小説「僕が、剣道ですか? 1」

二十一-2

 町中を歩いていると、僕とたえは目立った。
 僕は百七十八センチでこの時代では背のかなり高い方で、たえも百六十センチを少し超えているぐらいで、モデルのような体形をしている上に、この時代の背の高い男性と変わらない高さだったからだ。そんな二人が歩いていれば、通り過ぎて振り返らない者はいなかった。
 いろいろな店を覗いては、あれこれと話をした。たえは、このような形で町に出るのは、子どもの時以来だと言う。だから、子どもが喜びそうな遊び道具でも、目を輝かせて見ていた。
 そのうちに昼頃になり、小腹も空いてきたので、ぼくは食事処を探したが、たえと入れそうな店は蕎麦屋しか思いつかなかった。しかし、蕎麦でもないだろうと思っていたところに、団子屋が目に入った。
「団子でも食べませんか」とたえに言うと「はい」と答えたので、店先の席に座った。
 女将が、お品書きを持ってきたので、串団子のあんことごま団子を二皿頼んだ。
「こんなにゆっくりしたのは、いつぶりかしら」とたえが言った。
 僕はたえが、亡くなった母親の看病と父親の世話で、ほとんど毎日が過ぎていったであろうことを思った。
「殿方と出歩くのは、初めてですのよ」とも言った。
「そうなんですか。それなら、よく、お父上がお許しになったものだ」
「それは鏡様とですもの。これほど頼りになる方はいらっしゃらないでしょう。父もそう思ったのだと思います」
 団子を食べ終わると、また通りを歩いた。頭一つ出ているので、周りの者の頭がよく見える。女はかんざしをしている者が多かったが、たえはしていなかった。
 かんざしを買う余裕もなかったのだろう。
 僕は周りを見廻して、かんざしを売っている店を見つけた。
 たえの手を引いて、その店に入った。
「この娘に合うかんざしを選んでくれ」と店員に言った。
 たえは驚いて「わたし、かんざしなんて」と言ったが、「私に任せて」と応えた。
 店員は何種類かのかんざしを出してきた。
 あまり派手なのは、たえの良さをかえって奪ってしまう。僕は赤い球の付いたかんざしを選んで、たえに挿してみた。似合っていた。
「これをもらおう」
 店員はかんざしを抜いて包もうとしたので、「このままでいい」と言って代金を払った。
 店を出ると、「ありがとうございます」と言って、たえは頭を下げた。
「髪を結ってくれたし、こうして案内してくれた御礼だよ」と僕は言った。
 そのうちに川に出た。橋を渡ろうとしたら、「子どもが川に落ちたぞ」と言う声が川上から聞こえてきた。続いて「あそこを流されている」とこちらの方に声が飛んできた。
 僕は走って、橋の川上の方を見た。もう橋のすぐ近くまで子どもは流されてきていた。僕は橋の川下の方に走りながら、着物を脱いだ。それを丸めて、後からやってきたたえに渡すと、橋の上から川に飛び込んだ。
「誰か川に飛び込んだぞ」と言う声が後ろから、聞こえてきた。
 川は意外に深かった。もう少し浅ければ、川底を蹴って、子どもに近寄れるのにと思ったが、泳いで行くしかなかった。川の流れは速かったが、僕にしてはそれほど速くは感じなかった。ただ、子どもを掴むのが大変だった。着物の襟首を掴もうとしたが、そのまま脱げてしまいそうだった。しかたなく、脇の下に手を入れたが、子どもは必死になって暴れた。仕方なく、当て身を食らわせて気絶させ、何とか岸に泳ぎ着こうとしたが、子どもを抱えての川での水泳はそう容易くはなかった。気が焦るばかりで、岸はなかなかに遠かった。そのうち、自分も水を飲んでしまった。陸で刀を振り回しているのとは違い、時間がスローに感じるだけに、余計に水に浸かっている時間が長く感じた。そして、足が川底に着かない恐怖が襲いかかってきた。左手に抱えている子どもも重かった。両手が使えたら、難なく泳げる距離が遠くに見えた。
 一度沈んだ。駄目かと思った。すると、川底に足が届いた。思い切り蹴った。躰の半分ぐらい宙に出た。そして、また水に沈んだ。また蹴った。今度は藻に足を掬われた。上手く蹴れなかったが、それでも少し進んだ。そして一かきしたら、完全に川底に足が着き、立ち上がれていた。子どもを抱き上げ、岸まで歩いた。
 倒れ込みそうになったが、まだそうはいかなかった。子どもの胸に耳を当てると音が聞こえなかった。心停止状態だった。すぐに胸骨圧迫を三十回行い、その後で鼻をつまんで人工呼吸を二回一組として、これを何度も繰り返した。これは防災訓練の時に、人形を使ってやった経験に基づいてのことだった。
 永遠とも思える時間だった。何度、繰り返しても心臓の音は聞こえなかった。それでも、止めることはできなかった。蘇生するまで、繰り返すことが大切なんです、という訓練を行ってくれた人の声が聞こえてきそうだった。
 子どもの母親が、そしてたえが僕の着物と草履を持って、駆け寄ってくるのが分かった。もう駄目だと思って胸骨圧迫をした時、子どもは水を吐いた。僕はすぐに人工呼吸をした。
 子どもの心臓が再び動き出したのが分かった。僕はしばらく人工呼吸を続けた後、倒れ込んだ。たえが駆け寄ってきた。濡れた躰を抱き締めてくれた。温かかった。