小説「僕が、剣道ですか? 6」

二十四
 離れから、きくが離れたところで時を止めた。
 奥座敷に行き、あやめを呼んだ。
「風車様のことですよね」とあやめは言った。
「そうだ。うなされているようだが、何を思い浮かべているのか、あやめには分かるか」と訊いた。
「行ってみなければわかりませんが、強い想念ならわかると思います」と言った。
「だったら、頼む。少なくとも、どこの道場でやられたのかは知りたい」と僕はあやめに言った。
「わかりました。お待ちください」
 少しして、あやめは戻ってきた。
「凄い想念でした。はっきりと見えました」
「そうか」
「お見せしましょうか」
「できるのか」
「わたしが主様の頭に風車様の想念を送ります。それを見れば一目瞭然です」と言った。
「やってくれ」
「はい」
 クラクラと目眩のようなものがした。頭の中に映像が流れ込んできた。溢れる映像に慣れるまでに少し時間がかかった。
 そこは神田にほど近い道場だった。柳沢道場という看板がはっきり見えた。
 道場に入り「頼もう」と風車は声をかけた。門弟たちが集まってきた。
 師範代らしき男が「何用ですか」と訊いた。
 風車は「道場主に一手、お相手を願いたい」と言った。
 師範代らしき男は「そういうことはお断りしております」と言った。
「せっかく江戸に来たのです。何とぞ、ご教授願いたい」と風車も食い下がった。
 師範代らしき男は「そういうことでしたら、どうなっても知りませんよ」と言ってから、「松原、相手をしてやれ」と言った。
 風車は「拙者は道場主に一手ご教授を願いたいのです」と言ったが、 師範代らしき男は「それは松原と戦ってからにしてください」と言った。
「そういうことでしたら、仕方ありませんね」と風車は言い、道場内に入ると、本差を脇に置き、木刀を持って、松原という相手と相対した。
 少し離れて礼をし、近付いて木刀の切っ先を合わせると、「始めい」のかけ声がかかった。
 指名されただけあって、松原はなかなかの剣士だった。隙がなかった。それ以上に、風車も隙がなかった。僕とやったときとはまるで違っていた。本番ともなると、こうも違うものかと感心させられた。これなら、風車にも勝機があると思えた。実際に、風車は真剣そのものだった。相手の隙をつぶさに伺っていた。そして、チャンスが来た。相手が少し動いたのだ。そこに戦略はなかった。相手は、ただ、動いてしまったのだ。その瞬間に、風車の小手が決まった。相手は木刀を落とした。風車が勝った。
「これで道場主とやらせてもらえますね」と風車が言い終わらないうちに、五人に周りを囲まれた。
「どういうことです」
「無法をしているのは、そちらではないか。こちらはそれに対処するのみ」と言って、一斉に打ち掛かってきた。
 前の二人の木刀ははじき返せたが、後ろからの一人の木刀が背中を強く叩いた。それで前のめりになったところを、 前にいた師範代らしき男に強く胸を突かれた。その時に肋骨にひびが入った。
 風車は木刀を取り落とした。拾おうとしたが、一人がその木刀を足で遠くに蹴った。風車は、何も持たないまま五人、いや、小手を打たれた松原も入って六人に滅多打ちにされた。それでも歯を食いしばって立っていたが、ついに膝が崩れた。足を掬われ、床に倒れたところを、なおも六人は叩き続けた。
 一人が「こいつ泣いてますぜ」と言った。
「そうか、どれ」と風車の顔を見る奴もいた。
 風車はどれだけ悔しかったことだろう。
 それでもずだずたになるまで叩き続けられた。彼らは致命傷にならない程度に痛めつける方法をよく知っていた。その上で木刀で叩き続けたのだった。
 最後は、玄関から蹴り落とされた。
 そして、門にまで放り出されて、そのままにするかと思いきや、「誰か戸板を持ってこい」と師範代らしき男が言った。
 そして、門弟に「こいつの家まで運んでやれ。途中で倒れられても困るし、どこの誰かということをわかっておいた方が後々のためにもなるからな」と言った。
 四人の門弟が選ばれて、石原の鏡邸まで運ばれて来たのだった。意識を半ば失っていた風車は家に戻ることしか考えになかったのだった。
 家に着くと門の前に放り捨てられた。門弟の一人は表札を見ていったことだろう。
 そこまでが、風車の意識にあったことのすべてだった。これらのことが一瞬で頭に入ってきた。
 僕は怒りに震えた。
「主様のお怒りはわかります。そして、どうしようとしているかも」とあやめは言った。
「今日のところは、わたしの役目はこれで終わりですね」と言うと消えた。

 僕は離れに行って、時を動かした。桶の水を取り替えに行っていたきくがやってきて、「ここにいらしたんですか」と言った。
「ああ、どうにもいたたまれなくてね」と僕は言った。
「ひどいことをするもんですね」ときくは言った。
「そうだな」
 さっきの映像が生々しく蘇ってきた。眠れそうになかったが、英気を養っておく必要があった。
「もう、眠ることにするよ」と言って、離れから出た。
 ぼんやりとした月が浮かんでいた。

 よく眠れぬまま、朝が来た。
 布団の中にいたまま、すぐには起きなかった。目覚めたききょうが、これ幸いとばかりに僕のほっぺたを突っつこうとした。そのままにしておけば良かったが、その手を握ってしまった。ききょうは驚いた。どうしていいか分からず、泣き出した。
 きくが来た。その時は、僕はききょうをあやしていた。
「起きてらしたんですか」
「今、起きたところだ」
「そうですか」
「風車殿はどうだ」
「相変わらずですが、今は眠っています」
「そうか、一晩中、済まなかった。朝餉はいいから、眠るといい」
「ありがとうございます。でも、食べないと」
 僕は少し考えてから、「そうだな、朝餉だけ食べていこう」と言った。
「どこかに行くんですか」
「ああ。用事ができた」
「風車様の敵を討ちに行くんではないでしょうね」
 きくは鋭かった。
「そうだったら」
「お止めください」
「大丈夫だよ」
「でも、心配です。あなたまでが風車殿のようになったらと思うと……」
「そんなことにはならないよ。それよりも、ご飯を炊いてくれ」と言った。
「わかりました」
 きくは僕が言い出したことは、きかないことをよく知っていた。それならば、腹を空かせて、出かけさせたくはなかったのだ。

 僕は顔を洗った後、奥座敷に行き、床の間から、定国を手にした。そして鞘から抜いた。
 定国を手にしながら、「残念ながら、お前の出番は今日はないがな」と言った。
 その時、定国が唸った。
「どうしたんだ」と言った。
 敵が来たわけではなかった。
 定国は、またしても唸った。唸るだけでなく、その光が刀から手に伸びて来た。
「お前、私に移れるのか」
 定国は唸った。
「そうなのか。だとすれば」
 僕は鞘を持った。
「ここに移れるか」と言った。
 定国の光が鞘に移動した。鞘が光った。
「戻れ」と念ずると、鞘から光が躰に移った。そして、定国を持つとその光は定国に戻っていった。
「定国、今日はお前の力を借りることにしよう」と言った。
 どうしてこんなことができるようになったのかは、分からなかった。