小説「僕が、剣道ですか?」

二十三
 朝餉の後は、家老はすぐに城に戻っていった。
 僕は島田源太郎に、きくを連れて町に出てもいいか、尋ねた。
「昨日の父の話を気にしているのか」と訊かれた。
「そういう訳ではありません」と答えたが、家老の嫡男だけあって、なかなか鋭いなと思った。それで「お寺参りに行こうかと思いまして」と言い換えた。
「そうか」
「御当家の菩提寺はどこですか」
「龍音寺だ」
「きくなら、知っていますか」
「知っている」
「では、連れて行ってもいいですか」
「好きにすればいい。そなたの世話係なのだから、どこに連れて行こうが勝手だ。一々、訊かなくても良い」
「分かりました。ありがとうございます」

 座敷に戻る前に道場に寄った。
 打ち込みの練習をしていた。こればかりをしていてはつまらないだろうと思い、相川を呼んで、午後は対戦形式で打ち込みをさせろと言った。相手の木刀を狙うのであって、相手の躰を狙ってはいけないと申しつけた。
「鏡様はどうされるのですか」
菩提寺に墓参りに行ってくる」

 座敷に戻ると、きくに「出かけるぞ」と言った。
 僕だけが出かけるものと思ったらしく、巾着を取り出した。
「きくも一緒に行くんだよ」と言った。
 きくはしばらく呆然としていたが、すぐに嬉しそうな顔をして「はい」と言って出て行った。
 待っていると着替えてきた。町娘の風情だった。
 屋敷を出ると、町に向かった。大通りを一通り歩くと、龍音寺に向かった。
 島田家の墓参りをすると、もう一度大通りを歩いた。
「さっき歩きましたよ」ときくが言った。
「ああ、そうだ」
「帰るのではないのですか」
「今日は、これで帰るよ」
「今日は、でございますか」
「ああ。明日も来る」
「えっ、明日もですか」
「そうだ」
 きくは嬉しそうにしていた。
「今日は、餌を撒きに来ただけだ」
「餌を撒く?」
「独り言だ。気にするな」

 屋敷に戻ると、きくは上機嫌だった。久しぶりに屋敷を出て外を歩けたからだった。
 風呂に入り、夕餉を済ませると、早めに布団に入った。隣にはきくがいた。
 早めに布団に入ったが、長い夜になった。

 次の日も、お昼前に屋敷を出た。きくも一緒だった。
 通りを歩き、甘味処を見つけたので中に入り、お汁粉を食べた。きくは甘い物が好きだったので喜んだ。
 それから龍音寺に向かった。侍たちが後ろから駆け足で上ってきた。僕は脇に避けた。その中の一人は刀の鞘を僕の鞘に当てようとしたが、それはできなかった。僕が鞘をどけたからだ。
 侍たちは階段を上り、僕たちの前に立ちはだかった。五人いた。
「何用だ」と僕は言った。
「さっき目を合わせたろうに」
「それがどうした」
「気にくわないんだよ」
「目が合ったぐらいで、気にくわないと言われても、困るね」
「それと女といちゃついて」
「イチャイチャなんかしていないさ。こうして墓参りをしようとしている」
「理屈はいい。謝れ」
「何を謝るんだ」
「目が合ったろう」
「目が合ったぐらいで謝れと言うのか。それならお前たちは、そこら中の者に謝らなければならないな」
「ほざくな。俺たちを誰だと思っている」
「目付や側用人たちの馬鹿息子たちだろう」
「何ぃ。貴様は誰だ」
「馬鹿息子たちに名乗る気はない」
「謝った方が賢明だぞ」
 一番、後ろにいた者が言った。
「謝る理由がないのに、謝るのがどう賢明なのだ」と僕は言った。
「わからずやだな。懲らしめないといけないようだな」
「その言葉、そのまま返すよ。ただし、今の人数じゃあ、足りないな。もっと呼んで来いよ。それで釣り合いが取れる」
「ふざけたこと」と言って殴りかかってきた者のすねを蹴って、階段の下に転ばせた。
「こいつ」
 残りの者が刀に手をかけた。
「だから、言っているだろう、全員を呼んで来いと。これじゃあ、話にならない。こっちはこれから墓参りをゆっくりするから、その間に集めてくるんだな」
「その言葉、忘れるなよ」
「忘れやしないさ。何だったら、見張りを付けてくれればいい。逃げも隠れもしないから」
「後でほえづらをかくなよ」
「どっちがかくのかね。さあ、きく行こう」
 きくの袖を掴むと、きくは震えていた。
 きくの腕をとって階段を上がっていった。
 侍たちは二人を残して、残りは仲間を呼びに行った。
 墓の前に来て、きくは「恐ろしゅうございました」と言った。
 そして「あなた様は怖くはないのですか」と訊いた。
「あいつらがか」
 僕は笑った。
「どこが怖い。実戦経験もない、へっぴり腰だったじゃないか。この前、討伐した盗賊の方が数倍強かったよ」
「そうなんですか」
「そうだよ。今の連中を倒すのは容易いが、それでは解決にならない。あいつら全員を集めてやっつけなければね」
「でも、相手はまだ来るんでしょ」
「それを待っているんだ。昨日、通りを往復したよね。その時に、あいつらの誰かと目が合ったんだ。ただ、相手は一人だったから、仲間が集まるのを待って襲ってこようとしたんだな。で、五人集まったんで、襲おうとしたんだろうが、こっちが怖がっていないから、全員集めれば恐れをなすと思ったんだろうよ」
「昨日、餌を撒くと言っていたのはこのことだったんですか」
「そうだ。墓参りは口実だ」
「でも、どうするんですか」
「さあな」
「さあなって」
 墓参りをしてから、見張りの者に「まだ集まらんのか」と訊いた。
「もう少し、待っておれ」
「分かりましたよ。住職に茶でも入れてもらうことにしますよ」
 住職に頼んで茶をご馳走になったところで、相手は集まった。
 境内に二十人いた。
「ほう、悪ガキも随分いるものだな」
「ほざけ。こいつを袋だたきにしろ」と年上の者が言った。
「きく、離れていろ」
 僕はそう言うと刀を抜いて、相手の群れに飛び込んでいった。
 相手は木刀を持っていたが、僕が刀を抜くと相手も刀を抜いた。
 最初に斬りかかってきた者の刀を弾くと柄の部分をみぞおちに強く当てた。その者は蹲った。頭が見えたので、その頭部の髷を切り落とした。
 次に向かってきた者は刀の峰で、刀を落とし、やはり頭を下げたので髷を切り落とした。
 その次の者は足を払い、やはり髷を切り落とした。そうやって、次々と髷を切り落としていった。
「こっちを見ろ」と彼らの一人が叫んだ。
「刀を捨てろ。そうしないとこの女がどうなるか……」と言い終わらぬうちに、その男の腕は刀の峰で骨を折られ、髪を切られた。
「きくに手を出す奴は容赦はしない。腕をへし折り、使い物にならなくしてやるから覚悟しろ」と言った。
 僕はまた彼らの輪の中に入っていった。彼らの剣裁きの遅さと言ったらなかった。これなら道場にいる者たちの方が数段ましだった。
 自分たちからやられに来たようなものだった。彼らの頼みは数だけだった。数人を残すだけになると、腰を抜かしていた。それらの者の髷を容赦なく切り取った。
 全員の髷を切り取ると、「さぁ、まだやるか」と言った。
「わあー」と言って逃げ出そうとしたら、袴も切られていることに気付いた彼らは、両手で袴を持ち上げて逃げていった。
 きくは松の木の陰から出てきた。
 その躰は震えていた。僕は強く抱き締めた。

 風呂に入り、戦いの疲れを癒やした。
 夕餉の席では、島田源太郎が愉快そうな顔をしていた。
「今日は面白い話を聞いたぞ」
「何でしょう」
「龍音寺で何かあったそうだな」
「さあ」と僕が言うと、島田源太郎は「きくを呼べ」と言った。
 きくが夕餉の席に入ってきて、頭を下げた。
「今日あったことを話してくれ」と島田源太郎が言った。
 きくは僕の方を見たので、僕は頷いた。
 きくは今日あった出来事を詳しく、島田源太郎に話して聞かせた。
「二十人もの侍の髷を落としたのか」
「はい」
「そして、袴まで切ったというのか」
「はい」
「相手の命は奪ってはいないのだな」
「はい。でも、腕を折られた者が一人います。わたしを人質にしようとした者です」
「それは自業自得だ」と島田源太郎は笑った。
 そして「先日、父上がお灸をすえたいと言っていたのは、このことだったのか」と僕に向かって言った。
「何のことでしょう」
「とぼけるな、その場にいたくせに。その時はわからないと言っていたのに、ちゃんと灸をすえたんだな」
「それはともかくとして、私は名乗っていないので当家には迷惑はかけないと思うのですが」
「名乗らなくても、鏡殿だということは明日にも知れることだ」
「それでは、当家にご迷惑をかけることになるのではないでしょうか」
「どうかな。だが、二十人も引き連れて、一人に全員髷を切られたとは、どこにも申し立てはできないだろう。自分たちの恥を晒すようなものだからな」
「そういうものでしょうか」
「彼らだって武士だからな」
「彼らはどうするでしょうか」
「当分、外には出歩けないだろうな」
「御家老にご迷惑はかからないのでしょうか」
「多分、承知の上のことだと思う。鏡殿が心配されることではない」
「そうですか」

 座敷に戻ると、きくが抱きついてきた。
「怖かったです」
「怖い思いをさせて済まなかった」
「でも鏡様と一緒なら……」
 その夜のきくは優しく、そして激しかった。