小説「真理の微笑 真理子編」

三十八-1
 通りがかりの電気量販店で、富岡が注文した品を病室まで届けてくれるように頼むと、途中のピザ店で食事をとった。
 明日、シャワーを浴びると言っていた富岡の言葉を思い出した真理子は、コンビニに入って、バスタオルとフェイスタオルに肌着をそれぞれ二つずつ買った。
 家に帰り着くと、午後八時近かったが、家のバリアフリーの件について、家を建てた時の施工会社に電話をした。社長を呼んでもらい、事情を説明したら、快く引き受けてくれた。
 その後で、真理子はシャワーを浴びてベッドに横たわった。
 今日来た刑事のことが、いや、彼らが言ったことが頭の中を飛び交っていた。
『二ヶ月ほど前に高瀬夏美さんからご主人の捜索願が出されていましてね』
『高瀬隆一さんの乗用車が茅野の駐車場から見つかったんですよ』
『茅野と言えば、富岡さん、あなたの別荘がある蓼科に行く通り道ですよね』
『元の従業員の人にも話を聞いたんですよ。中島さんと岡崎さんだったかな。二人の話では、この春頃に画期的なワープロソフトを発売する予定だったということらしいんですね。何でもワープロソフトなんだけれども、表計算ソフトみたいなことができるとかなんとか』
『それって、トミーワープロとそっくりだったと言うではないですか』
『関係があるかも知れないから、お尋ねしてるんです』
 真理子は両耳を押さえた。しかし、刑事達の言った言葉は消えなかった。
 特に、『二ヶ月ほど前に高瀬夏美さんからご主人の捜索願が出されていましてね』のところは何度も聞こえてきた。
 二ヶ月ほど前と言えば、富岡が自動車事故を起こした頃ではないか。そして高瀬夏美という言葉だった。いつか病室で、富岡が寝言で叫んでいた夏美という名前と同じ名前を、今日聞いたのだ。しかも、高瀬隆一という人の乗用車が茅野の駐車場から見つかったと言う。刑事達はトミーワープロと言っていたが、今発売中のTS-Wordが、その高瀬隆一という人の元で開発、発売予定されていたものにそっくりだったっていうこともショックだった。
 今まで別荘で感じた違和感や今日刑事達から聞いた話を総合すると、何か見えてきそうな気がした。
 しかし、それを知ることが何故か恐ろしかった。真理子は考えることを止めた。
 そのうち、どうせわかることだわ、と思った。
 そう思うと気が楽になった。気が楽になると、眠気が襲ってきた。

 真理子は午前八時半頃、病室を訪れた。
 昨日、コンビニで買ったバスタオルとフェイスタオルに肌着をクローゼットの中にしまった。
「昨日、松本電気に行ってきたわよ。あなたが欲しいって言っているもののメモを見せたら、来週明けには全部ここに届けてくれるそうよ」
「ありがとう」と富岡は言うと、キスをしてきた。真理子は応じたが、昨夜の疑問が頭から抜けていたわけではなかった。ただ、これだけキスを重ねていると、違和感も薄らいできていた。
「家のバリアフリーの件だけれど」
「うん」
「家を建てた時の施工会社に頼んだわ」
「そうか。いろいろと大変だね」
「そうね」
「でも、今の真理子は生き生きとして見える」
「何、言ってるの。あなたがこんなふうだからじゃないの」
 真理子は富岡の膝あたりを軽く叩いた。
「いて」と富岡は明らかにふざけた調子で言った。
 しかし、真理子は「あっ、ごめんなさい」と毛布の上から、膝をさすった。すると、手にプラスチックカバーが触れた。
「この上からでも痛むの」
 不思議に思った真理子は、富岡の顔を覗き込んだ。富岡は「少し」とだけ答えた。
「あなたが入院して、このところ、わたし、すっかり会社出勤するようになったわね」
「ほんとだね」
「家で家事をしているより、向いているのかも知れない」と真理子が言うと、「きっと、そうなんだよ」と富岡も言った。
「これから、会社に行くけれど、何か、伝えておくことある?」
「いや、特にない」
「会社移転の方は、あなたが希望した所で進めていいのよね」
「そうしてくれ」
「じゃあ、行くわね」
 真理子は軽く手を振って病室を出た。