小説「僕が、剣道ですか? 1」

二十一ー3

 子どもは六歳になる男の子だった。僕はたえが渡してくれた手ぬぐいで躰を拭き、着物を着た。そして、川の側の石の上に座った。さすがに疲れていた。
 子どもの母親は意外に若かった。十六の時に子どもを産んだと言うから、まだ二十二歳だった。
「お名前をお聞かせください」と言われたが、僕は応える元気を失っていた。代わりにたえが「鏡京介様です」と答えた。
「お住まいはどちらですか」
「家老家の島田様の屋敷です」と、これもたえが答えた。
「ありがとうございました。わたくしは高木なみと申します。この子は勇太と言います。また、御礼に伺います」と言って、子どもをおぶって帰って行った。

 堤道場に戻ったのは、夕刻近かった。
 帰る道すがら、たえは「あなた様はお強い人ですね」と言った。
「剣のことを言っているのですか」
「いいえ」
「では何を」
「川に飛び込む時、怖くはありませんでしたか」
「そうだなぁ、本当のことを言おう」
「ええ」
「飛び込む時は怖くはなかったが、飛び込んだら怖くなった」
 たえは笑った。
「また、ご冗談を」
「冗談じゃないよ。本当に怖かったんだ。そして……」
「そして……」
「子どもを川から助け上げた時が一番怖かった。もう助からないんじゃないかと思って」
「あなた様は必死でしたものね」
「ああ」
「あんなご処置の仕方、初めて見ましたわ。でも、正しいご処置でした」
「一度、訓練でやったことがあるんですよ」
「まあ、そんな訓練があるんですの」
「あっ、いや、ここでの話ではありませんが」
「でも凄かったですわ。あなた様は強いだけでなくお優しいお方ですね」
「そうまともに言われると照れるなぁ」
「まぁ」と言いながら、たえは僕の肩をぽんと叩いた。
「お屋敷では、お世話をしている女の方がいらっしゃるんでしょう」と訊いた。
「きくのことですか」
「おきくさんと言うのですか」
「ええ、私の世話係をしています」
「そうですか。いつかお会いしたいものですわ」
「はぁ」と溜息をつきながら、何故だろう、と思った。

 家老の屋敷に戻ったのは、すっかり暗くなった頃だった。
 風呂に入った時、きくに「この髪は誰に結ってもらったんですか」と訊かれた。そしてすぐに「女の人でしょう」と言われた。
 僕は何も言わなかった。
「こんな結い方をするのは、女の人に決まっているでしょう」
 きくは紐を解き、結い直した。
 夕餉の後、座敷に戻ってもきくは怒っていた。
「おたえさんって言うんですね、その人は」
「ああ」
「で、今日もその堤道場に行ったんですね」
「ああ」
「そのおたえさんは何歳ぐらいなんですか」
「十七」
「十七ですか」
「そう」
 それからきくは口を利かなくなった。
 布団に入って、手を掴もうとしたが払われた。