小説「僕が、剣道ですか? 6」

二十

 夕餉の後、一局碁を打った。二子局だった。しかし、心ここにあらずの風車は惨敗した。

 ハンディなしで打ったが、僕が中押し勝ちした。こんな風車と碁をしていても面白くはなかった。

 風車は早くに離れに行った。吉原の遊女の記憶に浸ろうとしているかのようだった。

「風車様はどうかされたのでしょうか」

「一種の熱病だ」と僕は言った。

「どこか悪いんですか」

「ここがな」と僕は胸=心を叩いた。

 きくは首を傾げたまま、居間に向かった。

 

 僕は寝室で、ききょうを寝かしつけていた。

 きくがやってきた。

 昨日と同じように躰を押しつけてきた。そのきくの躰を受け止めた。

 僕がきくの中に放出すると、きくは手拭いで拭いて、洗ってきてまた拭いた。

「風車様はあのままでしょうか」

「どうだろう。そのうち、治るだろう。一種の熱病のようなものだからね」

「熱病ですか」

「私たちには、うつらないよ」

「わかっていますよ」

 そのうち、きくも眠った。

 

 僕は時を止めて、奥座敷に行った。

 女がいた。悲しそうな顔をしていた。

「わかっているんですよ、わかっているんです。でも、心が苦しいんです」と女は言った。

 僕は黙って、女を抱き締めるしかなかった。

 

 次の日も、風車は元気がなかった。

 朝餉でもお代わりをしなかった。普段は何か話すのに、何もしゃべらなかった。

「眠れていますか」と僕が訊いても、「ええ、まあ」と返すぐらいだった。

 きくと顔を見合わせた。

 風車が居間から出て行くと、僕はきくに「重症だな」と言った。

「そんなに悪いんですか」ときくが訊くから、「たとえだよ」と答えた。

 囲碁はしなかった。居間を出た風車は、そのまま離れに行った。

 

 僕は中庭の畑に出た。鍬を持っていた。

「土作りが大事なんですよ」と八百屋の主人は言ったが、どう土作りをすればいいのか分からなかった。風車も一緒に聞いていたので、風車と一緒にやろうと思ったが、声をかけることができなかった。

 僕は茄子の苗を植えていない二つの畝を掘り起こして、作り直した。そして、水を撒いた。

 

 風車は昼餉は食べたが、「おやつはいりません」と言った。そして、離れに向かった。

 僕が話す言葉も耳には届いていなかったろう。心は、吉原に向いていたのに違いなかった。

 

 風呂も僕が焚き、一緒に入ろうと勧めたが、「後で入ります」と言ってきた。

 だから、僕はききょうと一緒に入った。

 ききょうは嬉しそうだった。

 僕が頭や躰を洗っているときは、隣に座らせた。

 髭を剃るときは、折たたみナイフに注意した。

 髭を剃った後に、風呂に浸かった。

 脱衣所では、ききょうをバスタオルで拭き、タオルをおむつ代わりにし、おむつカバーをした。そして夜用の着物を着せて、僕は浴衣を着て湯屋から出た。

 ききょうを寝室に連れて行くと、湯屋に戻り、おむつを井戸場で洗い、干し竿にかけた。その後で、ききょうと少し遊んだ。

 

 風車が風呂から出てくると、夕餉になった。

 風車はご飯を食べながら、溜息ばかりついていた。

「そんなに良かったんですか」と僕はつい訊いてしまった。

「おなごがあんな風だったとは思いませんでした」と答えた。

「良くしてくれたんですね」

「ええ。良くしてくれました」

 そう言って、食べ終わると、「ごちそうさまでした」と言って、離れに行った。

 そんな風車を見送りながら、「明日、吉原に行くな」と僕は呟いていた。

 

 夕餉の片付けが終わったきくが寝室にやってくると、「風車様は元気がありませんでしたね」と言った。

「しょうがないさ。吉原は楽しかったんだろう」と言った。

「あなたが行っては嫌ですよ」

「私は行かないよ。強いて言えば、お金を届けるだけだ」と言った。

 きくを抱いた後、眠った。

 

 夜中に起き、時を止めて、奥座敷に行くと、女が座っていた。

「待っていましたわ」と言った。

「そうか」

 風車の話をした。

「風車様はお寂しいのでしょう。わたしと同様に」と言った。

 

 次の日、朝から風車はそわそわとしていた。

 昼餉を食べると、すぐに離れに向かった。

 そして、着替えてきた。

「これから浅草に行ってきます。しばらく帰らないと思います」と言った。吉原ではなく、浅草と言ったのは、きくがいたからだった。

「そうですか。気の済むようにされればいいでしょう」と僕は言った。こういうことは理屈ではなかったからだ。

「では」と言って、風車は一番いい着物を着て出かけていった。

 後ろから「スリにはご用心を」と僕は言った。

 風車は振り向いて、「わかっています」と答えた。

 玄関の戸を閉めると、寂しくなった。

 

 することがなくなって、僕は作り直した畝にキュウリの種を撒いていった。土作りが十分ではないことは分かっていた。ちゃんとキュウリができる保証はなかった。

 種を植えた後、水を撒いた。

 何かしていなければ、時間が持たなかった。

 

 風車がいなくなって、ききょうと遊ぶ時間が増えた。ききょうは喜んだのに違いない。

 ききょうは、それまできくにまとわりついていたのに、僕にまとわりつくようになった。

 ききょうをおんぶして、風呂焚きの仕方を見せた。何を見ても面白がった。ききょうも火をつけたがったが、それはさせなかった。

 風呂が焚けたら、ききょうと入るつもりだった。

 風呂場では、水鉄砲のやり方を教えて欲しいとせがんだ。しかし、ききょうの手の平では上手くは水鉄砲はできなかった。僕が水鉄砲でききょうを打つと、風呂場をはいはいしながら逃げた。

 そんなききょうを捕まえて、躰を洗った。

 

 風呂から出ると、しばらくききょうと遊んだ。ききょうははいはいができるのだから、鞠のような物があるといいなぁ、と思った。明日、きくと買いに行こうと思った。

 

 寝室で、きくとききょうが寝付くと、時間を止めて、奥座敷に向かった。

「風車様は吉原に行かれたんですね」と言った。

「そうだよ」

「わたしも呉服屋の若旦那に見初められなければ、吉原に行っていたところでした」と言った。

「そうだったのか」

「ええ。お金のない所に育った年頃の女は、身請けされるか、吉原に行くかしかありませんもの。女中になれるのは、幸運な方です」と言った。暗にきくを皮肉っていた。

「でも、女に入れ込むと大変ですよ」とあやめは言った。

「そうだろうな」と僕は言った。

「お金があるうちはいいですけれど」

 風車が大してお金を持っていないことは分かっていた。

「深い仲になって、身請けするにしてもそれなりのお金が必要ですからね」と女は言った。

 女と交じり合って、僕は寝室に戻った。そして、時を動かした。