小説「僕が、剣道ですか? 2」

三十七ー1

 朝食後、藩主に朝のお目通りをした。

「昨日はゆっくりと眠れたかな」

 滝川は僕に向かって言った。

「はい、ゆっくりと休ませてもらいました」

「そうか、それは何より。体調は万全かな」

「ええ、調子はいいです」

「それは良かった。時間まで、ゆるりとしていられよ」

「ははー」

 

 僕らは控えの間に通された。

 立ち合いの衣装が用意された。

 僕は着物を着、袴を穿いて、着物にたすき掛けをした。

 また鉢巻きが用意されたので、それを額に巻いた。

 やがて、時間が来た。

 太鼓が打ち鳴らされた。

 中庭に案内された。

 昨日と同様に、右側の席に、藩主滝川の姿があった。

 前方に氷室隆太郎がいた。

 中央に二人の若侍が木刀を掲げるように持っていた。本差だけでなく、脇差にあたる木刀も用意されていた。

「珍しゅうござるな」と僕が言うと、「拙者の得意とするのは二天一流でね」と氷室隆太郎は言った。二天一流とは、宮本武蔵の得意とする流儀であった。

 僕と氷室は歩み寄って、その木刀を手にした。僕が手にした木刀は少し軽い気がしたが、そのまま僕は脇差を腰に差した。

 そして、少し離れた。

 審判役の侍が、「始めぃ」と声を上げた。

 氷室は今まで出会ってきたどの侍とも違っていた。躰が冷えているとでもいうような感じを僕に与えた。

 なかなか、前に出られなかった。右に本差を持ち、左に脇差を持つ形は、なかなかに威圧感があった。

 じりじりと右回りに移動していた。

 そのうちに、氷室隆太郎と太陽が重なった。

 その時、氷室は打って出てきた。右の木刀が素早く繰り出されると同時に、左の脇差も突き上げてきた。僕は、両方の木刀をほんの一瞬で叩いた。

 が、次の瞬間、右の本差がまたも向かってきた。

 左右交互に打ち叩く行為が続いた。

 なかなかに踏み込めなかった。

 相手も同じだった。

 剣の素早さは同じぐらいだった。あるいは僕の方が速かったかも知れないが、両手に木刀を持っている分だけ、速さをカバーしていた。それに氷室隆太郎の凄さは、両方の腕とも両手で剣を持っているくらいに、力が強いことだった。片手で剣を持っていれば、両手で剣を持つよりも力は半減する。それが氷室隆太郎にはなかったのだ。

 僕は精神を統一して、正眼の構えから木刀を突き出した。

 木刀はスローモーションのように相手に向かっていく。相手は、スローに右手の本差を向けてきた。こちらの木刀の方が一歩速く、相手の胴に達していた、と思った。だが、その瞬間、相手の脇差が胴を守っていた。

 僕は離れた。

「見えているのか」と僕は訊いた。

「見えているとも」と氷室は答えた。

 容易ならざる相手だった。

 動きたくとも動けなかった。

 それは相手も同じだった。

 再び、踏み込んだ。僕の繰り出す木刀を相手は弾き返していった。

 そして、離れた。

 その時、相手の弱点が分かった。脇差の方だった。脇差は短い。リーチ差が活かせる。そして、その長さの違いが木刀の力も弱めていた。

 僕は本差を狙うつもりで向かっていき、氷室の脇差に渾身の力を込めて、打ち下ろした。その瞬間に氷室の脇差が手から離れた。と同時に僕の木刀が折れた。この力加減で木刀が折れるとは変だった。最初に感じた木刀の軽さが原因しているのかも知れなかった。

 氷室は、僕の木刀が折れたのを見ると、すかさず本差の木刀を打ち下ろしてきた。木刀を失った僕は、当然木刀では避けられなかった。仕方なく、真剣白刃取りの木刀版をやった。

 相手から木刀をもぎ取り、横に放り投げた。

「そこまで」と言う審判の声がかかった。

 

 中島と近藤が走り寄ってきた。

「良かったなぁ、無事で」と中島が言った。

「ほんとに肝を冷やしましたよ」と近藤が言った。

 僕は汗を手ぬぐいで拭った。

 その時だった。

「鏡殿、氷室殿、こちらにおいでください」と審判が言った。

 僕と氷室は審判のところに行った。

「お殿様が二人の決着を見たい、と仰せられている」と言った。

「もう一度、立ち合って貰えぬだろうか」

「私に異存はござらぬ。殿の申し出とあらば、受けなければしょうがないでしょう」

 氷室隆太郎はそう言った。

「氷室殿がそう言うのなら、受けねばならないでしょう」と僕も言った。

「ただし、やるからには真剣でお願い申す」

 僕は木刀が折れたことが気にかかっていた。あの程度で折れるとは、思ってもいなかったからだ。

「し、真剣ですと」と審判の侍が慌てた。

 審判の侍は、藩主のところに走って行った。そして、すぐに戻ってきた。

「許すそうです。ただし、何があっても文句を言わぬように、とのことです」と言った。

 そのことを審判の侍は、番頭の中島や近藤にも伝えた。

 中島や近藤は、僕のところに走り寄って来て、「お前、本気か」と中島が言った。

「あーあ、言わないこっちゃない」と近藤は嘆いて見せた。

 

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三十六

 その日の夕餉は、妙に滝川劍持の機嫌が良かった。

「いやー、あの二十人槍を氷室隆太郎以外の者が破るとは思ってもみなかった。珍しいものを見せてもらった」

 滝川は酒を注いでもらっていた。

「こうなるとどうしても気になる」

 氷室隆太郎の方を見て、「彼とおぬしのどちらが強いか」と言った。

「氷室様の方がお強いでしょう」と僕は言った。

「それは謙遜か」

「いいえ、事実を言ったまでです」

「どういうことかな」

「あの二十人槍を氷室様は、お破りになっているんですよね」

「そうだ」

「その時は、真剣でしたか」

「そんなはずがなかろう。木刀と木の槍での立ち合いだった」

「そこです」

「なんじゃ」

「一見、真剣での二十人槍と一人の真剣での刀の対決では、一人の方が不利に見えるでしょう」

「実際に不利だろう」

「ええ、もちろん、不利ですが、木刀と木の槍での立ち合いよりは有利ですよ」

 滝川は頭を振って、「わしにはわからん。氷室、こやつの、いや鏡殿の言うことがわかるか」と訊いた。

「鏡殿の言われていることは、正しいです」と氷室は言った。

「何だと」

「棒状の槍から本物の槍に変えて欲しいと鏡殿が願い出た時、殿は私の顔を見られましたよね」

「ああ、見た。そんなことをして良いのか、尋ねたくなった」

「その時、私は首を左右に振りました」

「そうだった。危険だから、止めろという意味だと思った」

「違うんです。それでは鏡殿が有利になるからです」

「なに」

「棒状の槍を木刀で切り落とすのは不可能ですが、本物の槍の柄を切り落とすことは真剣なら可能なんです。つまり、棒状の槍は木刀ではせいぜい一、二本叩き折るのが精一杯で、そう何本も折ることはできないのです。従って、槍対刀の戦いにならざるを得ない。しかし、真剣の刀を使われては、見ての通り、槍の柄を切り落とすことで、槍を無力化することができます。そして、そこに鏡殿は活路を見いだされた。そういうことです」

「氷室殿が言われたとおりです」

「なるほど」と滝川も分かったようだった。

「だから、私は氷室殿の方がお強いと申したのです」

「それは棒状の二十人槍を木刀で破ったということでか」

「そうです。私にそれができたかどうか」

 滝川は笑い出した。

「おぬしにはできないと言うのか」

「そう思ったから、真剣に変えてもらったつもりですが」

「道理はわかった。しかし、本物の二十人槍を前にして、おぬしはまるで慌てた素振りを一度もしなかったな」

「そうでしたか」

「そうだとも。ちゃんと見ていたからな」

「なら、そうなのでしょう」

「いずれにしても二十人槍を破ったのは、事実だ。そして、棒状の槍ながら二十人槍を破ったもう一人の剣士がいる。この二人が同じ場所にいるのは、めったにあることではない。私はどうしても二人の立ち合いを見たい、どうだ、鏡殿。承知してくれぬか」

「承知するも何も、この状況では断ることはできないでしょう」

「じゃあ、明日、今日と同じ時刻に氷室隆太郎と立ち合うということでいいな」

「分かりました」

 

 布団の敷いてある部屋に入った。

 中島も近藤も複雑な顔をしていた。

「真剣勝負の二十人槍を破ったのは凄かった」と中島が言った。

「確かに凄かったですね。一生で一度見られるかどうかですね」と近藤が言った。

「しかし、面倒なことになったな」と中島が言った。

「明日、立ち合うのは、あの氷室隆太郎ですからね」と近藤が言った。

「どうせ、そういうことになっているんでしょう」と僕は言った。

「どういうことだ」と近藤が訊いた。

「二十人槍は前座でしょう。本命は氷室隆太郎との立ち合いにあったのだと思いますよ」

「なるほど。しかし、おぬしはどうするのだ。氷室隆太郎と言えば、四国随一の使い手として知られている。もしかしたら、全国一かも知れないのだぞ。その者を相手にしなければならないということがどういうことかわかっているのか」

「分かってますよ。強い奴と戦うっていうことでしょう」

「おいおい、そんなに気楽に言うな」

「戦ってみなければ、分からないじゃないですか」

「それはそうだが、おぬしは平気なのか。怖くはないのか」

「そりゃあ、怖いですよ。逃げ出せるものなら、ここから逃げ出したいくらいですよ」

「全く、剛毅な奴だな。こっちが不安に思っているというのに」と近藤が言った。

「さあさあ、早く寝ましょう。明日も大変なんだから」

 僕はそう言って布団に真っ先に潜り込んだ。

 

 翌朝もよく晴れていた。

 僕は二人より早く起きて、紅葉した山々を見ていた。

「おはよう」

「おはようございます」

「昨日は眠れたか」と中島が訊いた。

「もう、ぐっすりと」

「そうか」

「二十人槍とやり合ったせいですかね。疲れ切っていたのか、夢も見ませんでしたよ」

「お前はのんきでいいな」

「これでも緊張しているんですよ」

「そうか、そうは見えないがな」

 近藤も起きてきた。

「私が一番後か」と言った。

「私たちも、今、起きたところですよ」と僕が言った。

「今日は氷室隆太郎と立ち合うんだよな」と近藤が言った。

「もちろん、そうですよ」

「傍で見ているだけだが、心臓に悪い」と近藤はこぼした。

「全くだ」と中島も同意した。

「湯の旅気分だったのが、こうも殺伐とするとはね。考えもしなかった」と近藤が言った。

「湯の旅気分で来ているのが、間違いなんですよ」と僕は言った。

 

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三十五

 次の日はよく晴れていた。

 僕はぐっすり眠れた。中島と近藤は、よくは眠れなかったようだ。

 寝間着から着物に着替えた僕が「おはようございます」と元気に挨拶しても「おはよう」と返すのがやっとのようだった。

 僕は朝餉をすっかり平らげ、中島と近藤は半分ほど残した。

「残すんなら、もらいますよ」

 僕は中島と近藤の食べ残した分まで食べた。

「よく、それだけ食べられるな」

「これから一働きしなくちゃならないでしょう。食べておかなくちゃ」と僕は言った。

「二十人槍の怖さを知らないからですよ」と近藤が言うと、「そうだな」と中島が相槌を打った。

 食膳が片付けられると、僕は横になった。そして、つい眠ってしまっていた。

「おい、呼ばれたぞ」と中島に起こされた。

 

 起き上がると、着物を直して、藩主滝川の前に出た。

「昨夜は眠れたか」と訊かれたので、僕は「はい、ぐっすりと眠れました」と答えた。

 これには滝川も笑いをかみ殺して、「よっぽど肝が据わっているんだな」と言った。

「巳二つの刻(午前十時)に立ち合いをする。それでいいな」

「結構です」

 午前九時半頃だったので、僕は立ち合いの準備を始めた。

 袴を穿き、着物にたすき掛けをした。白い鉢巻きが渡されたので、額に巻いた。

 時間が来た。太鼓が打ち鳴らされた。

 中庭に案内された。

 右側の席に、藩主滝川の姿もあった。

 前方に真剣の付いていない棒状の槍を持った侍が二十人揃っていた。

 僕が現れると、一斉に視線が向けられた。どの視線も刺すように鋭かった。

 僕には木刀が渡された。それを持って、試合場の中央に進み出た。

 棒状の槍を持った侍が、隊列を組んで歩き出した。そして、ぐるりと僕を中心に輪になるように囲んだ。

 そして、棒状の槍を僕の方に一斉に向けた。

 この時、僕は「待ってください」と叫んだ。

「この期に及んで何だ」と滝川劍持は言った。

「止めたいとでも言うのか」と続けた。

「いや、違います」と僕は叫んだ。

「何だ」

「真剣でやりたいです」と言った。

「真剣で、だと」

「そうです」

「そっちだけ真剣と言うことか」

「いいえ、槍も本物を使ってください」

 滝川劍持は氷室隆太郎の方を見た。氷室は否定するように頭を左右に振った。

 滝川はそれを本物を使うのは、危険だという意味に受け取ったようだ。氷室は真剣の方が僕に有利になるから否定したのだ。

 木刀で棒状の槍を折るのは、一本一本なら難しくないが、二本、三本となると、同時に折るのは非常に難しい。しかし、真剣なら、柄の部分なら続けて切り落とすことができる。もちろん、本物の槍と立ち合うのは、非常に危険である。しかし、それを分かった上での判断だった。

 棒状の槍でも、同時に突き出されれば、避けるのは真剣と同じく難しい。同じ難しさなら、こっちも真剣で立ち合えるだけ有利と僕は考えたのだ。

「本物の槍で戦うと言うのだな。怪我をするだけでは済まなくなるぞ」

「構いません。こちらも真剣を使うので、怪我をさせるかも知れません」

「後で吠え面をかくな」

「それは終わった後で言ってください」

 二十人槍の隊列は戻っていき、棒状の槍から、本物の槍へと取り替えた。それらは光を反射して光り輝き、鋭かった。

 僕には、木刀からいつも使っている刀が渡された。刀を鞘から出して振ってみた。

 刀がうなりを上げながら光っていた。

 鞘を若い侍に預けて、抜き身の刀を持って、試合場の真ん中に立った。

 そして、二十人槍の隊列が、真剣の槍を持って戻ってきた。そして、僕をぐるりと囲んだ。距離は二十メートルほど離れていたろうか。

 どこにも逃げ道はなかった。

 四方八方が槍で塞がれていた。

 槍先の鋭い刃が僕に向けられていた。

 僕は正眼の構えで待っていた。隊列の乱れを見ていたが、隊列は一糸乱れぬ構えを見せていた。その構えに脅威を感じたが、どこかを崩さなければならない。しかし、その隙を隊列は見せない。じわじわと間隔を狭めてくる。

 二十メートルほど離れていたのが、十五メートルほどに近付いてきた。たった五メートル近付いただけなのに、巨大な壁が立ち塞がったかのような感覚に囚われた。

 槍の先の刃の間隔が狭くなった。二十本の槍がずらりと周りを取り囲んでいる。槍の先だけを上から見れば、銀色の輪のように見えただろう。

 そのまま隊列が突き進めば、槍はこの身を突き刺すだろう。隊列はまた一歩、近付いてきた。

 もう動くしかなかった。右に動いた。しかし、右の者は下がることなく、一歩踏み込むように槍を突き出してきた。そして、その左右からも槍は突き出された。槍は僕の躰すれすれの所で止まった。というより、そこが槍の突く一番先だった。もう一度、突くには槍を引いて、突き出すほかはなかった。そのタイミングで、僕は、一度地面に屈み、そして上空に飛び上がった。

 槍を引いた方に向けて、飛び上がり、慌てて繰り出してくる槍を刀で受けた。そして、刀で受けた右側の槍部隊の中程に着地した。槍は長い。相手はすぐに体勢を立て直そうとしたが、その槍の長さが邪魔をした。槍を引いて刺そうとしたが、その前にその槍の柄の部分を真剣で叩き切っていった。最初に三本切り、次の槍が伸びてくると、その槍先を避けながら、その柄を切り落としていった。そして、切り落とした槍を取って、刃の部分ではない方、つまり切り落とした方で、右側の侍の胸を強く突いた。その一人が倒れると、それにつられて二人ほど足を取られた。槍が上に上がり、胴ががら空きになった。その者を峰打ちにした。

 右側の一角が空いた。しかし、倒れた者が邪魔になって、すぐには突いてこられなかった。僕は刀を振り上げて前に向かって走った。前の槍部隊は刃先をしっかりと揃えた。そこにジャンプして、槍の上に乗り、乗った槍の柄を次々と切り落としていった。そして、そのまま彼らの背後に回り、槍を持っているのですぐに振り向けないうちに、刀の峰でその首の後ろの部分を強く叩いていった。叩かれた者は足から崩れ落ちていった。

 そして、一人の槍を取るとぐるぐる回して、敵を攪乱し、散り散りにさせた。そうなると二十人槍は見る影もなかった。バラバラになった一人一人を、槍を突いてきた者は、その槍を捕まえて、僕は刀の峰でその肩を思い切り叩き、また、別の者は槍をかわしてその腹を叩いた。叩かれた者はもだえるように蹲った。

 二十人槍の隊列は、もう数人を残すだけとなった。

 槍を突き出してくればかわして、その胴を叩き、あるいは槍を捕まえて、引っ張りその肩を叩いた。

 最後の一人が倒れると、僕は刀を振って、若い侍から渡された鞘に収めた。

 僕の後ろには、地面に苦悶の表情を浮かべている侍たちが転がっていた。

 

 僕は藩主の前に行き、片膝をついた。

「そちの勝ちじゃ」と藩主は言った。

「ははー」

 僕は立ち、中島や近藤の元に歩いて行った。

「やった、やった」と近藤が騒いでいた。

「もう一晩泊まっていけ」と滝川劍持は言った。

 まだ昼前だったから、帰れると思っていた中島や近藤は意外な顔をした。

 僕は「もう一人いるでしょう」と二人に言った。

 御指南役、氷室隆太郎のことだった。

 彼もまた二十人槍を破ったことがある者と聞かされていた。二人の剣豪が出会う機会はめったにない。その機会を滝川劍持が逃すはずがないと思っていた。

 

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三十四

 黒亀城には夕刻着いた。

 すぐに城主の滝川劍持に、お目通りをし挨拶をした。

「よく来てくれた。待っておったぞ」と滝川劍持は言った。

 家老からは「さあさあ、旅の疲れも湯でも浴びて癒やしてくだされ」と言われ、湯屋に案内された。

 湯で躰を洗った後は、宴の席が設けられていた。

 僕ら三人は丁重なおもてなしを受けた。

 滝川劍持は、早速、山賊成敗の話を聞きたがった。

 番頭の中島も近藤も急かした。

 僕は何度目かになる山賊成敗の話をした。

「して、山賊の数は何人だと言われたかな」

「百六十二人です」

「ほぅ、百六十二人だそうじゃ」

「そりゃ、凄い」と言う声がどこからともなく聞こえてきた。

 滝川劍持は、明らかにこの話を信じてはいないようだった。

 確かに、一人で百六十二人も倒したなどという話は俄には信じられないだろう。

 だから、子どもたちや女の手も借りたことも話した。だが、それが余計、現実味をなくしていた。恐怖に怯えている女、子どもがそこまで協力できるものなのか、という既成概念から抜けきれないのだ。

「この中に百六十二人を相手に戦える者がおるか」

 滝川劍持は叫ぶように言った。

 誰も名乗り出る者はいなかった。

「氷室隆太郎、お前はどうじゃ」

 黒亀藩御指南役の氷室隆太郎は「私にも不可能でございます」と答えた。

「四国随一と言われておるお前にしてもそうか。ならば、今の鏡殿の話をどう聞く」

「わかりませぬ」

「わからんだと」

「はい。わかりません」

「どういうことだ」

「そんなことができるとは信じられぬからです」

「この者の申すことが嘘だと言うのか」

「そう言っているわけではありません。信じられないと言っているだけです」

「あのう、私は一度に倒したと言っているのではありません。最初は五十七人。次は二十人ほど。次は……」

「それは、もう良い。わかっている。そうだとしても、同じことだよな、氷室隆太郎」

「はい、仰せの通りです」

「一斬りで百六十二人倒せないのだとしたら、一昼夜かかろうが二日かかろうが、同じことだ。違うか、氷室」

「その通りでございます」

「と言うわけだ、鏡殿」

「私が偽りを申していると言われるのですか」

「氷室の言うように、信じられないと言っているだけだ」

「それなら、それで結構です」

 番頭の中島が僕の袖を引いた。

「だが、見てみたいものよのう、その腕を」

 滝川劍持はそう言った。

 もう一度、番頭の中島が僕の袖を引いた。僕は何も答えなかった。

「我が藩には二十人槍という戦法があってな。槍を持った者が二十人で一人を囲むのじゃ。そして、囲まれた者を一突きにする。これから逃れられる術はない」

 滝川劍持は、妙なことを言い出した。

「だが、これを破った者が一人おる」

 氷室隆太郎の方を見て、「そこにおる氷室だ」と言った。

 滝川劍持は僕の方を見て、「おぬしに二十人槍が破れるかな」と言った。

 番頭の中島が僕の袖を強く引いた。

「無理でしょう」と僕は答えた。

「おかしなことを言われる。百六十二人の山賊を倒した者がたった二十人を相手にできないと申すか」

「状況が違いますから、はい、と答えるしかありません」

「そうか、すると百六十二人を倒したという話も嘘であったということでいいのだな」

「私は構いませんが」と言うと、番頭の中島と近藤は「それは困ります」と言った。

「ほぅ」と滝川劍持は言った。

「それでは、うちの殿が嘘の話を吹聴していると思われるではありませんか」と中島が言った。

「そうではないのか」

「違います」と中島と近藤が声を揃えた。

「でも、この者は二十人槍を破れぬと申したぞ。二十人槍を破れぬ者に百六十二人の山賊が倒せるはずがないではないか。それにこの者は、百六十二人を倒したという話も嘘であったということでいいのだな、という私の問いに、私は構いませんが、と答えたのだぞ」

「それはこの者の謙遜です」と中島は言った。

「そうなのか」と滝川が言った。

「どうとでもお考えください」と僕は言った。

「気に入らんな」

 滝川は苛立った。

「謙遜なのか、本当なのか、はっきりさせたい」

 そう滝川は言い出した。

「明日、二十人槍と立ち合ってもらいたい。どうかな、鏡殿」

 中島は僕の袖を引っ張ったが、僕は「ご随意に」と言っていた。

「そうか、立ち合うと言うのか。そうか、そうか」

 滝川は満足げに言った。

 

 床に就くと、中島も近藤も「何てことを約束されたのだ」と言った。

「あの二十人槍だぞ」と中島が言った。

 近藤も「黒亀藩の二十人槍は天下に名を馳せているんだぞ。わかっておるのか」と言った。

「でも、あの成り行きではしょうがないではありませんか」

「うーむ」

「あのままでは、我が殿が大ぼら吹きということにされてしまいかねませんでしたよ」

「それもそうだが」

「滝川様は何が何でも、私と二十人槍とを立ち合わせたかったのです。それだけの話です」

「おぬし、よく平気でいられるな。二十人槍とは、その名の通り、周りを二十人の槍部隊に囲まれるんだぞ。逃げ場はない。どうする気だ」

「その場になって考えますよ」

 中島も近藤も呆れたような顔をした。

「しかし、こんなことになるとはなあ」と中島が近藤に言った。

「隣の藩ですからね。ことは大きくしたくないですよね」と近藤が言った。

「全くだ。だが、事態は悪い方に転がっている」

「本当にそうですね」

「鏡殿に負傷でもされたら、私たちは減俸ものですよ」

「それで済めばいいがな」と中島が言うと、「お役御免は、願い下げですよ」と近藤が言った。

「お二人とも、もう寝ましょうよ」と僕が言った。

「おぬしは気楽だな」と中島が言った。

「考えてもしょうがないでしょう」

「それはそうだな」と中島が言った。

「さぁ、早く、寝ましょう」

 

小説「僕が、剣道ですか? 2」

三十三

 僕は風呂敷に包まれた懸賞金を前に、家老に「こんな大金、どこにしまっておいたらいいのでしょう」と訊いた。

 家老は「うちの蔵に入れておけばいい」と言った。

「金蔵という金庫番がいてな、彼に言えば蔵を開けてもらえる」

「はぁ。でも、金が入り用になったら、きくに頼む場合が多いのですが」

「きくのことも話しておく。それでいいだろう」

「ええ、結構です」

「それにしても黒亀藩とはな」

「何かあるのですか」

「なに、大したことじゃない」

「気になるじゃないですか」

「このあたり四国一の剣術使いがいるんでな」

「ほう、誰ですか、それは」

「氷室隆太郎と言う」

「強いのですか」

「強いとの、もっぱらの噂じゃ」

「そうですか」

「四国一か、あるいは全国一かもしれん」

「そんなに強いんですか」

「ああ」

 

 屋敷に戻ると、きくが待っていた。

「どうでした」と宴会の様子を聞きたがる。僕の武勇伝で終わったと話した。

 毒きのこの一件は話さなかった。

 持ち帰った風呂敷包みを開いたきくは、口もきけなかった。

 

 次の日、風呂敷包みに入れた小判を持って、金蔵を連れて蔵に向かった。

 金蔵に蔵を開けてもらい、指定された所に風呂敷包みを置いた。金蔵には、きくが来た時も蔵を開けるように言った。

「へぃ、わかりやした」

 金蔵は律儀で頑固そうな男だった。

 

 それから六日後に、夕餉の席で家老から話があった。

「明後日、黒亀藩に出立してもらいたい。番頭の中島伊右衛門と近藤中二郎が供をする」と言った。

「そうですか」という他はなかった。

 

 きくに黒亀藩に行く話をすると、「どうして鏡様が行かなければならないんですか」と言った。

 そうなんだよな、僕もそう思っているんだ、とは言えなかった。

 翌日は、出立の支度をして、その次の日の早朝に屋敷を出た。

 屋敷の前には、中島伊右衛門と近藤中二郎が待っていた。

「随分と待たせましたか」と訊くと、「いいえ、今し方、来たところです」と答えた。

「そうですか、行きましょうか」

「籠で行きますか」と近藤が訊くので、「いや、籠は疲れます。歩いた方がよほど楽です」と答えると、二人も「私たちも籠は苦手で」と言った。

 とにかく三人で旅歩きをしようということになった。

 黒亀藩には、二泊三日かかるそうだ。

 早く行けば一泊二日で行けるのだろうが、最初から二泊三日で行くつもりのようだった。

 藩の端にある湯治場で最初の一泊目を取った。

「ああ、いい湯だ」

 中島伊右衛門が言った。

「そうですね」

 近藤中二郎が応えた。

 僕も久しぶりの温泉にゆったりと身を沈めていた。

「鏡殿」

「何ですか」

「あれほど多くの人をどうやったら斬れるんですか。一人や二人ならわかるんですが」と中島が質問した。

「そうそう、私もどうしてかな、と不思議に思っていましたよ」

「理屈じゃありません。結果的にそうなっただけです」

「でも、凄いですね。あなたはどう見ても十五、六歳にしか見えない。しかし、剣にかけては達人だ。十五、六歳の技じゃない。悪い意味じゃなく、枯れた風格さえある」

 僕は答えようがなかった。

 二人は先に上がっていった。

 僕は綺麗な夜空を見上げながら、顔を拭った。

 星が落ちてくるように光っていた。

 

 昼近くまで眠っていて、番所を通り、隣の藩に入った。

「ここは湯沢屋が有名なんですよ」

「いい温泉場らしいですよ」

 中島と近藤が話していた。

 彼らはすっかり旅気分でいる。だが、僕はそうはいかなかった。

 おそらく四国随一と言われる氷室隆太郎と立ち合うことになるだろう。それだけでも憂鬱だった。

 夕暮れ前に湯沢屋に着いた。

 早速、温泉に入った。すでに紅葉の最盛期は過ぎたが、残り紅葉が美しかった。

 中島と近藤は早々と湯から上がっていった。

 僕は残り紅葉を楽しんでいた。

 僕が風呂から出た頃には、二人はもう出来上がっていた。酒をたらふく飲んで、眠りこけていた。

 僕は一人で夕餉をとり、窓から外を見ていた。

 女中が布団を敷きに来て、二人を布団に寝かしつけると、出て行った。

 僕も障子戸を閉めて、布団に入った。

 

小説「僕が、剣道ですか? 2」

三十二

 道場に出るのは、久しぶりだった。

 だが、此所でも山賊成敗の話をねだられた。

 話さなければ、稽古にならない雰囲気だった。仕方なく、僕は何度目かの山賊成敗の話をした。

 

 半月が過ぎ、一月が経とうかという頃に、夕餉の席で家老から、明後日、僕に登城せよとの命が下ったと言われた。

「ようやく各藩の首実検が終わり、今回の山賊成敗が正式に認定された。これを機に祝いの席を設けるとのことだ。主役のおぬしがおらねば始まらない話だ」

 家老はそう言った。

 僕は「分かりました」と答えるほかはなかった。

 

 髷も整え、着付けもきくがしてくれた。

 姿見を持ってきて、「どうですか」ときくが訊く。

 僕が答えずにいると、「こうして見ると、いつものあなたのようではないように見えますね」と言った。

「そうか」

 着付けが終わると、一緒に出かける者たちと合流して、僕は慣れぬ籠に乗せられた。

 そうして登城すると、控えの間に通された。

 居並ぶ方々の視線を一斉に浴びた。僕は、端の方に座った。ガヤガヤと話し声が聞こえてきたが、今度の一件に関することのようだった。

 佐竹も一緒だったので、僕は佐竹と話をして、時刻まで待った。

 太鼓が打ち鳴らされた。

 皆が、立ち上がり、宴席へと向かった。

 他の者は、次々と自分の席に着いたが、僕は佐竹もいなくなり、どうしていいか分からなかった。

 その時、筆頭家老の島田源之助が「こっちだ」と言うように手招きしてくれた。

 僕の席は、藩主の隣だった。

 まだ藩主は来ていなかった。

 また、太鼓が鳴った。

 皆が、頭を下げたので、僕も同じようにした。

 藩主綱秀が入ってきたのだった。

「頭を上げい」の言葉で、頭を上げた。

 藩主は、僕に向かって「この度はようやった」と言われた。

 僕は「ははー」と頭を下げた。

「今日は、おぬしのための宴席じゃ。存分に楽しんでいってくれ」と言われた。

 僕は「はい」と言った。

 酒の肴が運ばれてきた。

 藩主から杯を持つように言われて、僕は酒が飲めないとも言えず、杯を取った。藩主、自らが僕の杯に酒を注いでくれた。

「まずは、めでたい。乾杯じゃ」と藩主が言うと、僕は隠し持っていた手ぬぐいに酒を染み込ませた。

 その後、藩主が「さぁ、武勇伝を聞かせてもらおうではないか」と言った。

 周りの者も「そうだ」「そうだ」と囃し立てる。

 これで何度目かになる山賊成敗の話を僕はすることになった。

 話が進んでいく頃、茸料理が運ばれてきた。

 毒見役が藩主の茸料理に箸をつけて、毒見をした。その時、茸をすり替えたのが、僕には見えた。僕は持っていた箸を、その毒見役の袂に投げつけた。

「今、キノコを変えたな」と僕は言った。

「滅相もございません。そのようなことは決して」と毒見役は言った。

「だったら、そのキノコを食べてみろ」と僕は言った。

「私がキノコを取り換えた証拠でもありますか」と毒見役は言った。

 袂に入れていたキノコを躰の方に落としたのだろう。

「立ってみよ」と僕は言った。

 周りの者が毒見役を立たせた。

「わきの下あたりを調べてごらんなさい」と僕は言った。

 毒見役を取り押さえていた者が、「あった」と言った。

 シメジだった。

 藩主の皿の方を見ていた者が、「これはドクツルタケです」と叫んだ。

 毒見役は引き立てられていった。そして、代わりの毒見役がついた。

「危ないところを感謝する」と藩主が言った。

「いえいえ、だが、まだ綱秀様に抵抗する勢力がいるということですな」と僕は言った。

「そうだな。心しておかねばならぬな」

「はい」

「興ざめはしたが、話はまだ半分も聞いておらぬ。続けてくれまいか」

「分かりました」

 僕はまた山賊成敗の話を始めた。

 宴会は何事もなかったかのように進んだ。

 僕の話が終わると、藩主は山奉行に検分の報告を求めた。

 山奉行は、百六十二名のうち、五十数名の死体はすぐに死んではおらず、生きていた者もいたと言った。

 藩主が「なぜそのようなことをしたのだ」と訊いたので、「楽に死なせたくはなかったのです」と答えた。

「ほう」

「彼らの残虐非道は、一瞬に死ねるような甘いものではありません。苦しみもだえて死ぬがいい、と考えました」

「おぬしは怖い男よのう。敵には回したくはないな」と言った後で、「ところで、言いにくいのだが、隣の藩に行ってはもらえまいか」と言った。

「どういうことでしょう」

「今回の件を書状で知らせたのだが、信じられないと書いてきたのだ。嘘ではないと書き送ったのだが、ならば、その鏡と言う者に是非とも会いたいと言ってきた。実在するのであれば、とまで付け足して。だから、わしはそれならその者を遣わすから、その目で確かめてみるがいいと書き送ってしまったのだ。後には引けなくなってしまってな」

「そうですか」

「申し訳ないが、黒亀藩にまで行ってくれ」

「分かりました。で、いつ出立すればいいのですか」

「そうだな。書状を書き送るから、その返事が来てからにして欲しい。家老の所にいるんだろう」

「はい」

「なら、島田に伝えるから、彼から聞いてくれ」

「分かりました」

 その後、藩主は手を叩いた。

 三方に載せられた小判が運ばれてきた。

「七百五十二両ある。山賊たちの首に懸けられていた懸賞金だ」

 僕はただ、その懸賞金の載った三方を見ていた。包み紙の小判が沢山積み上げられていた。そのてっぺんに二両載っていた。

「これが懸賞金なら全部は貰えません。飛田村の人たちも山賊成敗に関わったのです。少なくとも二、三十人は彼らの手にかかっています」

「そちの話も聞いておるし、検分でも竹槍で刺された者の数も記載されておる。しかし、すべてはそちが指示したことではないか。それに、竹槍では傷は負わせても殺すことまではできぬ。おぬしがとどめを刺したことぐらいわかっておる。遠慮せずにもらっておけ」

「しかし、それでは飛田村の復興が叶いませぬ」

「飛田村のことは任せておけ。悪いようにはしない」

「そうですか。ではよろしくお願い申し上げます」

「ところで、おぬしは仕官する気はないのか」

「ここにいつまでいられるか分かりませんので」

「ずっといても構わんぞ」

「そういうことではないのです」

「どういうことだ」

「私はよそ者ですから」

「よそ者でも構わん」

「ありがたいお言葉ですが……」

「無理強いはしまい。その気になれば、いい役を与えてやる」

「分かりました」

「ともあれ、黒亀藩のことは頼んだぞ」

「承知しました」

 

小説「僕が、剣道ですか? 2」

三十一

 座敷に戻り、きくに「七百五十二両貰えるそうだよ」と言うと、「へぇー、七百五十二両ですか」と驚いた風もなく聞いた。その後で、「七百五十二両って言いました」と訊き返してきた。

「そう言ったろ」

「七百五十二両で間違いないんですね」

「うん」

「それだけあれば、一生遊んで暮らせる」

「何か言ったか」

「ううん」

「もらったら、きくに預けるからね」

「わたしに」

「そうだよ」

「どこに置けばいいんですか」

「そこらに置けばいいだろう」

「そんな」

「もらったら、家老に相談してみる」

「そうしてください」

「今日は寝る」

 僕は布団に潜った。

 

 次の日、堤邸に行った。

 座敷に通された。

 堤が現れた。座布団に座ると「山賊の話、聞きましたぞ」と言ってきた。

 その時、たえがお茶を持ってきた。

「お躰はいいのですか」

「はい、もう良くなりました」

「それは良かった。この前、産後のひだちが悪いと言っていたので、心配していました」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

「それは構いません。でも、良かった」

「鏡様は大変なご活躍でしたね」

「それよ。今、その話を聞こうとしていたところだったのだ」と堤はたえに言った。

「わたしもお聞きしてよろしいですか」

「構いません」

「山奉行が殿の前で話をされた時は、ビックリしましたぞ。あげられた首は百六十二人だったそうですな」

「そんなに」とたえが驚いた。

「わしも驚いた。で、山賊との戦いはどうだったのですか、鏡殿」

 僕は仕方なく、山賊との戦いを話した。

 堤は細かな戦いの場面の説明も求めてきたから、小一時間かかった。

 堤は何度も「うむ」と感心していた。たえは時には、耳を塞ごうとしていた。

 僕は話し終えると、お茶を飲んだ。

「凄まじい話ですな」

「ええ」

 いくつかの堤の質問に答えた後、京太郎の顔を見てから、堤邸を後にした。

 

 屋敷に戻らず、町に出ていた。

 団子でも食べようと思った。

 その時、人だかりができているのに、気付いた。

 見ると、その中心に佐野助がいた。佐野助の前に籠が置かれていて、銭が投げ込まれていた。

 佐野助は目ざとく、僕を見つけると、「おっとと、そこにいるのが今話している鏡の旦那でさぁ」と言った。人だかりの視線が、全部こちらに向いた。佐野助が籠を持って、こちらに来て、僕の着物の袖を掴んで、「このお人が、山賊たちをバッサバッサとお斬りになった鏡京介様でさぁ」と言った。

「ほぉー」と言う声があちらこちらから聞こえてきた。

「お前、銭を取ってまで、講釈を垂れているのか」と僕が言うと、「あんな凄いこと、聞きたくない者がいますか」と返してきた。

「私はもう行くから、離してくれ」

「へぃ」

 僕が離れると、佐野助は「早く、続きを話してくれ」と客から言われていた。

「へぃ、それでね……」と佐野助は続きを話し始めた。

 

 団子を食べていると、この前の戦いが嘘のようだった。

 屋敷に戻ると、きくが「団子を食べてきたんですか」と言った。

「どうして分かったんだ」と言うと、口の端の餡をきくは指で掬って口に入れた。

「おいしい。次に行く時は、きくも連れて行ってくださいね」

「ききょうはどうするんだ」

「誰かに見ててもらいますよ」

「そうか」

「ききょうは、あれで誰かに似て人気があるんですよ」

「そうなのか」

「そうですよ」

 

 風呂に入って、夕餉の席に着くと、家老から「山賊征伐の話を訊かれて困る」と言った。

「だから、また話してくれ」

 今日、堤邸で話したばかりだったので、またかという気になった。夕餉の席では、昨日真っ先に話した事柄だった。だが、今のようにテレビやインターネットもない時代だから、面白い話は繰り返し聞きたがるものなのだ。

 僕は諦めて、堤邸で話したように、山賊との戦いを細かく話して聞かせた。

 

「今日は遅かったですね」

 夕餉の席で、山賊成敗の話をまたしたことをきくに話した。

「そりゃ、聞きたがりますよ。鏡様は凄いことをされたんだから」

「戦っているより、話している方が疲れるよ」

「まぁ、そんなこと言って」

「ほんとにそうさ」

 僕は布団に潜った。きくが入ってきた。

「ねっ、いいでしょう」

「まだ、疲れているんだけれど」

「もう、戦い終わってから、随分と経つでしょう」

「それはそうだけれど」

「だったら、いいわよね」

「そういう、問題じゃあ……」

 きくは僕の言葉も終わらぬうちに、抱きついてきた。