小説「僕が、警察官ですか? 3」

 月曜日だった。今日は、西新宿署に行って剣道をする曜日だったので、剣道の道具を持って、家を出た。

 黒金署に着くと、山田の取調は今日も続いていた。

 僕は安全防犯対策課に入ると、デスクに着いた。

 緑川が自分の席から僕に向かって、「取調は難航しているようですね」と言った。

「そうか」

 そうだろうな、と僕は思った。山田はやっていないんだから。

「でも、捜査一課二係の人に訊いたら、彼が本ボシだと思っているようですよ」と緑川が言った。

「そうなのか」と僕は驚いて訊いた。

「ええ、絶対に落としてやると言ってましたから」と緑川は答えた。

 何て言うことだ。彼は犯人じゃないんだ。

 僕が心の中でいくら叫んでも誰にも聞こえはしない。こうなれば、喜八の犯行を証明するか、山田が白であることを証明するかの、どちらかしか方法がない。今は、四月二十九日の放火事件について、鑑識がどういう報告をしたのかが気になるところだが、それを無関係の者が読むことはできない。とすれば、山田の潔白を証明するしかない。明日、ひょうたんを持ってきて、取調の様子を見させてくれと、捜査一課二係の係長に掛け合ってみるか、と思った。しかし、これは断られることは目に見えていた。しかし、取調が行われている場所は分かる。少し、離れているが、あやめなら山田の頭に入れるかも知れなかった。その可能性に賭けてみる気になった。

 

 捜査一課の方は忙しそうだったが、安全防犯対策課は暇だった。僕は雑用をこなして退署時間を待った。

 退署後は、剣道をしに西新宿署に行くことになっていた。

 退署時間が来たので、鞄と剣道の道具を持つと「お先に」と言って、安全防犯対策課を出た。歩いて西新宿署まで行った。三十分かかった。

 剣道着に着替えて道場に行くと、西森が待っていた。

 今日は試合形式ではなく、純粋に打込みの稽古をした。僕が元立ちになって、西森に打ち込ませた。それを一時間近く休まず続けた。さすがに西森は疲れたようだった。

「今日はこのくらいにしますか」と僕が言うと、「まだまだ」と西森は答えた。

「でも、西森さんに訊きたいことがあるんですよ」と僕が言うと、彼は親指を上に向けて、「ラウンジに行きますか」と言った。

「いいえ、簡単なことなので、着替えながら話します」と言った。

「では、そうしましょう」と西森は言った。

 更衣室に行き、剣道着を脱ぐと、シャワーを浴びた。躰を拭いて出て来ると、西森がシャワー室から出て来るのを着替えながら待った。

 西森が出て来た。西森はバスタオルを腰に巻いて、ベンチに座った。

「で、訊きたいことは何ですか」と言った。

「着なくてもいいんですか」と言うと、「少し、熱を冷ましてから着ますよ」と言った。

「そうですか。では、伺います。もし、犯人でない者が逮捕され、取調を受けているとします。しかし、取り調べている方は、被疑者を犯人だと信じて疑わない。こうした場合、どうすればいいですか」と訊いた。

「例の黒金町で起こった連続放火事件のことを言っているのですか」と西森は訊いた。僕は、さすがに鋭いな、と思いながら、「いや、一般論として訊いています」と言った。

「それなら取調をしている者に任せるしかありませんね」と西森は答えた。

「被疑者が白だと分かっていてもですか」と僕は言った。

「ええ、そうだとしても、警察は組織で動いています。それを覆すとしたら、被疑者が白だという明白な証拠を提示するしかありません」と西森は言った。もっともな意見だった。

 

 西新宿署を出て、歩いて自宅まで帰った。

 すぐに、京一郎と風呂に入った。『被疑者が白だという明白な証拠を提示するしかありません』という西森の言葉が何度も頭の中を巡った。

「そうなんだよな」と呟いていた。

「パパ、何か言った」と京一郎が訊いた。

「いいや、独り言だ」と答えた。

 僕らが風呂から出ると、ききょうが入れ替わるように風呂に入っていった。

 僕はリビングルームに行き、テーブルに着くと、枝豆をつまみながらビールを飲んだ。

「何か気にかかることでもあるんですか」ときくが訊いた。

「気にかかっていることがあることが、きくには分かるのか」と訊き返した。

「ええ、わかりますとも、ビールの飲み方で」と答えた。

「何も気にかかることがないときは、実に美味しそうに飲みますもの」と続けた。

「そうか。ビールの飲み方一つでも分かるのか」と僕は言った。大したもんだな、と思うと同時に、自分も僅かな事柄でも見落とさないようにしなければならない、と肝に銘じた。

 

 翌朝、僕はひょうたんを鞄に入れると、家を出た。

 署に着くと、安全防犯対策課に行き、鞄からひょうたんを出して、ズボンのポケットに入れた。山田の取調は、すでに始まっていた。

「ちょっと、出かけてくる」と緑川に言って、安全防犯対策課を出た。そして、エレベーターホールに行くと、取調室のある五階に向かった。

 五階で降りると、巡査が立っていて、「この先はお通しできません」と言った。

「そっちのトイレに行くだけだよ」と言うと、「他の階にもトイレはあるでしょう」と巡査は言った。

「そうなんだが、間違って五階を押してしまった。今、腹を壊していて急ぎなんだ。済まんが、トイレに行かせてもらうよ」と言った。

「そういうことなら、どうぞ」と巡査は言った。

 僕は取調室とは反対側にあるトイレに向かった。そして、個室に入ると、ドアを閉め、ひょうたんを叩いた。

「あやめ、聞こえるか」と言った。

「はーい。聞こえます」とあやめは言った。

「取調室はこの階の一番奥の部屋だ。そこに少なくても三人の者がいる。一人は取調官でもう一人は記録係だ。真ん中の机に、取調官と山田が向き合うように座っている。あやめは山田宏の頭の中を読んできてくれ。できるか」

「わかりませんが、やってみます」

「では、行ってくれ」

「はーい」とあやめは言った。

 あやめは取調室の方に向かったのだろう。同じ五階とはいっても、正反対のところに取調室はある。しかも、中に何人いるのか分からない。あやめに言ったように、少なくとも三人いることは確かだ。他にもいるかも知れなかった。ここは、あやめに賭けてみるしかなかった。

 僕は狭い個室の中で、あやめが戻ってくるのをひたすら待った。