小説「僕が、剣道ですか? 6」

十九
 僕は久しぶりに定国を取り出して、中庭の畑ではないところで素振りをしていた。
 野菜売りがやってきて、きくが何やら買っていたようだった。
 僕は一汗をかくと、井戸から水を桶に汲んで、着物の上半身を脱ぐと手拭いで拭いた。
 その時に、昼餉ができたと、きくが呼びに来た。
 ジャガイモをたくさん買ったようで、ふかした芋に塩をふった物と味噌汁にもジャガイモが入っていた。その時、ふと、僕はポテトチップスが食べたくなった。
 ふかした芋はそれなりに美味しかった。バターで食べたいところだった。
 ききょうは潰したジャガイモを沢山食べた。美味しかったのだろう。

 おやつはトウモロコシを焼いた物が出たが、あまり食欲はなかった。
 そしてやはり、風車は帰ってこなかった。

 風呂を一人で焚き、一人で入った。
 夕餉も寂しかった。
 きくが風呂に入る時、ききょうを先に入れ、僕がききょうを抱き取り、寝室に連れて行った。

 夜になると、女と交わった。僅かな時間だった。
 その時、女は奇妙なことを言った。
「あなたは、今、この家に誰がいるかわかりますか」と訊いたのだ。
「分かるとも、きくとききょうだ」と答えた。
「そうではなく、霊として見えるのではないですか」と女は言った。
「そんな馬鹿な」と言おうとしたが、目を閉じると、寝室に二つの霊が見える。それがきくであり、ききょうであることも分かった。
「どういうことなのだ」
「わたしと交わることでわたしの力が主様にも伝わったのです」と女は言った。
「すると、あやめにも時間を止められるということか」
「そんなことはできませんよ。ただ、一方的にわたしの力の一部を主様が身につけたのです」と言った。

 僕はすぐに寝室に戻り眠った。奇妙な気分だった。目をつぶっても、白いきくとききょうの霊が浮かんできたのだ。もちろん、あやめの霊も見えた。
 あやめは蹲るように奥座敷の屋根裏に丸くなっていた。こんなにも小さくなっているのか、と思った。

 朝、僕を起こすのがききょうの仕事になっていた。
 段々、慣れてきたようで、僕のほっぺたを叩いて笑っていた。
「こいつ」と言って、僕はききょうを擽(くすぐ)った。ききょうは仰け反って笑った。

 朝餉は、海苔の味噌汁に青菜の浅漬けだった。
 青菜の浅漬けには鰹節がかかっていた。
 昨日、鰹節の削り方を教えたのだ。箱のような物の蓋を開けると、カンナを備え付けたような物が出てくる。そこで木を削るのと同じように、鰹節の方から刃の方に向かって削り、ある程度削れたら、箱の下の引出しを引くと、そこに削り節ができている。それだけのことである。
 そうして作った削り節を浅漬けにかけたのだ。庖厨に入れなかった女中は、こんなことも知らなかったのだ。

 朝餉の後は、定国で素振りをした。畑を見ながらしていたが、土をいじる気になれなかった。風車がいれば、一緒にやっていたことだろう。

 昼餉の後になって、風車が帰ってきた。
 照れながら、居間に入ってきた。
「まぁ、風車様。随分と会わなかった気がしますね」ときくが言った。
「いやぁ」と風車は頭をかいた。
「風車様がいないので、京介様が寂しがっていましたよ」ときくが言った。
 確かにそうだった。
「良かったですか」と僕が訊くと、風車はにやけて笑った。
「そうですか。良かったんですね」
 また、風車は頭をかいた。言葉にしようがなかったのだろう。
「離れに行きます」と言って、居間から出て行った。
 眠りに行ったのだろう。
「起きてくるまで、寝かせておいてやろう」と僕はきくに言った。
「はい。でも、朝まで起きていたんでしょうか」
「どうだろう。ただ、疲れているのは確かなようだ」
 僕らの会話はそれだけだった。
 風車が吉原でどう過ごしてきたのかは、風車は言わないだろうし、訊くのは野暮というものだ。
 今は寝かせておいてやるのが一番だった。

 おやつにも起きてこなかった。
 風呂焚きは、僕がした。僕もコツを掴んだので、上手く火がつけられるようになった。
 風呂が焚けた時に、離れの外から声をかけた。
「ええ。一緒に入ります」と風車は言った。
 僕が先に湯屋に行って、頭と躰を洗っている時に、風呂場に風車が入ってきた。
「吉原はどうでしたか」と僕は訊かずにはいられなかった。
「極楽ですよ」と風車は言った。
「ついてくれた遊女がとても優しかったものですから」と続けた。
「そうですか。それは良かった」
「本音を言えば、帰って来るのが、辛かったです」
「へぇー、そんなもんですか」
「そうですよ。でも、先立つ物がなくなったので仕方なく帰って来るしかなかったのです」
「なるほど」
 風車は今は三十両ほど持っている。本当は、五両、遊郭高木屋に支払い、その他に十両、風車に渡しているのだから、風車は十五両、僕に返さなければならない。すると、十五両しかなくなる。三日遊べばなくなるお金だった。だが、風車に貸した十五両は帰って来る気がしなかった。
 それはそれでいいと僕は思っていた。