十二
 あの老人の言うように躰を動かすことができなくなったわけではなかったが、動きが緩慢になったのは事実だった。何としても催眠術を解かなくてはならなかった。
 このままでは戦えなかった。
 僕は、とにかく身を隠す場所を探した。
 庖厨に出たので、その戸棚の中に身を潜めた。
「奴は動けなくなっている。探し出せ」と言う声が聞こえてきた。
 近くを走っている者がいると緊張した。
 僕は自分の頭を叩いたり、刀で腕を少し切って見た。痛かった。しかし、それでは催眠術は解けなかった。
 躰を動かしていると、腰にぶら下げたおにぎりに気付いた。食欲はなかったが、きくがせっかく結んでくれたおにぎりだった。最後の晩餐だと思って、袋を開けて、竹の皮に包まれたおにぎりを頬張った。
 おいしかった。涙が出てきた。
 一個を食べるとお腹がいっぱいになった。竹筒から水を飲み、どうするか考えた。
 ここにいつまでも居るわけにはいかなかった。彼らは僕を捜し回っている。どこにもいないとなれば、いずれここに来るだろう。この戸棚の中に入っていれば、彼らの槍の格好の餌食になることだろう。
 僕はおにぎりを一個残して腰にぶら下げ直して、戸棚の戸を開いた。そして、外に出ると、ちょうどそこに僕を探しに来ていた盗賊と出くわした。彼は僕が動けないものと思い込んでいるから、そのまま斬りつけてきた。前のようにスローモーションには見えなかったが、その者をかわすのは難しくなかった。おにぎりを食べたせいか、少し躰が軽くなったような気がした。その者をかわすと、その背中を斬りつけた。その時、血しぶきが目に入った。一瞬目の前が見えなくなった。目を擦って開けると、赤いサングラスをしているように周りが見えた。
 背中を斬りつけた者の後ろに誰かいたのだろう。そいつが「ここに居たぞ」と叫ぶのが聞こえた。僕は、そいつが言い終わる前に彼の元に走り寄り、腹を突き刺していた。
 催眠術が解けていた。これで僕は九人を倒していた。
 もう相手は十人もいないだろう。あと数人は僕が倒すつもりだから、そろそろ寺の門を開けてもいい頃だろうと思った。あれだけの人数がいれば、相手もそう簡単には手出しはできないだろうと思った。
 僕は寺の中に向かって走った。その途中で蝋燭に火を点している老人を見つけた。こいつが催眠術をかけた奴かと思った。その男が躰を翻して、逃げ出そうとする前に、その腹に刀を突き刺していた。
 盗賊の誰かが「幻夢斉殿」と言う声が聞こえた。この男は幻夢斉と言うのかと僕は思った。これで十人。
 門の前には三人がいた。
 腕が立つことはすぐに分かった。刀の構え方に腰が据わっていた。
 相手は、すぐに真ん中、左右と距離をとった。
 一人ならともかく、三人だと簡単に勝てる相手ではなかった。
 三人はすぐには間合いを詰めてこなかった。こちらが一歩進むと、一歩下がった。
 リーチの差を知っているわけではないだろうが、これまで戦ってきた者たちの中には背の高い男もいたはずである。そのような男との戦い方を知っている者の戦い方だった。
 安易に斬りつけていくことができなかった。じりじりと時間が経っていった。
 三人の殺気を僕は一人で受けていた。それだけでも気力が削られていく思いがした。しかし、こんな時は先に動いた方が負けになる。そう思ったので動けずにいた。
 だが、本当にそうだろうかとも思った。相手は何もできないから動けないのではないのか。そうなのかも知れない。試してみる価値はあるように思えた。この三人の中で一番力が劣っていると思われるのは、右端の男だった。彼をターゲットにしようと思った。左に一歩踏み出すフェイントをかけて、右に走った。こちらの間合いに入った。急に向かってきたので、相手も驚いたのだろう。刀は向けられていたが、それに力は込められていなかった。僕は腕を斬り落とすと、すぐに向かってきた真ん中の男に突きを入れた。
 そして、最後に左側の男と相対した。男は僕に勝とうとはしていなかった。せめて、一太刀でも浴びせようとしていたのだ。こういうのが、一番やっかいなのだ。
 道場の稽古と同じだった。切られても、立ち向かってくる。そうすると力の差があっても、一太刀も浴びないで済む確率はぐんと減る。
 相手は切られても向かってくるだろう。ならば、それができないようにするしかなかった。相手に向かって走った。
 相手は刀を向けてきた。それをすれすれのところでかわして、刀を振るった。相手の首を斬り落としたのだった。
 相手は何が起こったのか、分からなかっただろう。膝から崩れ落ちていった。

 僕は寺の門の扉を開けて、外に待っていた討伐隊を呼び寄せた。彼らは待ってましたとばかりに走り寄ってきた。
 僕は一息ついた。十三人も倒したのだ。残っているのは、頭領を入れても数人だろう。ここまで来れば、一人一人の力量よりも人数差がものを言う。
 あとは彼らに任せておけばいいと思った。
 しばらくして「ここに居たぞ」と言う声がした。
 行ってみると、頭領とそれを守る鎖鎌の男の二人が、討伐隊に囲まれていた。
 鎖鎌の男はゆっくりと鎖鎌を回していた。この男が盗賊の中で一番強い奴なのだろう。
 僕は近くにいた者に「刀を」と言った。彼は意味が分からなかったのだろう。
「手にしている刀を貸してくれ」と言い直した。彼は、刀を僕に渡してくれた。
 男は二本の鎖鎌を上手く交錯しないように回していたのだった。一本の刀で一つの鎖鎌を防いでも、もう一つの鎖鎌が背中を襲ってくるのは、目に見えていた。
 僕は刀を両手に持つと、鎖鎌の男に立ち向かっていった。
 間合いは関係なかった。躰のすぐ横を鎖鎌が通り過ぎていった。
 それが何度か続いた。僕は鎖鎌の周期を計算していたのだ。一つの鎖鎌が通り過ぎると、次の鎖鎌が来るまでに半秒ちょっとの差があった。その半秒の差を使うのも一つの手ではあった。が、危険が大きすぎた。僕が選択したのは、刀に鎖鎌を絡ませることだった。
 一方の鎌を刀に絡ませている間に、次の鎌が襲ってくる。それをもう一方の刀に絡ませる。これで相手は武器を失う。
 僕はそのチャンスを待った。相手の鎖鎌の周期が一定してきたところで、最初の刀を右の鎖鎌に絡ませた。しかし、その途端に左の鎖鎌が襲ってきた。それを左の刀に巻き付かせた。そして、相手に向かって走りながら、鎖鎌に巻き付けられた刀を捨てて、脇差を抜いた。それを相手の胸板に深々と突き刺した。
 相手は後ろ向きに倒れていった。
 僕は鎖鎌から刀を抜き取ると、借りていた刀は返して、自分の脇差は陣羽織で拭って鞘に収めた。そして、討伐隊に囲まれている頭領の元に向かった。残りの者は討伐隊が全て斬り捨てていたのだ。
「頭領は私が討つ」と僕は言った。
 頭領を囲んでいた者たちが道を空けた。
 頭領の目は死んではいなかった。負けも認めてはいなかった。不気味な雰囲気が全身を包んでいた。
 僕は危険だと思った。
 相手は刀を向けてきた。しかし、その刀の切っ先は腕の立つ者とは違っていた。
 僕は簡単にその刀を払うと、頭領に迫った。そしてその腹を斬り裂いた。その瞬間だった。
 頭領は霧吹きの要領で針を吹き付けてきた。顔に当たるのは避けられたが、肩に刺さってしまった。油断があった。
 その針を抜いて、勝どきの声を上げようとした。しかし、その時、僕は意識を失っていった。