。さすがにききょうと京一郎を入れる元気はなかった。
 浴槽に浸かってゆったりとしたかった。
 倉持喜一郎の試合が思い出された。
 彼は時を止められたが、長時間ではないことが分かった。そうすれば、僕に利があるのは当然だった。
 ひょっとしたら、もっと長時間止められるのかも知れないが、その練習をしてこなかったのだ。ほんの一瞬止められるだけで剣道は勝つ。今まで長時間止める必要がなかったのだ。その差が僕に勝利をもたらした。
 それと定国だった。定国の力も大きかった。ただの竹刀を真剣同様に変えてしまうのだ。剣道の試合で、剣道の竹刀検量が行われるのは、竹刀の長さ、重さや太さが違ったのでは不公平だからだ。高校生では、長さは男女共通で、百十七センチ以内。重さは男性で四百八十グラム以上。太さは男性で二十六ミリメートル以上と決まっている。定国の力を帯びた竹刀は、その枠を越えてしまう。
 だから、葛城城介は僕の竹刀を借りて振ってみたのだ。竹刀とやり合っている気がしなかったのだろう。その感覚は良く分かる。
 だから、僕の優勝もインチキと言えばインチキなのだ。だが、持てる力を十全に使って勝つのは、悪いことなのだろうか。
 とにかく現代に来て、定国の力も時を止める力も使う機会を失ったので、使いたくてしょうがなかったのだ。その結果がこんな風に出ただけなのだ、と思うようにした。

 風呂から出ると、「今日はお寿司をとるわ」と母が僕に言った。そして、「今日ぐらい特上にしましょうね」と続けた。
 そう聞くと急にお腹が空いてきた。寿司で足りるのか、と思った。
「今日は昼飯食ってないんだ。多めに頼むよ」と言った。
「わかったわ。じゃあ、カッパ巻きと、かんぴょう巻きと納豆巻きも一緒に頼むわね」と言った。
「茶碗蒸しもつけて」と僕は言った。
「わかったわ、そうする」と母は言った。
 それから携帯で電話をした。
 きくが来て、「お祝いのケーキも買ってあるんですよ」と言った。
 冷蔵庫に行ってみると、五号サイズのホールケーキが箱に入っていた。