小説「僕が、剣道ですか? 7」

十三

 月曜日から木曜日まで、業者の学力試験があった。

 僕は時間が止められるから、余裕で答えを盗み見た。学力試験などどうでも良かった。赤点を取らないことが大切だった。業者テストでも、多少とも成績表に響くからだった。

 金曜日に家に帰ると、午後八時に備えた。

 

 今度は簡易ゴルフバッグは持っては行かなかった。ただ、ひょうたんは持った。

 黒金金融に着くと、若い者が出迎えてくれていた。僕は、長袖シャツに薄手のセーターを着てジーパンという姿だった。

 そして、五階に上がっていった。

 すでに若頭は待っていた。

 僕は若い者に来客用のソファに案内された。そこに座るとコーラが出された。

 それを飲んだ。

 若頭の神崎は、デスクから立って、僕の前のソファに座った。

 僕は軽く頭を下げた。

「挨拶は抜きだ。用意はできたぞ」と言って、ガラステーブルに二つのボストンバッグを置いた。

「一億二千五百万円ずつ入っている」と神崎は言った。

 僕はボストンバッグを持ってみて、それぞれ開けた。そして帯封がされている札束を見ると、チャックを閉めた。

「数えなくてもいいのか」と神崎が言った。

「その必要はないでしょう」と僕は言った。

「これが領収書だ」と言って、二億五千万円と印字された領収書が、目の前に突き出された。僕は住所を書き、サインをした。

 神崎がナイフをガラステーブルに滑らせた。

「印鑑がいる」と言った。

 僕は、神崎の目を見ながら、ナイフを取った。そして、親指の腹を少し切って、血を出した。それで拇印を押した。そして、領収書を神崎の方に、ナイフと一緒にガラステーブルの上を滑らせた。

 神崎が領収書を受け取って胸にしまった。

 若い者が絆創膏を渡してくれた。それを貼った。

「若いのにいい度胸しているな」と神崎は言った。

 僕は首を左右に振って「大したことないですよ」と言った。

 そして立ち上がると「では失礼します」と言ってボストンバッグを持ち上げた。

「今日はこの前の刀を持ってきてないのか」と神崎が言った。

「あれは、あの日だけです。ちよっとお見せしたかったので」と僕は言った。

「そうか。わかった。じゃあな」と言った。

 僕は頭を下げて、部屋を出た。若い者が先に立って、階段を下りていった。僕はそれに付いていった。

 ビルから出ると、すぐに通りに出てタクシーを拾った。家までタクシーで帰った。

 

 家に着いたのは、午後九時前だった。

 リビングに父と母ときくを呼んだ。

 テーブルの上を片付けるように言って、そこにボストンバッグを置いた。

 チャックを開いた。

 中には帯封がされた一万円札百枚の束がぎっしり詰まっていた。

 僕は、それを取り出してテーブルに置いていった。

 ボストンバッグは床に下ろした。

 テーブルの上には、一千万円ずつ積んだ札束が、二十五個並んだ。

 このうち、一億五千万円を一つのボストンバッグに入れた。残りは、もう一つのボストンバッグに入れた。

 一億五千万円のボストンバッグを父に渡した。

「これで土地を買って欲しい。家は、この家を売ったお金とローンで建てて欲しい」と言った。

「その一億はどうするんだ」と父は言った。

「これはきくとききょうと京一郎のために使うつもりさ。きくとききょうと京一郎には戸籍がないんだ。お金でしか、守ってやれない」と僕は言った。

「このお金は、あの小判を売ってきたものなんだな」と父は言った。

「そうさ」と僕は応えた。

 そして、「これから風呂に入る」と言った。

「何か食べる」と母が訊いた。そういえば、夕食は食べていなかった。

「何があるの」と訊いた。

「ミートソースが残っているから、スパゲティを茹でるわね」と母が言った。

「分かった。十五分で出てくる」と僕は応えた。

 

 サラダとミートソースのかかったスパゲティが夕食だった。僕はトランクスを穿いていたもののバスローブのままで、それらを食べた。

 食べ終わった頃には、汗が引いたので、三階の自室に行ってパジャマを着た。

 部屋の隅にボストンバッグが無造作に置かれていた。

 きくが僕の横に座っていた。

「お金が手に入って良かったですね」と言った。

 

 その時、ドアをノックする音がした。

 母が入ってきた。

「お父さんがね。どうせ四谷五丁目に家を建てるんなら、アパート併設の家を建てたら、どうかと言うの」と言った。

 僕はどうせ、不動産屋に乗せられてるんだろうな、と思った。

「それでね」と言って、部屋の隅のボストンバッグを見た。

「分かった。好きにすればいいさ」と言って、僕は部屋の隅のボストンバッグを母に渡した。

「ありがとう」と母が言って、部屋から出て行った。

 アパート併設の家も悪くはないと思った。そのあたりなら、空室になることも少ないだろうという思いもあった。それに、お金があればこうしたいと思うのは、人間の性だ。父や母が現実にお金を見たときに、仮に不動産屋に乗せられたとしても、夢を見られるのなら、それもいいだろうと思った。今までは、考えたこともなかったことが、実際にできるのだ。やらなくて後悔するより、やって後悔する方がましだと僕は考えた。

 

 きくが「お金って人を変えますか」と訊いた。今のやり取りで感じたことがあるのだろう。痛いところを突いてきた。

「変えることもあるんだろうねぇ」と僕は答えた。

「それではお父様とお母様は変わりましたか」と訊いた。

 またしても痛いところを突いてきている。

「夢を見たいと思っているんだろう。それも悪くない」と僕は答えた。

「そうですか」

「きくはどう思っているの」と僕は訊いた。

「きくにはわかりません。ただ、きくがわかっていることは、京介様のお世話係に決まった時、自分の生き方が変わったと思いました。そして、本当にそうなりました」と答えた。

「そうか」

「それで良かったと思っています。あの時、京介様のお世話係になっていなければ、きくはきっとつまらない生き方をしていたと思います」と言った。

「今の生き方がいいと思っているのか」と訊いたら、「そうに決まってるじゃありませんか」と抱きついてきて答えた。

 

 夜、時間を止めてリビングに行った。

 ひょうたんからあやめを出した。

「いろいろと忙しそうですね」と言った。

「ひょうたんの中でも分かるのか」と訊いたら、「ええ、筒抜けですよ」と答えた。

「陽の光は通さないのにか」と訊くと、「そうです」と答えた。

 そして「明日、沙由理さんとデートですね」と言った。

 そうだった。明日、沙由理とカラオケに行く約束をしていたんだと思い出した。

 何時だったろう。

 そう思っているうちに、あやめが絡みついてきた。

「沙由理さんとは、こんなこともあんなこともしちゃ駄目ですよ」とからかうように言った。

 あやめは僕をしっかり疲れさせて解放した。ひょうたんの中にあやめを入れた後、霊でも嫉妬するのか、と思った。

 僕は自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込んだ。きくを抱いて、時間を動かした。