小説「僕が、剣道ですか? 6」

十七
 昼餉が済むと、明らかに風車はそわそわしていた。
「どうしたのかしら、風車殿はあまり食べませんでしたね」ときくが言った。いつもなら、大盛りのご飯をお代わりするのに、今日は普通に盛ってもらうように言い、お代わりをすることはなかった。
 吉原のことで胸がいっぱいなのだろう。そそくさと離れに行った。
「気もそぞろとはああいうことを言うのだな」と僕が呟くと、きくが「何のことですか」と訊くので、「いや、独り言だ」と答えた。
 風車が江戸に行きたいと言っていた理由の一つは、吉原に行くことだったのではないか、と思えてきた。でも、僕にはどうでも良いことだった。

 風車は風呂を早く焚きつけた。風呂に入って、吉原に行こうと思っているのだ。
 風呂が沸き上がると、「先に入ってもいいですか」と訊くので「どうぞ」と答えた。
 風車の風呂はいつもより長かった。出て来た時には、肌はつやつやとしていた。
 普段は三十歳よりも老けて見えるが、肌の張りを見ると、二十代だということが改めて感じられた。
 おやつの時間になったので、きくが饅頭を風車に勧めると、「いや、拙者は結構です」と言った。
 浴衣から、余所行きに着替えた風車はそれなりに見えた。
「お金はいくら持っていくんですか」と訊くと、風車は懐から財布を出して、「ここに十両入っています」と言った。
「そんなにかかるんですか」
「場合によるそうですが、結構かかるようですよ」と風車は言った。どこかから聞いてきた情報によるものだろう。吉原はピンからキリまであるから、金は使い方次第だった。十両もあれば、それなりに遊んで来られるだろうと思った。
「すられないように気をつけてくださいね」と言うと、「それは大丈夫です」と風車は言った。
「では」と言って、家から出て行った。
「風車様はどこかに行かれるのですか」ときくが訊いたが、まさか吉原に行くとは言えなかった。
「さぁ、どこだろう。でも、今夜は帰ってこないと思うよ」と言った。
「まぁ、じゃあ、どこかに泊まられるんですか」ときくが訊くから「そうだと思う」とだけ答えた。それにしても、きくは鈍感だなと思った。

 僕も風呂に入って、夕餉になり、風車がいないと急に寂しい食卓になった。風車がいるときは、騒々しいと思っていたが、そうではなかったのだ。
 親子三人の静かな夕餉をおくった。
 夕餉の後は、ききょうと遊んだ。ききょうを抱き上げると結構、重かった。このききょうをおぶっていたきくは、さぞや大変だったろう、と思った。きくも現代なら中学三年になったばかりの躰なのだ。それも江戸時代のことだから、大して大きな躰ではなかった。現代なら、小学六年生でもきくより大きな子は沢山いるだろう。
 それに比して、ききょうの成長は早かった。おそらく、今のきくの年になるより何年か早く、きくの背を追い越すだろう。
 ききょうは、はいはいをして追われるのが好きだった。僕が後ろから追っていくと、一生懸命に逃げる。それが意外に早いのだ。ききょうを捕まえると、抱きかかえて、畳を転がる。その間に僕の手をすり抜けて、また、はいはいをする。その繰り返しだった。
 きくが夕餉の洗い物を終えると、ききょうを迎えに来た。風呂に入るためだった。
 きくは風呂に入りながら、洗濯もする。洗いきれない物は翌朝、洗う。ききょうの汚れたおむつは風呂に入っているときに洗い、夜、掛け竿に干しておく。普段着が汚れたときもそうだった。

 きくが風呂に入っている時、僕はすることがなかった。いつもなら、風車がいて、碁でもしているところだろうが。今、風車はどうしているだろうか。気になったが、考えてもしようがなかった。

 夜になった。
 きくはききょうを寝かせると眠った。
 僕は、時を止めて、奥座敷に行くと、女がいた。
「今日は、風車様はどうされたのですか」と訊かれた。
「分かるのか」
「この家のことなら、わかります」
「風車は今夜は吉原で遊んでいるか、遊女と眠っている頃だろう」と言った。
「吉原に行かれたのですか」と女は訊いた。僕に訊いたものだと思った。
「私は行っていない」とすぐに答えた。
「それはわかっています」と女は言った。
「そうか」
 それから、女と交わり、ほどなく、寝室に戻った。

 朝が来た。昨日と同じように、ききょうに起こされた。ききょうは、その小さな手を僕の頬に置いていた。何が面白いのか、笑っていた。
「おはよう」とききょうに言った。言葉は通じなくても、そのうち分かるだろう。
 ききょうを抱っこして、居間に行くと、きくが朝餉の準備をしていた。
「おはよう」と言うと「おはようございます」と返ってきた。
 やはり、風車は昨日は吉原に泊まってきたのだ。分かっていたが、風車の席が空いているのが、寂しかった。
 きくは出汁の取り方も上手くなっていた。豆腐とネギの味噌汁だったが、昆布の出汁が効いていた。
「美味しい」と言うと、きくは「そうですか」と嬉しそうに応えた。
「今度は、鰹で出汁を取ってみてくれないか」と言った。僕は鰹出汁の方が好きだったのだ。
 きくは、棚から鰹節と小箱を出してきて、「これで鰹節を削るようなんですが、どうすれば良いのかわかりません」と言った。
「そんなことか。後で教えてやる」と僕は言った。乾物屋で鰹節とそれを削る道具を買ったものの、その使い方まで教わらなかったのだろう。乾物屋もきくが鰹節の削り方を知らないとは思わなかったのに違いない。
 出汁を取った昆布は、佃煮にしていた。

 朝餉が済むとすることがなかった。風車の不在は大きかった。
 結局、ききょうと遊ぶしかなかった。その方がきくには良かったのだろう。洗い物が進んだからだった。

 午前中は退屈だった。
 昼餉にも風車は返ってこなかった。
 しかたなく、ききょうと遊んだ。ききょうは喜んだ。
 そのうちに門を叩く音がし、僕の名字を呼んだので、出て行き、横の戸口を開くと小僧が、表書きに「鏡京介殿」と書かれた風車の文字の手紙を差し出した。小僧を待たせて、巾着を持ってくると、駄賃を与えて、手紙を受け取った。
 戸を閉めて、手紙を広げると、次のようなことが書かれていた。
『鏡京介殿へ
 突然の手紙に驚きのことと思います。
 面目次第もありません。財布をすられて、中身を猫小判に入れ替えられました。
 遊郭を出ようと支払を済ませようとした時に、猫が描かれた小判が出て来たのです。仕方なく、いまだ遊郭を出られずにいます。つきましては、支払をするべく金子がいります。後でお返ししますので、取りあえず五両、お貸しください。
 遊郭はわたしの故郷を思い出して、高木屋という所に入りました。今、そこにいます。
 よろしくお願いします。
 風車大五郎』
 僕は手紙を読んで、笑ってしまった。風車が支払をしようとして、猫小判を出した時が目の前に浮かんでくるようだった。さぞや、驚いたことだろう。
 僕はおやつの用意をしようとしていたきくに「おやつはいらない。浅草に行ってくる」と言った。
「これから、浅草にですか」ときくは訊いた。
「そうだ」と答えた。
 心配そうにしているきくに、「すぐ帰って来る」と言った。風車に誘われて、吉原に行くとでも思ったのだろう。
「本当に帰っていらっしゃるんですね」
「ああ」
 僕は着替えると、巾着を懐に入れて、家を出た。きくが戸締まりをした。