小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十一

 一週間は何事もなく過ぎた。きくも保護者参観を無事に終えることができた。ききょうの授業は国語で、ききょうが指名されて家族という作文を読んだそうだ。警察官である父は具体的に何をしているのか分からないが、母はいつも気配りができていて、大変だなぁと思うと同時に、母のようになりたいと書いていたそうだ。きくはそれを話す時泣いていた。京一郎は、東京****ランドの絵が他の子の絵と一緒に後ろの壁に貼られていて、区内の展覧会で金賞をとっていたそうだ。そんなことは一度も言わなかったので、きくも京一郎の教室に入るまで知らなかったと言う。

 二週間目に入っての月曜日だった。防犯マップで警戒していた箇所に、午後九時に放火事件が起こった。幸い、警戒中の町会の人に見つかり、犯人はその場で現行犯逮捕された。現行犯だったから一般人でも逮捕できたのだ。

 黒金署に送られてきたのは、黒金高校一年生の坂本宗良だった。

 捜査一課二係が翌日取調を担当した。

 僕は犯人が中上でなかったことに、まずホッとした。

 僕は鞄にひょうたんを入れて署に行った。安全防犯対策課に入ると、鞄からひょうたんをズボンのポケットに入れて、緑川に「ちょっと出かけてくる」と言って、取調室のある五階に向かった。

 取調室の前には警官が椅子に座っていた。僕は反対側のトイレの個室に入った。そして、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「はーい」と言うあやめの声がした。

「今、奥の取調室で取調を受けている様子を見てきてくれ。取調を受けているのは、黒金高校一年生の坂本宗良だ。若いから分かると思う」と言った。

 あやめは「わかりました」と言った。

 あやめが戻ってくるまで、狭いトイレの個室にいるのは苦痛だった。しかし、仕方がなかった。過去にあやめがとってきた中上の映像を再生して時間を潰した。

 お昼になって、あやめが戻ってきた。

 僕はすぐにトイレから出て、安全防犯対策課に行った。デスクに座ると、時間を止めて、「映像を送れ」と言った。目眩とともに映像が送られてきた。僕は時間を動かした。

 

 愛妻弁当と水筒を持つと、屋上のベンチに向かった。

 そして、弁当を食べながら、映像を再生していた。

 坂本は取調官の人定質問と放火の方法については、ハキハキと答えていた。しかし、放火の動機について質問されると途端に黙った。

「これまでの放火もお前がやったのか」と言う質問にも、首を左右に振るばかりだった。

「放火すると、胸がすぅーとするのか」と言う質問にも、首を激しく左右に振った。

「だったら何で放火なんかしたんだ」と言っても、坂本は答えなかった。

 そんなやり取りをしているうちに、坂本は泣き出した。

「おいおい、泣いても罪は消えないぞ」と言うと、坂本は小さな声で「これはいじめなんです」と言った。

「何だって」と取調官は言った。

「だから、これはいじめなんです」と坂本はもう一度言った。

「どういうことなんだ」

「ゲーム機を持ってこさせられて、それを取り上げられたんです。そして、返して欲しければ、あそこのゴミ捨て場のゴミに火をつけてこいって言われたんです」

「何だって」

「本当です。それで誰かが百円ライターを渡して、これで火をつけてくるんだ、と言ったんです」

「…………」

「僕は嫌だと言ったんです。だったら、ゲーム機を壊すからな、と言われて、道路に置かれて、今にも踏みつけられそうになったんです。高いゲーム機なんです。やっと、小遣いを貯めて買ったんです。壊されたくなかったんです」

 ここで、坂本はまた泣き始めた。

 取調官が「それで、どうしたんだ」と、続きを促した。

「仕方なく、僕はゴミ置き場に行きました。でも、火をつける勇気はありませんでした。それで、止めてもらえるように振り返ったんです。すると、ゲーム機を足で踏み付ける真似をされたんです。僕は仕方なく、ゴミ袋を手にしました。そして、百円ライターで火をつけたんです。これでいいか、と振り返ると、もう仲間はいなくなっていました。そして、巡回警戒していた町会の人が、ゴミ袋の火を足で消して、僕はその人たちに取り押さえられました」と言った。

 取調官がゲーム機を机に置いて、「これがお前のゲーム機か」と訊いた。

 坂本は、踏みつけられて壊れているゲーム機を手にして泣いた。

 取調官は「いじめにしろ、罪は罪なんだぞ。わかっているのか」と言った。

 すると、坂本はもっと泣いた。

 取調官は係官に向かって、首を左右に振った。係官も頷いた。坂本が連続放火事件の犯人ではないという合図だった。

 そこで、僕は映像を止めた。

 嫌な気分だった。

 午後には捜査会議が開かれる。そして、今の取調の結果が報告される。二係の他の者は連続放火事件の犯人が捕まったと思って期待をしていただけに、この報告を聞いてがっかりするだろう。

 それよりも、僕はいじめの方が気になった。また、黒金高校には番長が復活したんだなと思った(「僕が、剣道ですか? 3」参照)。結局は、何も変わらなかったわけだ。

 そして、今回の放火事件を中上が知ったら、どう思うかが気になった。

 

  昼食から戻ると、時間を止めてズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「何ですか」と言うあやめの声が聞こえた。

「今、中上が家にいるかどうか分かるか」と訊いた。

「遠くて駄目です」と言った。

「やっぱりアパートの近くに行かないと駄目か」と呟くと、あやめに「分かった」と伝えた。

 そして、時間を動かした。

 午後一時になった。メンバーが戻ってきた。

 僕はデスクから大きな声で言った。

「昨日の放火の現行犯逮捕は、この前、防犯マップを配った成果だ。我が部署もそれなりに役立っているということだ」と言った。

 それから、緑川に「ちょっと出かけてくる」と言って、デスクを立った。

 署を出ると、中上のアパートに向かった。近付いたら、あやめに様子を探らせようと思った。コンビニを通り過ぎようとしたら、中から中上が出て来て、危うく鉢合わせになりそうになった。僕はそのままコンビニに入り、中上が遠ざかるのを待った。中上は朝刊を買っていったのだろう。まだ、黒金高校の生徒がいじめによって放火したことは、報じられていないはずだ。また、昼のニュース番組でも放火のことしか伝えられていないだろう。捜査会議後の今夜の記者会見で、犯人は高校生だったことは報じられるかも知れないが、詳細は伏されるのに違いなかった。

 中上にとっては、別の放火犯が出て来たということしか、現在は知りようがなかった。それによって、中上がどう反応するのかが、僕は知りたかったのだ。

 中上が見えなくなると、コンビニを出て、中上のアパートの近くまで来た。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「今、中上はアパートにいるか」とあやめに訊いた。

「います」と答えた。

「じゃあ、何をしているか、見てきてくれ」と言った。

「わかりました」

 あやめがいなくなると所在がなかった。携帯を取り出して、見ているフリをした。

 あやめが戻ってくるまで、遠くまで行くわけにはいかなかったから、時間が経つのが長かった。途中でもいいから、戻ってきてくれ、と思ったほどだった。

 小一時間ほどして、あやめは戻ってきた。

「映像を送りますね」と言ったので、「頼む」と応えた。

 目眩とともに映像が送られてきた。長くはなかった。

 僕は、映像を再生しようとした。その時、「こんな所で何をしているんですか」と巡査に職質された。

 僕は「敬礼はしないように」と言いながら、警察手帳を見せた。

「これは失敬しました。近所の人から通報があったものですから」と巡査が言った。

「そうですか。もう、用は済みましたから、署に戻ります」と言った。

「はい」と言って、巡査は無意識に敬礼をしようとしたので、その手を押さえた。

「犯人(ホシ)に勘づかれたくないんですよ」と僕は言った。

「失礼しました。お疲れ様です」と巡査は言った。

 僕は彼から離れた。制服を着ている者と話をしているところを中上に見られる訳にはいかなかった。

小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十

 僕は中上のアパートの近くの通りで、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「中上の様子を見てきてくれ」と言った。

「はーい」とあやめは言った。

 中上が何をしているかは分かっていた。山田の釈放はどうでも良かったのだろう。問題はそれに対する自分の声明文が、どのように解説されているのか、知りたかったのだ。

 僕は待っている間、あやめの最初の映像を再生した。

 中上は昼のニュース番組を見ていた。何人ものコメンテーターが意見を言っていた。その中で、僕が気になったものがあった。元刑事の肩書きを持つコメンテーターが「これだけ声明文を出しているんですから、警察も犯人の目星がついているんじゃないですかね」と言ったことだった。これには、中上も反応していた。

『おっさん、でたらめ言ってんじゃねえよ。あれだけ海外経由しているのに、どうやって突き止められるんだよ。それに、それをやっているパソコンは俺が乗っ取ったパソコンだから、わかるわけがないじゃないか』

 だが、気になったのだ。だから、朝刊を買いに行ったのだ。

 ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「どうした」

「今はパンを食べながら、テレビを見ています」

「そうか。さっき買ってきた新聞は一通り読んだんだな」

「はい」

「だったら、その映像を送れ」と言った。

 映像が送られてきた。思った通りだった。中上は新聞のコメントを丹念に読んでいた。自分に捜査の手が伸びていないか、確認せずにはいられなかったのだ。

 もう、お前は僕の手中にいるよ、と言いたくなった。

 一方で、中上は自分が注目されていることに、酔いしれていた。こんなことはこれまでなかったからだ。放火以来、自分が注目されるようになったことに喜びを感じていた。これは今までに味わったことのない感覚だった。恐れる一方、楽しくてしょうがなかったのだ。

 映像はそれだけだった。

 僕は映像を見終わると、安全防犯対策課に帰った。

 安全防犯対策課では、僕が明日会議をすると言ったので、それぞれが防犯マップを取り出して、危険そうな箇所に印をつけていた。

 こうして一つ仕事が終わると、次の仕事がやってくるのだ。今、安全防犯対策課のメンバーにさせていることは、明日の会議のためのものだった。僕は、明日の会議のために、放火等を防ぐことや防犯を呼びかける文書を作った。

 

 次の日、定時に安全防犯対策課に行くとメンバーは全員揃っていた。

「全員、いるようなので会議を開く。滝岡は会議に加わらなくてもいい。自分の仕事をしていて欲しい」

 僕は奥のボードの前に行き、そこに黒金町の防犯マップを磁石で貼った。

「ここに緑川、時村、岡木、鈴木、並木の順に危険と思われる箇所をオレンジのマジックペンで印をつけてくれ」と言った。

 緑川が立つと、ノートを見ながら、オレンジのペンでどんどん書き込みを入れていった。その数、百四十六箇所にも上った。続いて、時村が五箇所、岡木が一箇所に印をつけた。鈴木、並木は書き込むことができなかった。

「すると、百五十二箇所か」と僕が言うと、緑川が「ここに記されているのは、ゴミ置き場が主ですね。板塀も入れると、もっと増えます」と言った。

「この放火魔は人の住んでいる家には火をつけないと思うんだ。つまり、現住建造物等放火罪になるようなことはしないということだ」と言った。

 緑川が「それは変では、ありませんか。すでに犯人は二人も焼死させているんですよ」と言った。

 緑川はもとより、ここにいる全員が、前の三件の連続放火事件の真犯人がすでに死亡している戸田喜八であることを知らない。つまり、これまでの四件の連続放火事件は同一犯だと思っている。現住建造物等放火罪になるようなことはしないということは、僕だけが知っていることだった。だから、緑川の疑問はもっともだった。それは他のメンバーも同じことだろう。

「この中で、特に危険度が高い所を赤いペンで丸をつけてくれ」と言った。

「では、わたしから」と言って、緑川が丸をつけた。その後、時村、岡木、鈴木、並木の順に丸をつけた。丸の数は三十六個になった。

「それでは、防犯マップにこれらの印をつけて、各地域の主だった者に注意喚起をする回覧を回してもらうように伝えてきてもらいたい。文書は作ってあるからそれを打ち出して持って行って欲しい。地区割りは緑川に任せる」と言った。

「今からですか」と鈴木が言った。

「そうだ。今からだ」と僕は答えた。

「あーあ」と言う声がメンバーから漏れた。

 緑川が「じゃあ、やりますか」と言って、マップをグリーンのペンで区切っていった。 そして「地域の班長の住所と名前はここにありますから、必要な人はコピーしてください」と言った。黒金町を班分けした住所録が緑川のデスクに置かれた。

「僕がコピーします」と言って、鈴木がこの住所録を四人分コピーした。そして、それを並木が分けた。

 緑川が「時村さんはここ、岡木さんはここ、鈴木君はここ、並木さんはここをお願いね」とボードのマップを指しながら言った。

「それじゃあ、行きますか」と言って、時村が立ち上がった。他の者もそれにならった。そして、安全防犯対策課から出て行った。

 安全防犯対策課には、僕と滝岡が残った。

 滝岡はパソコンと格闘していた。

 僕はお昼まで、昨日の中上の映像を、確認のために再生していた。

 

 お昼になったので、愛妻弁当と水筒を持って、屋上のベンチに向かった。

 今日は中華チャーハンとチキンライスの二色弁当だった。ハートマークの中にチキンライスが詰められていた。

 子どもたちは給食で弁当を作らなくてもいいのだから、こうして毎回ハートマークを考えるのは、大変だろうなぁと思った。そして、それを見られないように食べるのも大変だった。

 

 弁当を食べて、安全防犯対策課に戻ったが、滝岡以外は誰もいなかった。滝岡はパンをかじりながら、パソコンと向き合っていた。熱中している時の滝岡は鬼気迫るものがあった。

 そのうち、出かけていった者がパラパラと帰ってきた。僕はそれぞれの報告を聞いた。

 緑川は、在宅している家では趣旨を説明して、不在の家には携帯で電話をして、簡単に話をして防犯マップを郵便受けに入れてきた、と言った。

 時村は、在宅している所だけマップを渡しながら説明をして、いない所は、夕方訪ねてみると言っていた。

 岡木も時村と同じだった。

 鈴木と並木は、いる所では説明をして、いない家には説明をした文書と共に防犯マップを郵便受けに入れてきたと言った。

 僕は「お疲れ様。これで、安全防犯対策課でできることはやったことになる」と言った。

 僕はデスクの椅子に座って考えた。

 これで、いずれ中上の所にも回覧が回っていく。ということは、警察も警戒を強めていることが自ずと分かるはずだ。そうなれば、当分、大人しくしていてくれるだろう。

 こればかりは願うしかなかった。

 

 退署時間になったので、緑川に声をかけて、安全防犯対策課を出た。

 家に着くと、出迎えてくれたきくが「ききょうと京一郎が来週の水曜日に保護者参観日があるというプリントを持ってきました」と言った。

「今まではお袋と行っていたよね」と僕が言うと、「ええ、そうなんですけれど、お義母様は、あいにくその日、お医者様に行かなくちゃならなくて、行けないって言うんです」と言った。

「お袋はどこか悪いのか」

「いいえ、そうじゃあ、ありません。健康診断だと言ってました」

「そうか。だったら、きくだけで行けばいいじゃないか」

「そうなんですけれど、一人で行くのは初めてなので心配です」と言った。

「プリントに書いてある通りにすれば、いいじゃあないか。それに分からなければ、誰かに訊けばいい」と言った。

「それはそうですけれど」

「何事もやってみることだ。心配していても始まらないよ」

「それもそうですね」

 きくにとっては、保護者参観日も一大事なのだ。僕にとって、防犯等を警告する回覧板が中上の所に回るように。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

十九

 家に着き、出迎えてくれたきくに鞄を渡すと、「今日、山田さんが釈放されましたね」と言った。

「テレビを見ていたのか」

「ええ。それに新しい声明文も出されましたね」

「そうだな」

「警察の方は大変じゃありませんか」

「大変だと思うよ」

「まるで他人事のようですね」

「僕の部署は関係していないからね」

「そうですか」

「そうでなければ、こんなに早くは帰って来れないよ」と僕は言った。今日は西新宿署での剣道の稽古があったから、いつもよりは二時間ほど帰るのが遅かったが。

「お風呂にしますよね」

「ああ」

「じゃあ、用意をしておきます」ときくは言った。

 僕は新しいトランクスとバスタオルにバスローブを持って、風呂に向かった。

 浴槽に浸かりながら、新しい声明文について考えた。

 山田が釈放されて、ほどなくして出されたものと思われる。中上はすっかり、このゲームにのめり込んでいる。今は興奮している最中だろう。だが、やがて、それも冷めてくる。その時が危険だった。僕は、滝岡が偽サイトを作るまで、中上に何もしないでくれと願わずにはいられなかった。

 

 火曜日は、あやめの入ったひょうたんを持って出かけた。朝の捜査会議の様子が気になったからだ。昨日、山田を釈放して、犯人からの声明文が届いている。捜査本部はそれをどう受け取っているのだろう。

 いつも通りに安全防犯対策課に行くと、ひょうたんを鞄からズボンのポケットに移して、緑川に「ちょっと出てくる」と言って、四階に向かった。

 捜査会議はその下で開かれているはずだったからだ。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「捜査会議の様子を見てきてくれ」と言った。

「はーい」と言うあやめの声がした。

 僕は待合室の隅の席に座って、携帯を見ているフリをした。もう、係の者も僕に声をかけては来なかった。

 会議は一時間ほどで終わったようだ。あやめが帰ってきて、ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「映像を送れ」と言った。

 目眩と一緒に映像が送られてきた。

 僕は待合室の席を立つと、屋上のベンチに向かった。

 隅のベンチに座ると、映像を再生した。

 本部席には、署長と管理官と、捜査一課長、サイバーテロ対策課の課長が座っていた。捜査一課二係と三係の係長は本部席ではなく、自分の係の席に座っていた。

 捜査一課長がマイクを持って立つと、「諸君も承知のように、昨日、山田宏を釈放した。しかし、山田の嫌疑が完全に晴れたわけではない。だが、これ以上、勾留しておくことができなくなった。引き続き、山田の件は検討するとして、問題は新たに発表された声明文だ。完全に警察を挑発している。こんな輩をいつまでも野放しにしておくことはできない。そこで、今日はサイバーテロ対策課にも会議に加わってもらった。課長から現状を説明してもらう」と言って座った。

 サイバーテロ対策課の課長が立って、マイクを握った。

サイバーテロ対策課の課長、谷崎です。この犯人はコンピューターに詳しく、海外のサーバーを幾つも経由して、声明文を送ってきています。今、その経路を辿っている最中ですが、まだ犯人には行き着いていません」と言って座った。

 捜査一課長はマイクを持って立つと「サイバーテロ対策課には、一刻も早く犯人のコンピューターを特定してもらいたい。それでは、意見のある者は挙手をして発言するように」と言って座った。

 四人が挙手をして、それぞれ意見を言った。どれも犯人像についてのものであり、直接、逮捕に関係するものではなかった。

 最後に二係の岡山が手を挙げた。

「わたしは、まだ山田が白だとは思ってはいません。そこで、自由になった山田をつけてみたいのですが、構いませんか」と訊いた。

 捜査一課長は「山田を尾行するなら、わからないようにやれよ。マスコミがうるさいからな」と言った。

「承知しました」と岡山は言った。

 捜査一課長は「他に意見はないか。では、これで散会する」と言った。

 映像は終わった。僕はベンチから立ち上がると、安全防犯対策課に向かった。

 安全防犯対策課に入ると、僕はデスクに座って、みんなに言った。

「明日、午前中に会議をする。議題は次に放火されそうな場所についての検討だ。各自の意見を聞くので、そのつもりでいて欲しい」

 安全防犯対策課としても、形式的にでも何かやっている必要があった。それにこれ以上、中上に犯行を重ねさせるわけにはいかなかった。

 

 お昼になったので、愛妻弁当と水筒を持って、屋上のベンチに行った。

 隅のベンチに座って、弁当の蓋を開けた。炒り卵と挽肉の二色弁当だった。挽肉でハートマークが作られていた。それを見ているうちに、ふと、午後は中上の所に行ってみようかという気になった。昨日、声明文を出している。午後のニュースショーは山田の釈放とこの声明文を取り上げるのに決まっていた。それをどのように中上が見ているのか、気になったのだ。

 早めに弁当を食べ終えると、安全防犯対策課に戻った。緑川はいなかった。

 鈴木浩一と並木京子がいたので、「ちょっと出かけてくる」と言って、ズボンのポケットにひょうたんが入っていることを確認して、安全防犯対策課を出た。

 

 中上のアパートの近くに来ると、ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「今、アパートに中上はいるか」と訊いた。

 あやめは「霊気は感じます」と言った。

「だったら、中上の様子を映像に取ってきてくれ」と言った。

 あやめは「はーい」と言った。

 僕は通路の途中にいたので、じっと立っているわけにもいかずに、その通路を何度も往復した。やはり、不審に思った近所の老人が家から出て来て、「何か用かね」と訊いた。

 僕は警察手帳を見せて、「今、同僚を待っているところです」と言った。

「そうかね。ご苦労様」とその老人は言って、家に入って行った。そこにはもういられなくなったので、別の所に移動した。

 あまり遠くに移動するわけにはいかなかった。あやめが戻ってくる時に困るに違いなかったからだ。

 すると、ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「どうした。映像は取れたのか」と訊いた。

「それより、中上が出かけます」と言った。

「何だって」

「それで急いで戻ってきたんです」とあやめは言った。

 僕の立っている所では、中上と出くわさないとも限らなかった。違う道を探した。

 少し行った所に、曲り角があったので、そこを曲がった。そして、少し歩いて行って、中上が来るのを待った。

 中上は僕に気付かず、通りに向かった。僕は間隔を置いて、中上をつけた。人を尾行するのは、初めてだった。中上がコンビニに入ったので、あやめに見てくるように言った。コンビニは狭いから、僕が入って行けば、見つかるような気がしたのだ。

 ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「中上がコンビニから出て来ます」と言った。僕は中上が通りそうもない通りに入り込んだ。そして、「中上はコンビニで何をしていた」とあやめに言うと、「映像を送ります」と言った。

 クラクラする感じとともに映像が送られてきた。さっき、自宅にいた時の映像も一緒に送られてきた。

 僕はコンビニの方の映像を再生した。

 中上は今日の朝刊を片っ端から買っていた。どの朝刊の見出しも山田の釈放と犯人の声明文がトップ記事だった。そして、パン二つとペットボトルのコーヒーを買って、コンビニを出た。

 映像を見終わった時には、中上は自宅に戻る最中だった。僕は中上が自宅に戻るまで動かなかった。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

十八

 家に着いた。きくが出迎えてくれた。ひょうたんはズボンのポケットから鞄の中に移しておいた。

 風呂に入った。

 浴槽で考えた。

 滝岡が、上手く偽サイトを作れたら、そこに中上を引き寄せて、彼を捕まえる。中上の犯罪は、一見すると放火事件だけのように思えるが、実はサイバー犯罪も行っていて、しかも詐欺の疑いも濃い。むしろ、単純な放火よりも罪が重い。

 中上は放火もその他の犯罪も簡単には口を割らないだろうから、もし捕まえたとしても簡単には終わらないだろう。

 それよりも、中上がまた放火をする方が心配だった。一度、放火の味をしめると、止められなくなると聞いたことがある。しかも中上は声明文を出して、世間を煽っている。この方がよほど問題だった。二度目の声明文を出させたのは、僕だと言っても過言ではない。それだけに責任がある。

 中上が次の行為に出る前に捕まえたいのは、やまやまだった。

 

 風呂から出ると、チーズをおつまみにビールを飲んだ。

 明日は金曜日だった。

「土日はどうされますか」ときくに訊かれた。

「今度の土日は、家でゴロゴロしているよ」と言った。

「わたしはお義母様と赤ちゃんの名前でも考えていますわ」と言った。

「男か女か分からないうちにか」と言うと、「だから、楽しいんじゃあ、ありませんか」ときくは言った。

「そういうもんか」

「ええ。どうせ、男の子なら京二郎ってつけるんでしょう」

「まぁ、そうかな」

「だから、女の子の名前を考えることにしました」

「ふーん」

「わたしがきくで、長女はききょうですから、あやめっていうのはどうでしょう」ときくが言った時には、僕はビールを吹き出しそうになった。

「だめ。それはだめ」と言った。

「どうしてですか。いい名前だと思うんですが」ときくは言った。ひょっとしたら、あやめのことを知っていて、探っているのか、と思ったほどだった。

「とにかく、違う名前にしてくれ」と言った。

「わかりました。お義母様と相談してみます」と言った。

 おちおち、ビールも飲んでいられない、と思った。

 

 夜になって、きくが眠ると、ベッドから出て、時間を止めた。鞄の中からひょうたんを出して、リビングルームに行った。

 長ソファに横たわり、ひょうたんの栓を抜いた。

 あやめが現れた。

 僕は真っ先に「赤ちゃんにあやめっていう名前を付けたら、まずいよね」と言った。

「聞こえていますよ。こんなに近くですから」とあやめが言った。

「だったら、ベッドでのことも筒抜けか」と言うと、「言わないことにしますわ」と言った。

「そうか。今日もありがとうな」と言うと、あやめはしなだれかかってきた。

 僕はあやめを抱き取ると、口づけをした。そして、深く交わった。

 終わった後、シャワーを浴びて、ベッドに戻ると時間を動かした。ひょうたんは机の引出しに入れた。

 

 土日にやっているニュースショーでは、今回の声明文によって、前の連続放火事件と今回の放火事件が同一人物の仕業だということが、まことしやかに語られていた。元刑事というコメンテーターが、「この声明文を読みますと、犯行状況が詳細に書かれています。これは犯人しか知り得ない事柄も含まれています。これを読みますと、この一連の放火事件の犯人がこの声明文を書いた者だと断言できます」と言い切った。この思い込みが、一般人の事件に対する見方でもあったし、捜査陣もそう思い込んだところもあった、その思い込みが事件を迷走させるとも知らずに。

 

 月曜日になった。今日は西新宿署で剣道の稽古のある日だった。僕は剣道の道具を持って家を出た。ひょうたんは机の引出しの中だった。今日、あやめに活躍してもらう予定はなかったのだ。

 黒金署は捜査一課二係と三係の間に張り詰めた空気が流れていた。捜査一課二係には、山田の釈放という問題が残されていた。今日か、明日中には山田は釈放されるだろう。そうなると、今までの取調は何だったのか、というだけでなく、それまでの山田ばかりを犯人としてきた捜査自体も問題視される。山田が犯人と見られたのは、三件の監視カメラの録画映像に映っていたというだけだ。それ以外の物的証拠は何もなかったのだ。だから、山田の自供が必要だったが、これが現在の捜査では古い手法となっていることを古い世代の刑事たちは、本当には理解していなかった。そのために、山田を犯人と思い込んだ捜査一課二係は、山田を落とすことに集中してしまったのだ。

 三係から見れば、二係は何をしていたんだ、ということになる。二係は、自分たちが失態を犯してしまったことが明らかになったので、言い返したくてもできないでいた。

 午前十一時に、山田が釈放されたという話が署内を駆け巡った。

 意外にも早かった、というのが僕の感想だった。山田の弁護士が朝一番に各所を回って、手続きを済ませたようだった。容疑の晴れた者を勾留しておくのは人権問題になる。こうした手続きは迅速に行われたようだ。

 

 お昼に愛妻弁当と水筒を持って、屋上の隅のベンチに座った。

 今日はのり弁だった。ハートマークも作られていた。そこを崩しながら食べた。ともかく、山田が釈放されたことは良かったと思うしかなかった。これも今日の昼のニュースになって流れることだろう。それが中上を刺激することは、間違いなかった。

 

 午後三時過ぎに、また声明文がマスコミに送られた。その時間帯のニュース番組は、山田の釈放のニュースを流していたが、急遽、この声明文を取り上げた。

 声明文は『祝! 山田宏殿 釈放』とだけ書かれていた。

 それで警察に当てつけるには、十分だった。

 安全防犯対策課の中でも、鈴木が「ふざけるなよ」と声を上げていたが、そんな中で、滝岡は言われた作業を黙々としていた。

 

 午後五時になったので、僕は鞄と剣道の道具を持って、安全防犯対策課を出た。そして、西新宿署に向かった。

 西新宿署の剣道場では、すでに西森は稽古をしていた。僕が剣道着に着替えて、道場に入って行くと、西森は僕を相手に稽古をした。約一時間ほど稽古をすると、汗がびっしょりと出た。西森が右手の親指を上に向けて突き上げたので、僕も頷いた。

 シャワーを浴びて着替えると、鞄と剣道の道具を持って、上のラウンジに行った。

 自販機で缶コーヒーを買って、奥のテーブルに座った。

 西森が「黒金署は大変ですね」と言った。

 僕は「私の部署は関係がないので、気にはなりません」と言うと、彼は驚いていた。

「同じ署のことなのに気になりませんか」と訊いた。

「捜査には、口出しできませんから、気にしてもしょうがないでしょう」と答えた。

「そういうもんですか」

「そういうもんです」

「山田が釈放になりましたね」と西森は言った。

「ええ」と僕は言った。

「思っていたように山田の冤罪が晴れて良かったじゃあないですか」と西森は言った。

「まだ、冤罪が晴れた訳じゃあありませんよ」と僕は言った。

「同じようなことじゃないですか」

「そうですが、別の問題を抱えることになりました」と僕は言った。

「真犯人のことですね」と西森は言った。

「ええ」

「これまで山田を本ボシと思っていた者たちは、面目丸つぶれですからね。捜査するにしても大変でしょうね」と西森は言った。

「そうなんですよね。それにまた声明文を出しましたからね」と僕は言った。

「犯人(ホシ)も調子に乗ってますね。警察を愚弄することを楽しんでいる」と西森が言った。

「それが困るんですよ」

「わかりますよ」

「一刻も早く犯人を捕まえるしかありません」と僕は言った。

「同感です」

 会話はこれで終わった。僕は鞄と剣道の道具を持って、ラウンジから西新宿署を出た。

 家までいつものように、歩いて帰った。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

十七

 僕は愛妻弁当を食べ終わると、水筒のお茶を飲んだ。

 この後、どうなるのかは予想がついた。山田の弁護士が釈放要求書を持ってくる。それに反対する理由がなければ、山田は釈放される。無罪放免というわけではない。罪については保留という形が取られる。しかし、山田が釈放されるのは、時間の問題だった。ただし、これは特殊なケースだった。

 さて、問題はその次だった。僕は、今回の放火事件の犯人が中上祐二であることを知っている。それをどう捜査本部に伝えるかだった。理由もなく、伝えるわけにはいかなかった。何か、上手い方法を見付けるしかなかった。

 しかし、僕には一つだけ方法を思いついていた。

 

 午後一時になった。安全防犯対策課の面々も席に着いた。

 僕は声を大きくして、みんなに言った。

「これ以上、放火を続けさせるわけにはいかない。安全防犯対策課としては、黒金町で次にどこが狙われるか、各自検討してみてくれ。有力な候補が見つかったら、知らせてくれ」

 そう言ってから、滝岡順平を呼んだ。

「何ですか」と言って、僕のデスクに来た。

「頼みたいことがある」と言うと、彼は明らかに嫌な顔をした。どうせ、面倒な頼みだということが分かっているからだ。

「誰かが警視庁の資料サイトにアクセスしてきたら、偽サイトに誘導してもらいたい。そこで、偽サイトに入ってもらい、偽の情報をダウンロードさせて欲しい。そのとき、相手のパソコンの情報が分かるようにしてもらいたい」と言った。

「それって、警視庁の資料の偽サイトを作れって言っているのと同じですよね」と滝岡は言った。

「そういうことになるな」

「それ、サイバーテロ対策課にやらせたらどうなんですか」と滝岡は言った。滝岡はサイバーテロ対策課が作られた時の有力な候補者だった。と言うよりも筆頭の候補者だった。しかし、彼の協調性のない性格に問題があった。サイバーテロ対策課はチームで活動することがほとんどだ。一人だけでやりたがる滝岡には、向いていない部署だった。結局、滝岡は外された。滝岡がそのことを面白くない、と思っていないはずはなかった。

「あっちは、今回の声明文がどこから発信されているのか、突き止めるので必死だ。こんな話を持ちかけても受けてはもらえない」と僕は言った。

 そして「ここには、コンピューターのプロがいるじゃないか。作ってくれるよな」と続けた。

「そんなに簡単に作れるわけがないじゃないですか」

「中身はいらないんだ。見せかけでいい。できないか」

「できないとは、言ってないでしょう。簡単には作れないと言っているんです」と滝岡は言った。

「そうか、作れる訳か。どれくらい時間がいる」と訊いた。

「そうですね。少なくとも一ヶ月はいりますね」と滝岡は言った。

「そうか、分かった。じゃあ、三週間で作ってくれ」と僕は言った。

「課長、人の話、聞いてます。今、少なくとも一ヶ月はかかると言ったんですよ」と滝岡は言った。

「聞いているよ。一ヶ月はかかるんだろう。それは普通の人の話だろう。滝岡だったら、三週間で作れるよな」と僕は言った。

「課長には、常識ってものがないんですか。そりゃ、無茶ですよ」

「でも、できるんだろう」と僕は言った。

「やるだけはやってみますが、三週間では無理ですからね」

「まあ、やってみてくれ」と僕は言った。

「さっき、誰かが警視庁の資料サイトにアクセスしてきたら、偽サイトに誘導してもらいたいって言ってましたよね」

「ああ」

「ということは、不正に警視庁の資料サイトにアクセスしてきたときだけに、偽サイトに誘導するということでいいんですよね」

「そうだ。そうでないと、正当にアクセスしてきたときに、資料サイトが使えなくなってしまうからね」

「ということは、正当にアクセスしてきたのか不当にアクセスしてきたのか、判別しなければなりませんね」

「そうなるね。普通はどうするんだ」と僕は訊いた。

「IDで判断します」と滝岡は答えた。

「IDか。そうだな、それは人物名でも構わないのか」と訊いた。

「構いません」と滝岡は答えた。

「だったら、初代警視総監の名前ならどうだろう」と言うと「誰ですか」と滝岡が訊いた。

川路利良だ。普通の川に、路地の路、利良は、利口の利に優良可の良だ」と言った。

「IDは川路利良ですね。で、パスワードは」と訊いた。

「彼の西暦の生年月日でどうだろう。ちょっと携帯で検索してみる」と答えて、僕は川路利良を検索した。

「あった。一八三四年六月十七日だ」と言った。

「では、18340617でどうですか」と滝岡が言った。

「それでいい」

「わかりました。じゃあ、これで作ります」と言った。

「頼んだよ」と僕は言った。

 本当にこれが頼みの綱なのだ。

 中上は今は浮かれているだろう。声明文を発表したばかりだ。当分は、これで満足していることだろう。しかし、マスコミの騒ぎが一段落ついた頃、また何かをしでかそうと考えないわけでもないだろう。放火犯という者は、一度、その味をしめるとまたやりたくなるものだ。

 今回の放火事件の犯人が中上祐二と分かっている以上、二度目をやらせるわけにはいかなかった。

 その前に、中上に見せる偽の情報を考えなければならなかった。

 

 僕は時間が来たので、「お先に」と言って安全防犯対策課を出た。滝岡が恨めしそうな目で僕を見ていた。

 僕は中上のアパートの近くで、またズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「アパートの奴の部屋に、中上はいるか」とあやめに訊いた。

「います」と答えた。

「何をしているのか、今日何をしていたのか、見てきてくれないか」と言った。

「わかりました」と答えた。

 僕はアパート近くの通りで立ち止まっていた。誰も来なかった。来るようなら、少し動こうと思っていた。

 まもなく、ズボンのポケットのひょうたんが振動した。

「読み取りました」と言った。

「映像を送れ」と言った。

 目眩とともに映像が送られてきた。僕はすぐに慣れたので、歩き出した。

 中上はさっきまではテレビを見ていた。午後のニュース番組をチャンネルを変えながら見ていた。どこも、昨日出された声明文について取り上げていた。コメンテーターの辛辣な意見もあった。

 それを見ながら、中上は嘲笑していた。

「何もわかっちゃいない」と呟いていた。元来、小心者だから、こうしてテレビで取り上げてくれることだけでも嬉しかったのだ。

 次にパソコンを立ち上げて、ネットの評判を見ていた。

「人、二人も焼き殺しているんだぜ。捕まったら死刑だな」という書き込みがあった。

 中上は鼻で笑った。

「死刑になんかなるものか。その放火の時には、日本にいなかったんだからな」とパソコンに毒づいた。

「でも、警察は失態を犯したな」

「そうだな」

「犯人でもない者を勾留していたんだからな」

「被疑者となっていた人も大変だよな。名前も公表されてしまっているからな」

「これじゃあ、どこも雇ってくれないよな」

「ホント」

「真犯人には感謝しなくちゃな」

「そうそう。もう少しで本当の連続放火事件の犯人にされるところだったんだからな」

「警察も、こんな声明文を出されたんじゃあ、真犯人を見付けるしかないな」

「見付けられるのかな」

「どうだろう」

「犯人も、捜せないと思っているから、声明文を出したんだろう」

「そうだろうな。海外のサーバーを幾つも経由しているっていう話だぜ」

「それじゃあ、日本の警察では見付けられないな」

「そうだな」

 こんなやり取りが延々とパソコン上で繰り広げられていた。

 僕は、そんな映像を再生しながら、家に向かって歩いていた。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

十六

 夕食をとった後も、僕は寝付けなかった。

 ウィスキーを飲みながら、午後十一時からのニュースを見ていた。すると、犯人から「第二信が届きました」と言うキャスターの上ずった声が聞こえてきた。

「しばらく、お待ちください」と言って、別のニュースに移っていった。そして、「今度の第二信には、犯行の詳しい状況が記されているようです。これは犯人しか知り得ないもののようですので、放送することを警察から控えるように要請があり、当番組もそれを受け入れました。したがって、内容を直接お伝えできないことは心苦しいのですが、ご理解ください」と言った。

 これで明日、捜査会議が開かれることは決まった。そして、その捜査会議が荒れることも分かった。二係は山田を本ボシと思って取調を続けてきた。しかし、ここに来て、犯人しか知り得ない、犯行の状況を説明する声明文が、警察だけでなく、マスコミにも送られているのだ。山田は、状況証拠だけで引っ張ってきている。これまでの状況でも自供がなければ、釈放するほかはなかったのだ。それに今回の声明文が加われば、山田を拘束している理由がなくなる。当然、弁護士も山田の即時釈放を求めてくるだろう。

 今日の捜査会議では、山田を本ボシとして、新たな放火事件は別の事件として捜査することに決めたばかりだった。それが、たった一日も経たずに変更を余儀なくされつつあるのだ。

 一体、明日の捜査会議はどうなるのだろうか。

 僕はウィスキーのお代わりをした。きくがグラスに指一本分のウィスキーを注いでくれた。そして、水で割った。

 

 きくがベッドに入り眠ると、時を止めた。

 鞄からひょうたんを出すと、ダイニングルームに行った。そして、ひょうたんの栓を抜いた。あやめが現れた。

「ご苦労様。明日も頼むよ」と言った。

「明日もですか」

「ああ、嫌か」

「いいえ、毎日でも、毎晩でも、構いませんわ」と言って、躰を寄せて来た。僕はあやめを抱き取り、交わった。

 その後、シャワーを浴びて、ベッドに戻り、時を動かした。

 

 次の日、署に行くと大騒ぎだった。マスコミが大挙して押し寄せていた。僕が署内に入ろうとすると、マイクを突きつけられ、「今回のことについてどう思われます」と訊かれた。僕は黙ったまま、署内に逃げ込んだ。

 安全防犯対策課に行くと、鞄を脇の棚に置き、「今日は大変だったね」と皆に向かって言った。

「本当に大変でしたよ」と緑川が言った。

「わたしなんか、お尻を触られました。セクハラで訴えたくなりましたよ」と並木京子が言った。

 滝岡順平も鈴木浩一も大変だったと言った。年配の時村才蔵と岡木治彦だけは黙っていた。

「そうか、皆、大変な思いをして来たんだな。だが、幸いなことに安全防犯対策課には関係のない話だ」と言うと、「それだけが救いですよ」と緑川が言った。

「じゃあ、安全防犯対策課は安全防犯対策課の仕事をしよう」と言うと、鈴木が「何をやればいいんですか」と訊いた。

「そうだな。次に放火されるとしたら、どこかということを検討するのもいいんじゃあないのかな」と答えた。

 僕は鞄からひょうたんをズボンのポケットに移して、「ちょっと席を外す」と緑川に言って、安全防犯対策課を出た。

 四階の待合席に行って、隅の席に座った。そして、ズボンのポケットのひょうたんを叩くと、「この一階下の捜査会議の様子を見てきてくれ」と言った。

「はーい」とあやめが言った。

 僕は携帯を取り出して、それを見ているフリをした。動きたくても動けなかった。どこかに行ってしまえば、あやめが戻ってきた時に途惑うだろう。それは避けたかった。

 お昼までの時間が長かった。

 お昼になるとあやめが戻ってきた。

「捜査会議は終わったようです」

「そうか」

「今、映像を送りますね」と言った。

「分かった」

 そう言うと、頭の中に溢れるように映像が流れ込んできた。映像が終わるまで、じっとしていた。立ち上がればフラつきそうだった。

 あやめは映像を送り終わった。

 僕は立ち上がると、安全防犯対策課に降りて行った。

 

 屋上のいつものベンチに座ると、愛妻弁当を開けた。卵焼きをハートマークに形取って載せてあった。

 弁当を食べながら、映像を再生していた。

 再生された映像は、すでに捜査会議が始まっているところからだった。

 あちこちから怒声が上がっていた。

「静かにしろ」と言う署長の声で静まった。

 捜査一課長がマイクを持って立ち上がった。

「いろいろ、言いたいことがあるのはわかる。それをこれから順番に聞く。まず、二係から始めてくれ」と言った。

「はい」と手を挙げたのは、二係の岡山だった。

「岡山です。今回の声明文に書かれていることは、犯人にしか知り得ないことです。山田も自供していないことです。そこから考えられることは、今度の犯人が真犯人ではないか、ということです」と言った。すると、同僚から、「だったら、俺たちのやってきたことはどうなるんだ。無駄なことをやってきたとでも言いたいのか」と言う声が上がった。

 そんな中で、「はい」と手を挙げたのは、二係の秋口だった。

「二係の秋口です。わたしは、今度の犯人が真犯人であると決めつけるのは、早計だと思っています。捜査情報が漏れた可能性も考えるべきです」と言った。すると、「誰が漏らしたと言うんだよ」と言う声がした。二係の脇坂だった。脇坂は、一番長く、山田を取り調べてきた者だった。今でも山田が連続放火事件の犯人だと思っていた。

「そんな奴はいないぞ」と言う声が続いた。

 秋口は「わたしは可能性を言ったまでです。そうでなければ、今度の声明を出した者が真犯人となってしまうからです」と言って座った。

 二係は二派に割れて言い争いになった。

 捜査一課長がマイクで「静かにするように」と注意した。言い争いは一応静まった。

 捜査一課長は「では三係の意見を聞こう」と言った。

 澤北が「はい」と言って手を挙げて立った。

「三係の澤北です」と言った後、「わたしは、昨日の犯人の声明文が出るまでは、今回の放火は単独犯行だと思っていました。言うまでもなく、今回の放火方法がこれまでと違っていたからです。しかし、犯人自らが、前回と何故違う方法を取ったのかということと、前回までの放火方法の詳細な仕方を声明文に書いています。こうなると、前の三件と今回の放火は、方法が違っても、同一犯であると考えざるを得なくなります。もちろん、情報が漏洩した可能性は否定できませんが、通常はマスコミに対してです。しかも、マスコミとの間には、一定の暗黙のルールがあります。今回の犯人のような声明文はマスコミ経由では書けないと思います。従って、今回の犯人の声明文を基に考える限り、前三件の放火事件と、今回の放火事件は繋がっていると考えるのが自然です」と言って座った。

 次は三係の福地刑事が「はい」と手を挙げた。

 福地は立って、「三係の福地です。わたしも前回の会議では、これまでの連続放火事件と切り離して考えるべきだと思っていると言いました。それは犯行の性格によってでした。しかし、今回の声明文を読む限り、その考え方が誤っていたと思うようになりました。犯人は放火することに快楽を感じているだけでは足りずに、警察を挑発しています。言わば、劇場型の犯人だと思われます。二回目の声明文では、第一声明文を送った後に、すぐに第二の声明文を送ってきています。これは、テレビの放送時間と新聞の締切りを意識したものでしょう。とにかく、犯行をするだけでは物足りなくなり、マスコミを使うようになってきています。そして、犯人の声明文に書かれた情報が正確な以上、前三件と今回の犯行の犯人は同一人物と考えざるを得ません。前にも申しましたが、マスコミにも送っていること、そして、コンピューターを使っていることを考えると、比較的若い犯人像が浮かびます。前にも言いましたが、二十代から三十代の者が犯人だと思われます」と言ってから座った。

 もう一人高木刑事も手を挙げて発言したが、前の二人と同意見だった。

「我々のやってきたことが無駄だったと言うのか」というヤジが二係から飛んだ。それに呼応するように三係も意見を言った。

 捜査一課長がマイクで「静粛に」と言うと、静かになった。

「今はただ声明文が届けられているに過ぎない。それに踊らされては向こうの思う壺だ。二係は今までの捜査内容を徹底して見直すように。そして、三係はこれを連続放火事件として調査するように。以上だ。意見がある者はわたしのところに直接来てくれ、では解散する」と言った。

『意見がある者はわたしのところに直接来てくれ』と捜査一課長が言っても、係長を飛び越して、行けるわけがなかった。実質、意見を封じたのだ。これが警察のやり方だった。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

十五

 午後一時になると、ズボンのポケットにひょうたんを入れて、緑川に「ちょっと出てくる」と言って安全防犯対策課を出た。

 四階の待合席に行った。午前中に僕に声をかけてくれた女性に目礼して、席に座った。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「さっきのように頼むよ」と言った。

「はーい」と言うあやめの声がした。

 あやめが情報を取ってくる間、ただ待つわけにはいかなかった。僕は昨日、まだ再生していなかった二月二十六日、三月二十八日、四月二十九日の中上祐二の映像を見ることにした。

 二月二十六日は、中上祐二は一日中部屋に引きこもってパソコンを操作していた。新しいアイデアが浮かんだのだ。それに夢中になっていた。したがって、二月二十六日のアリバイは、中上にはなかった。

 三月二十八日は、午後八時半頃に、黒金高校時代の友人、武下と沢島に会っていた。三人で黒金駅前のカラオケ店で午後十時まで歌っていた。中上の三月二十八日のアリバイはあった。

 そして、四月二十九日のアリバイはもっと完璧だった。四月二十八日から三十日まで台湾旅行をしていたからだ。中上祐二の出入国記録を調べれば一発で分かるアリバイだった。

 このアリバイがあるからこそ、中上祐二は自分が連続放火事件の真犯人だという偽の犯行声明を出せたのだ。いざとなれば、台湾旅行をアリバイにすれば良かったからだ。

 小心者の考えることだ、と思った。

 その時、ひょうたんが震えた。

「今、散会しました」と言った。やけに早いなと思った。

「映像を送ります」とあやめが言った。

「分かった」と応えた。

 映像が送られてきた。僕は待合席を立ち上がると、屋上に向かった。自販機で缶コーヒーを買うと、いつものベンチに座った。そして、映像を再生した。

 まず最初に「はい」と言って手を挙げたのは、二係の岡山だった。

 彼は立ち上がると、「二係の岡山です」と言ってから、「今、二係ではあくまでも山田が連続放火事件の犯人として取調を行っている最中です。この方針に変わりはありません。従って、今回、起きた放火事件は切り離すべきだと思っています。それは、先ほど澤北刑事が言われたように、放火の仕方が違うことから明らかです。澤北刑事が説明されたので、同じことは言いませんが、今回の放火事件は模倣犯だと思います。しかし、放火方法までは、マスコミにも伏せてありますから知らなかったのでしょう。とにかく、前の三件の放火事件に便乗して行った放火だと思います」と言った。

 次に「はい」と手を挙げたのは、二係の秋口刑事だった。

 秋口は立ち上がると、「二係の秋口です。わたしも岡山刑事と同意見です。これまでの連続放火事件とは別だと思っています。今回の犯人は、山田が取調を受けていることを知っています。従って、もう一回放火事件を起こせば、警察が誤った被疑者を取り調べていることになります。それが犯人の狙いでしょう。犯人は、警察に対して、不信感を持つか、敵意を持った人物だと思っています。捜査を攪乱させることが狙いだと思います」と言って座った。

 次に「はい」と手を挙げた者も同じようなことを言った。また、その次に手を挙げた者も同意見だった。二係の者はまだ他にも手を挙げている者がいたが、捜査一課長が「今手を挙げている者で、これまでと別の意見の者はいるか」と言うと、手を挙げていた者が手を下げた。

「ということは、二係の者たちは、山田がこれまでの連続放火事件の犯人であり、今回の放火事件の犯人は別にいると考えていると思っていいんだな」と言った。

 二係の者は全員「はい」と言った。

「では、二係の者はこれまで通り、山田を取り調べ、三係は新たな放火事件の犯人を追ってもらいたい。捜査方針はこれで行く。以上だが、意見のある者はいるか」と捜査一課長は言った。

 誰も手を挙げなかった。

 捜査一課長は、管理官、署長の顔を見てから、「では、捜査会議をこれで終了する」と言った。

 刑事たちは捜査本部から駆け出していった。

 

 僕はズボンのひょうたんを叩いた。

「今、中上は部屋にいるか」

「気配は感じますが、遠過ぎてわかりません」とあやめは言った。

「だったら、行くしかないか」と言って、僕は立ち上がった。

 安全防犯対策課に立ち寄って、緑川に「出かけてくる」と声をかけて出た。

 二十分もかからずに、中上のいるアパートに着いた。その一階下の部屋の前に来ると、時間を止めた。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「中上祐二がいるか、確かめてきてくれ」と言った。

「はーい」と言う声がした。そして、すぐに「います」と言った。

「だったら、私の頭にある映像を中上に送れ」と言った。

 僕は喜八が二月二十六日、三月二十八日、四月二十九日に火付けをしているところだけを切り取って頭に思い浮かべて、中上に送るようにあやめに指示したのだ。その際、警察は、今度の事件は模倣犯だと思っている、ということは思い浮かべた。それ以上、余計な情報を中上に伝える気はなかった。

 しばらくして「送りました」と言うあやめの声が聞こえてきた。僕は時を動かして、その場を離れた。

 新しい情報を得た中上が何をするのかは、あやめを使わなくても僕には分かっていた。

 今、第二の声明文を作るのに夢中になっていることだろう。

 時計を見た。午後四時半だった。早く、黒金署に帰って退署しなくてはならない、とまず思った。次に思ったのは、これから声明文を作ってマスコミに送るとしたら、午前〇時を過ぎるかな、ということだ。明日の朝刊に間に合うのが、せいぜいだろうと思っていた。

 

 午後五時に黒金署に着くと、すぐに安全防犯対策課に戻り、鞄を取ると、「お先に」と言って部屋を出た。部屋を出てから、ズボンのポケットのひょうたんは鞄に入れた。

 新たな声明文を作るのに、どれくらい時間がかかるのだろう。僕なら、一時間もあれば書けそうだったが、声明文を書き慣れていない中上にそれができるとは思えなかった。

 

 家に帰ると、きくが出迎えてくれた。

「躰はいいのか」と訊くと「ご覧の通りです」と答えた。

 きくに手伝ってもらって、着替えると、すぐに風呂に入った。

 風呂に入りながら、考えた。

 とうとう、禁じ手を使ってしまった。中上祐二に情報を与えたことだった。いくら、山田の冤罪を晴らそうとしても、放火犯に情報を与えるのは、いき過ぎていた。それは分かっていた。分かっていたが、止められなかった。

 中上とすれば、突然閃いたように送られてきた映像が本物かどうか知りたいだろう。それには声明文を作ってマスコミを刺激するのが一番だった。そして、警察もだった。その反応で、自分の頭に浮かんだ映像が本物かどうか分かる。それを確かめないでは、寝られないだろう。

 風呂から上がると、枝豆をつまみにビールを飲んだ。

 テレビを見ていた。すると、突然、キャスターの動きが慌ただしくなった。女性キャスターが「今、犯人から第二の声明文が送られてきました、詳しい内容は追って知らせます」と言って、CMに切り替わった。

 僕は飲んでいたビールを吹き出しそうになった。こんなにも早く、中上が声明文を送ってくるとは予想だにしていなかったからだ。中上があの映像を検証するのには、時間がかかるはずだった。そして、声明文が作れたとしても、国内の誰かのパソコンを乗っ取り、それから海外のサーバーを幾つも経由して、警察やマスコミに声明文を送るとしたら、時間がかかるに決まっていた。僕はそう思い込んでいた。だが、それは違っていたようだ。

 CMが明けると、「先程の犯人からの声明文ですが、前回と同様にインターネットを使って同局まで送られてきました。その全文を表示します」と言って、テキスト画面に変わった。

『わたしは、連続放火事件の真犯人である。警察は、これまでの放火の仕方と今回の放火の方法が違っていることで、別人だと思っているようだがそれは違う。灯油がなくなったのに過ぎない。それとマッチだが、火をつけるのに、両手を使わなければならない。それがネックだった。それを解消するために、今回は百円ライターを使って、直接、ゴミ袋に火をつけた。これで、どうして、犯行方法が変わったか、わかるだろう。』

 文面はこれだけだった。だが、これで十分だった。今まで、犯行の態様を隠してきたが、それを犯人は言い当てている。そして、何よりも重要なのは、前回までと今回の犯行の仕方が違っていることを指摘していることだった。これは秘密の暴露に近かった。

 このテレビを見ている、捜査一課二係と三係の慌てぶりが分かるようだった。