小説「真理の微笑」

四十五
 パソコンを立ち上げると、パソコン通信ソフトのメールボックスを自然に開いていた。
『隆一様
 今日は、あなたが好きだったチキンカレーにしました。祐一と二人で食べました。祐一はお代わりをしました。
 あなたがいないのが寂しくてたまりません。会いたいです。  夏美』
『隆一様
 今日は、あなたの誕生日ですね。ちゃっんとケーキ買ってきましたよ。いちごのショートケーキです。角のケーキ屋さん、覚えているでしょう、そこで買ってきました。あなたの分もあります。祐一が欲しそうにしていましたが、今日は駄目です。明日、祐一のおやつになるでしょう。
 あなたとケーキが食べたい。わたし、無理なお願い、言っている。
 こうして、パソコンを通してメールを交わせているのに、どうして会えないのか、わからないの。教えてください……。  夏美』
『隆一様
 わたし、考えたの、居場所を教えられない理由を。女の人ができたんじゃないの。きっと、綺麗な人なんでしょう。その人に夢中なのよね。でもね、それでもいいから、わたしの事も忘れないでね。きっとよ。   夏美』
『隆一様
 あなたは否定するけれど、女の人が原因じゃなかったら、どうしてわたしたちを見捨てる事ができるの。わたしはあなたに会いたくてたまらないの。どうして会えないの。そのわけを教えて。お願いします。教えてください。  夏美』
『隆一様
 あなたが「女が原因じゃない」と書いてくれた言葉を、わたしは信じます。
 公園に行っても祐一と二人ぼっちです。かつてのわたしのように他の母親たちは、小さな子どもを遊ばせて、楽しそうに話をしています。でも、今のわたしにはそういう事はできません。第一、あなたの事を訊かれても答える事ができないし。ただ、まだ友だちもできなくて、鉄棒に一人ぶら下がっている祐一を見ると、不憫になるのです。
 でもね、今日、公園に行ったら祐一が「ぼく、足かけ上がりができるんだよ」と言って見せてくれました。
 鉄棒に逆さにぶら下がり、鉄棒に片足をかけるんです。そして、上半身を伸ばしながら躰を揺らし始めたの。それを何度か繰り返したら、くるっと回って、鉄棒の上に起き上がったんです。わたしの方を見て、笑ったのですが、見ていて落ちやしないかとヒヤヒヤしました。隆一さん、あなたにも見せたかった……。
 だから、教えてください。あなたは今、どこで何をしているのか。  夏美』
『隆一様
 あなたの居場所を教えてくれないのには、きっと理由があるのでしょう。会えないのにも、理由があるのに違いありません。こうして何度訊いてもあなたは答えてくれない。
 きっとあなたには、わたしがあなたを責めているように思えるのでしょうね。
 そんな事はありません。
 こうして、誰も知らないパソコンを使ってのメールがわたしとあなたとの生命線になっています。これを誰にも教えるなというあなたの言葉は、わたし、死んでも守ります。
 あなたが書いてくれた「誰も知らなければ一緒にこれからも歩いていける」という言葉にわたしはすがります。  夏美』
『隆一様
 昨夜は、急にあなたが恋しくなって眠れませんでした。だから、祐一の小さな手を握りました。すぐに嫌そうに離しましたが。
 川の字になって眠っていた時に、祐一をまたぐかのように手を繋ぎましたね。そしたら、しばらくして、あなたはわたしの方に来た。わたしは嬉しかった。
 今となっては二人目の子どもが欲しかったと思っても仕方がありませんよね。もはや、かなわない事ですから……。
 隆一さん、わたしの苦しみを救ってください。
 隆一さん、わたし、あなたの夢をよく見るの。夢の中のあなたはとても優しい。そして、わたしの大好きなキスをしてくれるのです。
 隆一さん、わたしはもう二度とあなたとキスをする事ができないのでしょうか。
 隆一さん、わたしはあなたの唇を忘れる事ができません。       夏美』
 私は、パソコンをサイドテーブルに戻した。頬を伝う涙を止める事ができなかった。
 最後の「隆一さん、わたしはあなたの唇を忘れる事ができません」と書かれた言葉が、何度も頭にリフレインしていた。