二十一
僕たちはこれで、鹿爪藩ではお尋ね者になってしまった。
今日はまだ手配書が回っていないだろうから、先を急いで、なるべく遠くの宿場まで行くことにした。
早く、鹿爪藩を抜け出さなければいけなかった。
昼餉もとらずに歩き通して、口留番所まで後五里のところまで来て、日が落ちた。
近くの宿場で宿を取った。
ここが鹿爪藩での最後の宿となる。明日は口留番所を通過しなければならない。
なるべく多く食べて、休養を充分に取らなければならなかった。
風呂に入り、洗う物を洗ったら、窓の外の掛け竿に干した。
夕餉はなるべく多く食べ、明日の栄養をつけることに気を配った。
夜は早く寝た。充分、睡眠を取った。
翌朝は、髭を剃り顔を洗うと、朝餉をとった。ここでも多く食べた。
そして宿を出た。
三里ほど歩いて、昼にした。鰻の丼を食べた。ききょうにはミルクを飲ませた。
そして二里歩き、口留番所が見える所まで来た。
そこで僕は風呂敷包みを開け、着物を脱ぎ、長袖シャツを着、ジーパンを穿き、安全靴を履いた。もう格好を気にする必要は無かった。どうせ、時間を止めて通るだけだった。
他の物はショルダーバッグやナップサックにしまった。
まずききょうを抱っこ紐でおんぶして、ショルダーバッグを持った。そして、大小のナップサックを持ち立ち上がると、時間を止めた。
急いで口留番所まで行き、門を通過すると、時間を動かし、ききょうを安全な木の陰に隠して、荷物を置いた。それから、戻ると時間を止めて、口留番所の門を通り、きくの所まで行って時間を動かした。
すでに躰は限界を超えていたが、これが最後だと思い、きくをおんぶすると、時間を止めた。口留番所の門までが長かった。何とか、通過してききょうの所まで行こうとしたが、足が動かなくなった。それでも足を引きずるようにして、口留番所の役人の目の届かない所まで来ると自然に時間は動き出した。限界を超えたのだった。
ききょうの所まで来ると、僕は倒れ込んだ。そしてそのまま眠った。
一時間ほど眠っていたらしい。きくに起こされた。
次の宿まで行かなければならなかった。しかし、今の格好では歩けない。
僕は長袖シャツとジーパンと安全靴を脱ぐと着物に着替えた。そして草履を履いた。
長袖シャツなどは風呂敷に包んだ。
立ち上がったが、ふらついていた。それでもなんとか歩いて、宿場まで来た。
個室を頼んだ。一泊二食付きで四百文だった。それでいいと言って、部屋に案内してもらった。僕は枕を出すとすぐに眠った。
夕餉は何とか起きて食べたが、風呂に入る元気はなかった。着物から浴衣に着替えると、布団を敷いて眠った。
翌朝、起きると髭を剃り顔を洗った。
朝餉は沢山食べた。ききょうにも味噌汁を掛けたご飯を少し潰して食べさせた。
宿を出る時、「ここは何藩ですか」と尋ねると、女中が「高木藩だよ」と笑いながら答えた。
「すると、次の藩は白鶴藩ですね」と訊くと「そうに決まっているがな」と言った。
とうとう白鶴藩までもう一歩のところまで来たのだ、と思うと元気が湧いた。
次の宿場までは三里ほどあった。
昼に着いたので、もり蕎麦を食べることにした。きくは庖厨を借りて、ききょうのミルクを作った。
街道を歩いて行くと、人だかりができている。何かと思って見ると、侍と女とその子どもがやり合っている。
「どうしたのだ」と近くの者に訊くと、「何でも敵討ちらしいですぜ」と言う答えが返ってきた。
どう見ても、侍の方に分があった。女とその子では太刀打ち出来まい、と思っていると、傍から「ちょっと待ちねぃ」と言う声がかかった。浪人者だった。
その浪人者は「おいら、助太刀してもいいが、いくら貰える」と女に訊いた。
「助太刀してくださるのですか」
「そうともさ。で、いくらだ」
「一両出しましょう」
「一両か、一両で命を張るのは少なすぎやしませんか」
「では、二両出しましょう。当方には、それしか持ち合わせがありませぬ」と言った。
「二両か。いいでしょう。二両で助太刀しましょう」
「それでは、お願い致します」と女が言った。
「ということで、そこのお侍さん、あんたには何の恨みもないが、助太刀をすることになった。恨みっこなしだぜ」と浪人者は言った。
「ふん、返り討ちにするまでだ」と侍は言った。
浪人者は刀を抜いた。女とその子どもは浪人者の後ろに付いた。
侍が切り込むのと同時に浪人者が腹を突くのが見えた。侍は倒れていった。
「とどめを」と浪人者が言った。
女とその子どもは、刀で侍の胸を突いた。
「お見事」と浪人者は言った。
「約束の二両、戴きますぜ」と浪人者が言うと、女は懐から巾着を出し、二両、浪人者に渡した。
「じゃあ、あっしはこれで失礼します」と言って浪人者は立ち去った。
そのうち、奉行所の者がやってきた。
女は「ここに仇討ちの赦免状がございます」と言って、役人に渡した。役人はそれを受け取ると、中に書いてあることを読んだ。
「確かに、仇討ちの赦免状である。奉行所にてこの者が敵であったかどうかを吟味するので、同行してもらいたい」と言った。
「よろしゅうございます」と女は言った。
女と子どもは役人に連れられて、奉行所に向かった。
「凄かったですね」ときくは言った。
僕は「仇討ちなんて初めて生で見た。テレビでしか見たことがない」と言った。
「テレビですか。テレビって、あの箱の中に人が入っている物のことですよね」ときくは言った。
「そうか、きくはテレビをよくは知らなかったんだよな」と僕は言った。
「いいえ、きくは知っていますよ。見ましたから」と言った。
「分かった、分かった。テレビの話はこれくらいにしておこう。それにしても、生の仇討ちは凄かった」と言った。
少し歩いて行くと、先程の浪人者が、ひょうたんに入った酒を飲んでいた。
早速、二両で酒を買ったのだろう。
横を通り過ぎる時、その浪人者は刀を抜き、そして鞘に収めた。凄まじい速さだった。
僕が定国を抜いていなければ、切られたところだった。
ただの浪人者ではなかった。何者なのだろう。
音がしたので、きくも気付いたのだろう。
「今、刀を抜いたのですね」
「ああ」
「あの浪人者が先に抜いたのですね」
「そうだ」
「何者でしょう」ときくが言うので、「何者かは分からぬが、注意した方が良さそうだ」と僕は言った。